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私は諦めを敵とする。 私の日々の努力は実にこの諦めと闘うことである。 (北条民雄)

資料館

文京区湯島『国立近現代建築資料館』で「吉田鉄郎の近代 モダニズムと伝統の架け橋」展を開催中。

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「吉田鉄郎の近代 モダニズムと伝統の架け橋」展
開催期間:2019.11.1~2020.2.11(火・祝)
休館日:2019.12.29~2020.1.3

湯島にある『国立近現代建築資料館』で、吉田哲郎に関する展示をしております。

吉田鉄郎(1894年~1956年)は、東京中央郵便局(1931年)や大阪中央郵便局(1939年)などの日本近代モダニズム建築を設計した、逓信省の建築家です。

富山県東礪波郡福野町の出身で、帝大建築学科を卒業後、逓信省に入省しています。

展示内容は、吉田鉄郎の住宅と逓信省関係の建築の他、コンペ作品や記念碑などの建築図面や、写真などの資料となっています。

今年で生誕125年になるそうですが、ワタクシが特に思い入れのある作品は、大阪中央郵便局です。
学生時代にバイトをしたことがあるのですが、建物に興味の無かった当時のワタクシでも未だに記憶に残っている名建築です。しかし今回の展示で知ったのですが、再開発で取り壊されたそうですね。
もの凄くショックを受けました。

改めて、どんどん観て撮っておかないと、建物は消えてしまうと焦らされました。

ちなみに同氏が手掛けた旧馬場氏熱海別邸は、 富山市に移築予定だそうです。
移築されたら、是非観に行こうと思います。



同展は無料。
今日は平日なので、春日通り側にある合同庁舎正門から入りました。こちらから入る場合は、守衛室にて入館登録が必要です。
現在、旧岩崎庭園は修繕中。それでも観に行こうという方は、旧岩崎庭園からも入れます。

建築に興味がある方、今は無い古い建物に郷愁を覚える方、双方にオススメの展示でございます。



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【国立近現代建築資料館】
National Archives of Modern Architecture
東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内
http://nama.bunka.go.jp/access.html
開館時間 10:00~16:30(入館は閉館15分前まで)
※開館・休館日は企画展示により異なる(常設展示は行っていない)
※展示スペースは撮影禁止
http://nama.bunka.go.jp/


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埼玉県草加市『草加市立歴史民俗資料館』は草加市初の国登録有形文化財です。

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大正15年(1926年)に建築家・大川勇氏の設計で建てられた、埼玉県初の鉄筋コンクリート(RC)造校舎と言われる草加小学校の西校舎。

建物が造形の模範になっていると評価され、草加市初の国登録有形文化財(建造物)になった建物です。

草加小学校校舎としての利用は昭和54(1979)年度をもって終了し、3年後の昭和58年(1983年)11月1日より草加市の文化財を保護するための施設『草加市立歴史民俗資料館』として再利用されています。

今回はこの建物を見学すべく草加市までやって参りました。

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校舎入口へは靴を脱いで入ります。
って学校は今でもそうでしたね。
よくよく考えたら日本独特の習慣なんだろうなぁ。


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小ぢんまりした校舎ですが、屋上に運動場があったそうです。

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建物はこのような配置になっています。

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階段が吹き抜けになっているため、窓もかなり大きく取られています。
ゆえに明るい。


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階段壁面にある孔。
何のために空けられているんだろう?


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何かのイベントで使われたのかパイプ椅子が並んでいます。
ビジュアル的には邪魔かな。


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手作り感溢れる展示内容だと感じるのは、手書きの説明が多いからかも。

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躯体がしっかりしていれば、建物は長持ちするんですね。

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洪水云々という文字を発見。
草加市は河川に囲まれた窪地で水を貯め易く、
洪水の起きやすい土地なのだそうです。


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校舎が少し高床っぽくなっているのは洪水対策なのかも。

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文化財プレートは正面の分かり易い場所に設置されていました。

木造の多い大正期の校舎にあって、RC造・モルタル仕上げの近代的な雰囲気はとても目立つ存在だったろうと思われます。

この教室数で済むってことは、当時は子供の数が少なかったんてすね。

わざわざ見に行く・・・というほどではない気もしますが、松尾芭蕉の足跡を辿りつつ散歩するなら、土地のことを知るために立ち寄ってもいいかも。



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【草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎)】

埼玉県草加市住吉1-11-29
(東武スカイツリーライン草加駅から徒歩10分)
開館時間 9:00~16:30
休館日:月曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始


