sava!

興味あるものを 興味ある人に。

私は諦めを敵とする。 私の日々の努力は実にこの諦めと闘うことである。 (北条民雄)

石垣

皇居東御苑の名残の紅葉。

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12月24日に皇居東御苑に居る日本人は少ないようで、

入口で英語で話しかけられた今日のワタクシ。

どうやら外国人ツーリストだと思われたっぽい。

実際この日は外国人ツーリストが多く、

「ここは公園なのか宮殿なのか?」と訊いている人を見かけました。

それは答えるのが難しい質問だなぁと思ってみたり。

今日は大手門から入り、平川門から出るルートで散策しまして、

天守台を望むものの割と最短ルートで進んでみました。

猛烈に喉が渇いていたので早く水分チャージをしたい一心で歩く。

水筒を持ってくればよかったと大変後悔しました。

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石垣が脹らんでいる箇所があるのか、ネットが貼られていました。

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あまり人が居ません。

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今日は快晴なので天守台もスッキリ映る。

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石垣と遠くに見える高層ビルとの対比が良いなぁと思った梅林坂辺り。

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名残の紅葉が見られました。

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紅葉の手前は梅の木だったと思う。
そこに綺麗な鳥が止まっていました。
どこに居るか分かりますか?
(クリックで拡大)

image加工
実は白丸で囲んだところに居るんです。

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三の丸尚蔵館前で桜が咲いていました。寒桜?

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ちょっと咲くのが早い気がする。

季節的に枯葉や落葉した木々が多い中、紅葉が見られたのは良かった。

ちょっと得した気分になりました。

桜も咲いていて、季節感に惑うけれども。

空気が澄んでいてとても良い散策日和でした。

梅が咲いているところもあったので、

来年は早めに梅林に行く方がいいかもなぁ。

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三の丸尚蔵館の新施設の外観がほぼ出来上がっていました。
(開館は令和5年秋を予定)



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【皇居東御苑】

東京都千代田区千代田1-1
開苑時間 9:00~16:00
休苑日:月曜、金曜、年末年始(12月28日~翌年1月3日)ほか
宮内庁:https://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html


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JR飯田橋駅のホームから牛込御門の石垣を見る。(こんな景色だったっけ?)

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今日唐突に気になったのですが、

JR飯田橋駅のホームから牛込御門(牛込見附)の石垣を見たら、

なんだか色々刈り取られた気配ありありの光景になっていました。

こんな景色だったっけ? というぐらい違和感がある。

たぶん、またまた桜の樹などが伐採されたのではないかしら?

(桜の樹ではないかもしれませんが)

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少なくとも、法面(のりめん)は緑化改修されそうですよね。

それ以外にどのような改修がなされるのか気になるので、

今後も注目しようと思います。



飯田橋駅前地区 基盤整備ビジョン - 新宿区


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皇居東御苑で石垣を愛でる。

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江戸時代に大阪城が幕府の直轄地だったと初めて知った今日。

東御苑の土産物屋で見つけた地図を買うかで結構迷いました。

500円だったら買っちゃえよって感じですが、

持ち帰るのが面倒だったのと、

見終わったらただの紙になっちゃうってことで躊躇い、

結局買い控えしてしまいました。

その代わり記憶力のないワタクシにしては珍しく、

記憶に残る内容でした。

ふむ。あれをテーマに諸国を歩くのも良いかもしれん。

と思ってみたり。

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さて、江戸城には当たり前ですが贅沢な石垣が沢山残っています。

度重なる災害で都度修復されているとはいえ、

修復してまで残そうと思えるところがスゴイ。

関東大震災での石垣の被害について面白い論文があったので、

以下にリンクを貼っておきます。

関東大震災後の旧江戸城石垣の復旧に関する研究 - 土木学会 ]

こうして見ると、築城から現在に至るまで、

石垣には多くの人の手が入っていることが分かりますな。

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現在の汐見坂

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明治初期の汐見坂と比較してみると妄想が捗ります。

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出典はこちら


汐見坂の石垣は結構面白くて、

坂を上った先の左右で石の組み方が違うんですね。

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「亀甲積み」の美しい石垣。

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ピッタリと辺が合わさった美しい形状で、
ずーっと眺めて居られます。

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こちらは「打ち込みハギ」という積み方。
すき間には間石(あいいし)といわれる小石を詰めてあります。