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東京都東村山市『国立ハンセン病資料館』でハンセン病について学んできた。

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ハンセン病は古くから世界の各地に存在していた病気です。
日本でも仏教に篤く帰依した光明皇后(701年~760年)が重症の癩病患者の膿を自ら吸い出したら、その病人は阿閦如来(あしゅくにょらい)だったという話があるほどです。戦国時代では大谷吉継が同病に罹患していたといわれています。石田光成の逸話でも有名ですね。

同病は、ワタクシが子供の頃は「ハンセン病」と言われていました。

ノルウェーの医師であるゲルハール・ヘンリック・アルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrick Armauer Hansen)博士が「らい菌」を発見したのが1873年(明治6年)。
それまでの日本では癩病と呼ばれていましたが、1959年(昭和34年)に「ハンセン氏病」に改称されました。「氏」という文字が削除された「ハンセン病」に改称されたのは1983年(昭和58年)のことです。
(英語ではHansen's DiseaseまたはLeprosy(レプロスィー)と呼ばれています)

ワタクシはこの歳になるまでほとんどハンセン病について学んでおりませんでした。
大阪に居た頃はハンセン病に関する施設が無かった(気がする)ので、正直、小説に登場する過去の病として、結核に類するものとしか思っていませんでした。
1909年(明治42年)、現在の大阪市西淀川区中島2丁目にあたる場所に、外島保養院という隔離収容施設が設立されたそうですが、室戸台風の直撃で200名に近い命が失われました。1938年(昭和13年)、岡山県瀬戸内市に移転し「邑久光明園」となっています。大阪府では法律に基いて強制隔離が行われていたようです。

「隔離」「キリスト教」「差別」などのワードが付随する病だという認識しかなく、「不治の病」だという認識もありました。お恥ずかしい話です。

このまま死ぬまで勉強しない可能性が高かった同病について興味を持ったのは、建築物を観るようになったためです。同病に関連する施設として神山復生病院があり、現存する日本最古のハンセン病療養所としてその建物が国の登録有形文化財(建物)に指定されています。その神山復生病院を観たいと思っているのですが、病気について学ばずに建物だけ観ても意味が無いと考えました。同様の施設について知ることはできないかと思っていたところ、東京の東村山市に国立ハンセン病資料館があると知り、先ずは同館に足を運ぶことにした次第です。

ハンセン病はらい菌による慢性感染症です(ウイルスではありません)。現代の日本においては発症自体がまれです。
ハンセン病の感染力は弱く、未治療のらい菌保有者から感染しても、接触する95%の人は自然免疫で感染・発症を防御できます。たとえ感染しても発症するとは限らず、急激に症状が進むことはありません。
初期症状は皮疹と知覚麻痺です。治療薬がない時代には変形を起こすことや、治っても重い後遺症を残すことがありました。現在では有効な治療薬が開発され、早期発見と早期治療により後遺症を残さずに治るようになりました。


ハンセン病は感染後だいたい3年、長いと20,30年経過してから症状が現れます。初めに皮膚疾患としてあらわれますが、その場合は白、赤、赤褐色の斑紋としてあらわれます。
(神経に症状があらわれることもあります)

らい菌の至適温度は30〜33℃で高温に弱いとされているため、入浴と熱を加える民間療法が長く行われてきました。日本では草津温泉での湯治が人気で、強酸性泉による殺菌作用、硫酸アルミニウムによる収斂作用、皮膚の刺激作用、温泉の保温効果によってハンセン病にも有効と言われて多くの患者が集まったそうです。

インドの調査によると、貧困層と富裕層の比較に関しては貧困層に発症率が高いそうで、罹患者は、亜鉛、カルシウム、マグネシウムが正常の人に比べて著しく低かったそうです。

病の歴史が長い分、三大宗教の経典などにも同病について明記されています。
仏教では信仰の浅いものにあらわれる仏罰として書かれ、キリスト教では「清められるべき病」としてマタイ伝第8章に明記され、イスラム教では「不治の病」とされてきました。
これらの宗教によっても差別が生まれていたようです。

では日本ではどのように差別がさなれたのか?