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白鳥濠の石垣は「打ち込みハギ」といわれる積み方で、
家康時代に築かれた城内最古の石垣だと言われていました。

白鳥濠の石垣が最古だと言われていましたが、

今年、「三の丸尚蔵館」の建て替え工事現場から、

最古級の石垣が発見されたそうです。

って、どちらも江戸初期だから同じ時期なのかもしれませんが。

江戸城の石垣は伊豆半島産の安山岩が使われていますが、

今回発見された遺構は利根川水系のものらしき石材が含まれているそうです。

残念ながら崩壊の恐れがあるため埋め戻しされるそうですが、

石の違いを見てみたいので、展示してくれることを期待しています。

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石垣といえば、上の石垣が気になっています。

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これ、何なんですかね?

今度詳しそうな人に訊いてみようと思います。

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天守の石垣は加賀藩によるもので、
瀬戸内海から運んだ花崗岩で造られているとか。

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上に行くほど石が小さくなっています。

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基礎の埋まっている部分も興味深い。

行く度に様々な発見がある江戸城の石垣。

もっとマニアになったら、より楽しめるんだろうなぁ。

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2021年12月の開苑日になります。


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【皇居東御苑】

東京都千代田区千代田1-1
開苑時間 9:00~16:00
休苑日:金曜、月曜、年末年始ほか
宮内庁:https://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html


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茨城県日立市『日鉱記念館』の鉱山資料館の木組みがスゴイ。【日鉱記念館その参】

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今回、一目見てみたいと思っていたのが、鉱山資料館。
1944年(昭和19年)に建てられた木造のコンプレッサー室です。第2次大戦中で鉄鋼材が不足していたなか建てられたもので、クレーンを吊る走行枠が強固に木材で組まれている点が圧巻です。

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外観は大変シンプル。
日本各地にありがちな建物です。


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日立空襲でも被害に遭わなかったんですね。


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金属製機械類と木造の骨組みとのコントラストが秀逸。

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これほどの空間を木材だけで維持する技術がすごいなと感じます。

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この正面の部分にクレーンの重量が架かります。

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このクレーンを支えることが木材でもできるんですね。

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天井部分の採光部はトタンかしら?

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削岩機のコレクション。
時間がないのでスルーしました。


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外壁は木の板で、節目が外れて穴が空いていました。
寒いよね~と思ったけど、
コンプレッサー室だからそれでもいいのかと納得してみたり。


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少し離れて見た旧コンプレッサー室の建物。

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奥の廃墟っぽい構造物も気になりますが、
手前の野面積みの石垣が特に気になりました。


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別の角度から見た廃墟のような構造物。
コンクリートブロック積みってことは、昭和時代の建造物ですね。


さて、日立鉱山で工作課長という役職に就いていたのが、後に日立製作所を創設する小平浪平(おだいら なみへい)です。
工作課は日立鉱山で用いる土木、電気、機械の修理等を一切引き受ける部署でした。
1910年(明治43年)に国産初の5馬力誘導電動機(モーター)を完成させ、1912年(明治45年)に日立鉱山から独立して久原鉱業所日立製作所となり、1920年(大正9年)に日立製作所が設立されました。
なお、日立製作所では、1910年(明治43年)が創業年とされています。
そういえば日立製作所の子会社に、建機を作る会社・日立建機もありましたね。
ってことを思い出したのが、下の掘削機です。

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[自走式 長孔削孔機]

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フィンランドのメーカーって、サンドビックかな?

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この個所の摩耗が激しいんですけど、何故なんだろう?

ここは近代化遺産として多くの見学者が居てもおかしくない施設だと感じます。
日立市の歴史がぎゅぎゅっと詰まっているというか。って、鉱山という断片ですけれど。
それはそうと、バスで走行中に見た、文化財じゃね?的に気になる建物。
実は日立鉱山に付随するものだと、この記念館で知りました。

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[旧・共楽館(現・日立武道館)]
1917年(大正6年)に完成した、日立鉱山の福利厚生施設(劇場)。
国の登録有形文化財です。


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いろいろ説明が書かれていましたが、時間が無くてすっ飛ばしました。

小平浪平生家を見たのがきっかけで、今回、日立を訪れましたが、肝心の「小平記念館」は会社敷地内にあるため土日は開いておらず、見学は叶いませんでした。見学のハードルは高そうなので、今後も見学できる可能性は低そうです。
でも、まあ、駆け足でも日鉱記念館を見ることができ、日立市滞在は概ね満足かな。