中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れと考えられており、発症した者は非人であるという不文律があった。
鎌倉時代の文献によると、患者と家族が相談し、相当の金品を添えて非人宿にひきとられ、非人長吏の統率下におかれた、とある。
江戸時代にはこの病になると家族が患者を四国八十八ヶ所や熊本の加藤清正公祠などの霊場へ巡礼に旅立たせた。このためこれらの場所に患者が多く物乞をして定住することになった。
旅費が無い場合は単に集団から追放され、死ぬまで乞食をしながら付近の霊場巡礼をしたり、患者のみで集落を成して勧進などで生活した。貧民の間に住むこともあり、その場合は差別は少なかった。
明治時代に入り隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害された。
昭和時代に入ると、患者への偏見がエスカレートしていく。


ウイルスではなく細菌による疾患だと判明していなかった過去に於いて、伝染性の疾病だと考えられていたため隔離され、病に対する圧倒的な情報量の少なさと根拠の無い恐怖心から差別されるようになったのだろうと思われます。今みたいなインターネットのある時代なら情報の取捨選択が可能ですが、当時は地域を治める役人と新聞ぐらいしか情報が入手できないので選択肢も偏りますよね。

「穢れ」を隔離すると言え考え方が日本には古くからあり、病気や死体、血などを「穢れ」として扱ってきました。
自分の身を清浄に維持するためにそれら「穢れ」は遠ざけるべきものとされました。
ハンセン病は古くから「不治の病」とされてきたため、穢れとして扱われてきました。家筋や血筋の病ともされていたため、患者が出ると家族全体への差別がなされるため、家から放出する場合もあったようです。

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四国遍路をして迫害から逃れる患者もいたそうです。

ハンセン病の告知は非常に難しかったそうです。不治の病と考えられていたがゆえの「告知」。当然罹患者にも病に対する差別意識が強く、時には告知をすることで患者が自殺することもあったそうです。(平成9年に告知1か月の通院患者の自殺が報告されています)

『国立ハンセン病資料館』では、隔離された場所での患者の暮らしが展示してあります。
これを見て、ジブリ映画の『もののけ姫』のたたら場はこの病を扱うものでもあったのだなと思えました。

コレラなどの急性伝染病が流行した時代に、日本は「文明国」としてハンセン病患者を隔離する政策を実施します。この隔離政策が平成8年まで廃止されていなかったと知り、かなり驚きました。

 1907年(明治40年)、強制隔離政策を継続するため「癩豫防ニ関スル件」が制定←法律名が無かった
 1931年(昭和6年)、「癩予防法」制定←法律名で制定
 1953年(昭和28年)、「らい予防法」制定
 1996年(平成8年)4月1日、「らい予防法の廃止に関する法律」成立施行

結局、「らい予防法」は制定されてから89年後に廃止されました。

1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認されたのを契機に、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至った。


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作家の北条民雄もハンセン病患者として東京府北多摩郡東村山村の全生園(国立ハンセン病資料館の同敷地内:国立療養所多磨全生園)に収容され、1937年12月5日、結核のため23歳で夭折しました。
ハンセン病はそのものが死因となることは稀で、結核が38.1%、腎炎が22.4%が死因の多くを占めていました。

以下はワタクシの好きな彼の言葉です。(当ブログPC版トップにも置いてある言葉)

私は諦めを敵とする。 私の日々の努力は実にこの諦めと闘うことである。
北条民雄


ハンセン病に対する偏見や差別により彼の本名は長らく公表されませんでしたが、2014年が生誕100年にあたるのを期に業績を本名で後世に伝えようと、阿南市が親族に2年間に亘り説得した結果、2014年6月に親族の了承を得てようやく本名(七條 晃司)が公開されました。
正直、本名の公表は必要なのだろうか?と思わなくも無いワタクシです。北條民雄の名前で作品が知られており、本名がどうであれ心をえぐるような彼の作品が齎す功績は揺るぎない。親族が2年間も説得に応じなかった“感情”というものを無視しても良いものか。賛否両論あろうが、そもそも「本名」とは何ぞや。
いろいろと考えさせられる話ではあります。

当時、差別を伴う不治の病だとされていたハンセン病に罹患し、隔離された、北條民雄の血を吐くような命の叫びを上述の言葉に感じます。

病気そのものの苦悩。隔離の不自由。部屋のないこと。性的なもの。文学的才能の不足。これらが全部一丸となって僕の頭を混乱に突き落とすのだ。

北条民雄は発病前に結婚はしているが翌年罹患し、離縁している。彼の日記には性的な悩みも多かったと書かれていて「なんという悲惨な青春だろう」という言葉がある。患者同士の結婚はあったものの、子供を産み育てることは許されていなかった。

23歳という若さで夭折した彼の言葉を見るたび、病に限らずあらゆることに、どのような状態にあっても諦めてはならないのだと、再度己に言い聞かせるワタクシです。



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【国立ハンセン病資料館(旧高松宮記念ハンセン病資料館)】