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【日鉱記念館】

茨城県日立市宮田町3585
開館時間 9:00~16:00(入館受付は15:30分まで)
休館日:月曜、祝、年末年始、会社記念日(10月第2週金曜)など
入館料:無料
※予約が望ましい(ネット予約
https://www.nmm.jx-group.co.jp/museum/
JR常磐線日立駅中央口①番乗り場:日立電鉄バス東河内行き⇒「日鉱記念館前」停留所(約25分)
バス運賃:440円/上記バス停間片道 ※SuicaなどのICカードは利用不可

※バスの本数は土日祝日で一日5本(2019年3末現在)
日立駅からタクシー(約20分)


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新潟県魚沼市『重要文化財 目黒邸』は映画「藏」のロケ地だったところです。

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 ワタクシは松たか子さんのファンです。ファンクラブなどには入っていませんが、注目しております。
 そんな松さんが宮尾登美子さん原作のNHKドラマ『藏』に主演して以来、『藏』という映像作品のファンにもなりました。後に公開された映画も、映画館に観に行っております。
 その映画のロケ地になったのが、魚沼市にある『重要文化財 目黒邸』です。建物は平成7年から一般公開されておりますが、かなり不便な場所にあるため、今まで行けませんでした。
 このままでは、行けないまま年をとりそうな気がしてきたもんで、今回、「なにがなんでも」という気合を入れて足を運んで参りました。

目黒邸

 旧守門村の中心部にある目黒邸は寛政9年(1797年)に建てられた割元庄屋の役宅を兼ねた豪農屋敷です。割元庄屋とは、代官・郡代と庄屋の中間に位置した大庄屋のことです(地域によっては大庄屋、大名主、大肝煎などとも称される)。数村から十数村を統括し、法令の伝達、年貢や諸役などの割り振りを行ない、さらには藩から与えられた警察・裁判権を行使していました。

 目黒家は、戦国大名の会津蘆名氏に仕えた中世武士の系譜をひく家柄で、天正18年(1590年)に帰農しました。初代善右衛門が慶長年間に上條郷15ヶ村の肝煎役を勤めた以降、代々小出須原郷一帯の大庄屋職も勤めていたそうです。

 明治時代になると、第15代当主の目黒徳松と、その子である第16代の目黒孝平の2代に渡り衆議院議員を務めました。Wikipediaの「第2回衆議院議員総選挙」に目黒徳松の名前があります)

目黒邸

 主屋は一部二階、寄棟造、茅葺。
 桁行十六間・粱間六間という豪壮な造りですが、それ以前の住宅は現在よりはるかに大きいといわれています。
 南面西端主屋に接続する新座敷(橡亭)は、2階建、寄棟造、銅板葺で、目黒家最盛期の明治34年に建てられました。
 蔵は籾蔵・米蔵など7つほどありましたが、現存するのは中蔵と新蔵のみ。
 かつてあった酒蔵は大正時代に曳家で移動し、現在は玉川酒造の敷地にあります。

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クリックで拡大
主屋や新座敷、土蔵、屋敷地は国の重要文化財に指定されています。
文化財登録名は「旧目黒家住宅(新潟県北魚沼郡守門村)」です。


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冠木門(かぶきもん)は雪に埋まっていました。

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打込接(うちこみはぎ)乱積の石垣。

目黒邸
玄関を入ると途端に視界が暗くなります。

目黒邸
開口部から射し込む光で、次第に目が慣れてきます。

目黒邸
説明書きには炉地とあるけど、地炉ではないか?と疑問に思っています。
この地方の言い方なのかしら?


目黒邸
開館中は火が入れられ続けている囲炉裏

目黒邸
土間から見た茶の間。
『藏』のイメージが湧きますわ(でもロケでは使われていないと思う)。


目黒邸
茶の間から見た土間と地炉。
靄っているのは囲炉裏の煙です。

目黒邸
広間から、槍の間、中の間を望む。
欄間が結界っぽくって立派。


目黒邸
槍の間の引き戸は凝っていて、
ベンガラが塗られているし、黒柿が使われているっぽい。


目黒邸
奥の座敷の開口部の障子も凝ってます。

目黒邸
ところ変わって浴室の天井。

目黒邸
浴室には入れないので手を伸ばして撮影。
随分と立派な浴室ですね。(洗い場が)
どんなり広くても浴槽は足を折って入るタイプだというのが面白い。
右の床面にあるのは人孔かしら?


目黒邸
風呂釜がチラリと見えますが、薪をくべるタイプかしら。

目黒邸
この光景がワタクシの『藏』という作品のイメージです。

目黒邸
チケットを販売している建物の正面には、
重要文化財の証書がかなり上の方に掲示してありました。

 守門(すもん)地域のシンボルである『重要文化財 目黒邸』。維持するのは相当大変のようです。豪雪地帯ですしね。敷地が広ければ広いほど、建物が多ければ多いほど維持費は嵩むわけで。

 何はともあれ、映画「藏」の世界を垣間見られて、妄想が捗りました。
 もう一度、ドラマの「藏」を見たいもんです。


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【重要文化財 目黒邸】

新潟県魚沼市須原890
開館時間 9:00~16:00
休館日:年末年始
目黒邸資料館入館料:200円
(JR只見線 越後須原駅から徒歩5分)
※JR只見線の駅にはコインロッカーがありません
https://www.city.uonuma.niigata.jp/megurotei/


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静岡県静岡市『静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)』の計26棟が国の重要文化財に指定されています。【その弐・麓山神社】

麓山神社

賎機山(しずはたやま)の麓にある『静岡浅間神社』は、

神部神社(かんべじんじゃ)、浅間神社(あさまじんじゃ)、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)

三社の総称です。

境内にあるそれらの社とは少し離れた賎機山の上に、

麓山神社(はやまじんじゃ)はあります。

こちらの建物も重要文化財にしていされておりますもので、

高所恐怖症気味ではありますが、必死に階段を昇降して参拝して参りました。

いや、もう、かなりここで神経がすり減りました。

身延山久遠寺の時も相当ヤバかったけど、

背中から転がり落ちるんじゃないか感は、こちらの方が上でした。

再訪するのは、ちょっと自信が無いです。

麓山神社
登るのが楽勝に見えるでしょうが、踏面が狭くて、
高所恐怖症気味のワタクシにはかなりハードルの高い階段でした。
登り切った場所で、ご高齢のマダムに「頑張って」と励まされる・・・


麓山神社
これがワタクシノ命綱。
鎖ゆえ不安定なので心許ないです。
蹴上に付着した桜の花弁に意識を集中させつつ登ります。


麓山神社
登り切って階段を振り返ってみると、かなり勾配が急だとわかりますね。
登り切ってから直ぐに、下りが心配になるワタクシ。


麓山神社
階段を登り切っても油断はできないらしい。

麓山神社
階段はまだ続きます。
4月5日が廿日会祭例大祭だったからか、
境内にはぼんぼりが設置してありました。


麓山神社
まだまだ続く道と階段。本当に山なんですねぇ。
標高171mですけど。


麓山神社
最近、石垣にトキメキを覚えるようになりました。
こういう整然とした石垣も好きです。


麓山神社
[麓山神社(はやまじんじゃ)]
古来より賎機山山上に鎮座していた神社らしいです。


麓山神社
麓山で「はやま」とは読めなかったわー。

麓山神社
ここでは浅間神社の祭神である木之花咲耶姫命の父神、
大山祇神(オオヤマツミノカミ)を祀っています。
やはり富士山周辺の神社には欠かせない社なんですね。


麓山神社
[麓山神社拝殿]
国指定重要文化財
面白いことに、拝殿の両脇に随身像があります。


麓山神社
なかなか立派なお顔立ちの随身。
(向かって左側;若いほう)


麓山神社
横顔が凛凛しい随身。
(向かって右側;年取ったほう)


麓山神社
正面から見ると、素晴らしい福耳であることが判明。

麓山神社
文政3年起工、天保5年竣工。
昭和時代に色を塗り替えていると思われます。


麓山神社
極彩色の拝殿であることが見て取れますが、
退色が進んでいるようです。


麓山神社
この蟇股は馬・・・なんでしょうね。

麓山神社
[麓山神社中門]
国指定重要文化財
無論、内部の見学はできません。


麓山神社
[麓山神社本殿]
国指定重要文化財
黒という色が最も早く褪せるものなのかしら?
と透塀を見て思ってみたり。


麓山神社
[麓山神社透塀]
国指定重要文化財
結界感が半端ない透塀ですね。
視線より高い位置にあるため、余計にそう感じます。


麓山神社
拝殿(左)と本殿(右)。

麓山神社
破風の奥に細かい彫刻が見えます。

麓山神社
屋根は向かって左側が長い、流造(ながれづくり)となっています。

麓山神社
懸魚は蕪懸魚。

麓山神社
これは白象かな。
左側の背景は板に絵を描いているんですね。


麓山神社
周囲が笹だから、この尾が長い鳥は雀なのか?