東京都東村山市青葉町4-1-13
西武池袋線清瀬駅南口から西武バス 久米川駅北口行き約10分
(「ハンセン病資料館」で下車)
開館時間 9:30~16:30
休館日:月曜
http://www.hansen-dis.jp/

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園内の売店でご当地ソースを発見しました。370円也。
食堂のおばちゃんが「美味しいわよ」と太鼓判を押してくれました。


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富山県『高岡市伏木気象資料館』はその日も暑かった。

高岡市伏木気象資料館
[高岡市伏木気象資料館]
入館料は210円ですがJAFの会員証を提示すると160円に割り引いてもらえます。



暑い~。


あ~つ~い~。


ア~ツ~イ~。


と、呪文のように唱えながら『高岡市伏木北前船資料館』から歩くこと5分。


驚くほど近い場所に『高岡市伏木気象資料館』はありました。


「こんにちは~」


と入って行ったら、驚くほどラフな姿のマダムが暑そうに出て来たので、改めて


「こんにちは。どこで入館料を払えば良いんですか?」


と訊ねたら、


「私にくれたらいいよ」


とアッサリ言われました。


入館チケットを貰う窓口みたいなものは無いらしい。


ここでもJAFの会員証を提示したら割引になります。


でも自分で気付いて言わんとアカンみたい。


暑くてムシムシする中、館内をマダムが案内してくれました。


見学出来るのは2室だけだけどな。


でも、ワタクシはかなり面白い施設だと思いました。


気象を測候する施設は今でも一部機能しているみたいです。


気温、風速、地震などなど。


ちなみにこんなに小さな施設なのに、女子トイレは広いっぽい。


間取りを見て驚きました。


ワタクシは、案内してくれたマダムのキャラに惹かれました。


何かはワカランが、なんか面白いし、人物の歴史を感じる人でした。


また会いに来たいかも。


帰りに駅への道順を訊いたら、


「坂を下りるだけ」


と言われました。


実際、坂を下りるだけだった。


駅から徒歩2分って距離。


その事実にごっつい驚いた。


ってか、もっと道路標識をバンバン出せば良いのに!!


建築的歴史資産があるのに、なんだかとても勿体無いなぁと思いました。


あまりにも暑い日だったので、


『高岡市万葉歴史館』と重文『勝興寺』、


『高岡商工会議所伏木支所』という見所は割愛しました。


またいつかリベンジするわ。




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富山県『高岡市伏木北前船資料館』が思った以上に良かった。

高岡市伏木北前船資料館
[高岡市伏木北前船資料館(旧秋元家住宅)]
屋号は本江屋(宿泊施設から廻船問屋に移行)
入館料は210円ですがJAFの会員証を提示すると160円に割り引いてもらえます。
〈市指定文化財〉



引網香月堂のお店の方に送って頂いたのがココ。


『高岡市伏木北前船資料館』です。


最近のワタクシのブームか北前船で財を成した人の邸宅を見るってことでして、


高岡駅から氷見線に乗ってわざわざ伏木まで参りました。


以前見た岩瀬の森家は写真撮影厳禁でしたが、


こちらは「どうぞ、どこでもご自由に」と受付のマダムに優しく言って頂きました。


高岡市伏木北前船資料館
入口すぐの間にある部屋の襖が今までに見たこともないぐらいゴージャスでした。
高岡市伏木北前船資料館
襖の引き手は七宝か!?
襖には麻が貼ってあるっぽい。

高岡市伏木北前船資料館
壁の漆喰が淡いブルーなのが驚き。
かっけー!!!!!

高岡市伏木北前船資料館
望楼に向かう通路にあるガラス。
色ガラスですぞ!!
配色もオシャレです。

高岡市伏木北前船資料館
[市内で唯一残されている望楼]
高岡市伏木北前船資料館
望楼に登るにはデブには危険な狭い急階段を使わねばなりませぬ。
転がり落ちる方が身体が挟まって抜けないよりマシって感じ。

高岡市伏木北前船資料館
望楼からの眺望。
海も見えますぞ。

高岡市伏木北前船資料館
望楼から階下を見た景色。
屋根瓦って格好良いですよね。



暑い日に、冷房の無い施設を見学するには気合が要りますが、


望楼に登れば開口部から流れ込む風が心地よく、長らく居座ってしまいたくなります。


冬は寒いらしいけど。


一つ一つの建築材料が高価で、見た目に心地よくて一見の価値のある空間でした。


襖などの骨董品を集める気持ちが理解できた気がします。



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