麓山神社
色は褪せていますが、もの凄く絢爛豪華な手挟み。
色の塗り方がべたーっと均一ではないので立体感がありますね。


麓山神社
出組(でぐみ)の色彩も細やか。

麓山神社
金彩の獅子。
腕の筋がかなり力強い。


麓山神社
まるごと重要文化財。
2007年(平成19年)に「刑務所に入りたい」という理由で
拝殿に放火を試みた50歳代無職の男が居たそうです。
路上生活者で、暑い夏に耐えきれなかったらしいです。
ってか、なにしとんねん。


麓山神社
透塀の屋根瓦には草が茂り始めていました。
瓦の水分量が多くなっているんでしょうね。

素晴らしい社で、ずーっと見ていても飽きないほどだったのですが、

実はここ、ハイキングコースの脇にあるんです。

ゆえに背後を複数のハイカーが「こんにちは」といって通り過ぎて行きます。

それに「こんにちは」と応えていたのですが、

次第に、この先にあるものが気になりだして、ちょっと登ってみることにしました。

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よく整備された坂を上っていきます。
(細長い山の先端にいると思ってください)
ワタクシはここを登らず、反対側の崖側から山頂に向かいました。
二度とは来ないだろうと思って。
崖だから太ももがぞわぞわするのですが、
立派な巨樹などがあり、なかなか良いところでした。
片側は柵のない崖ですけどね。しかもこの日は強風。


八千戈神社
山から見た社殿。
これは中門と本殿だと思われます。

賤機山
山が細長過ぎて、どこが頂上かは謎ですが、
山頂っぽい付近から静岡市街を見下ろしたところです。
しかし、ワタクシには方角が全く分かりませんでした。
想像するに、左側に見える山辺りが日本平なのか?


賤機山
昔は麓と山頂を結ぶリフトがあったらしい場所。
今は何もない公園になっています。


賤機山
この先に何があるんだろうと思って歩き続けて来ましたが、
際限がないっぽいので、この辺りで引き返しました。


この日はかなりの強風が吹いており、

その風で髪はぐしゃぐしゃになりました。

しかしおかげで煩悩っぽい何かも吹き飛ばされた感じがしました。

108つ以上ある煩悩の、何が吹き飛ばされたのかは謎ですが。

麓に降りる際、あの急階段にビビっていたのですが、

素晴らしくご高齢のマダムがサクサク登ってくるのを見て、

負けん気が湧き、そのアドレナリンで無事下山することができました。

降りる際、足元しか見ませんでしたけどね。

立ち止まったら降りられなくなった自信がある。

さて、これから麓の八千戈神社をじっくり観たいと思います。

その参】につづく。



麓山神社
【麓山神社(はやまじんじゃ)】
主祭神:大山祇命、日本武尊

【静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)】
静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
正式名称:神部神社・浅間神社・大歳御祖神社
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兵庫県神戸市『太山寺(たいさんじ)』の本堂は神戸市唯一の国宝建築物です。【その壱】

三身山 太山寺
[太山寺(たいさんじ) 本堂]
建立期:鎌倉後期永仁年間(1293年~1299年)

国宝


神戸市内で国宝に指定されている唯一の建築物がある『太山寺(たいさんじ)』。

国の重要文化財に指定されているものは、仁王門、阿弥陀如来坐像をはじめ18件。

なのに全国的認知度はかなり低いと申せましょう。

ワタクシの周囲の認知度は関西出身者を含めてもゼロでした。

南北朝時代に、南朝方勢力として支院41ヶ坊に僧兵を有していた太山寺。

現存する支院の一つである安養院には、

安土桃山時代の枯山水名園があり、国の名勝に指定されています。

本日は母と三宮駅から神戸市営西神・山手線(西神中央行)で伊川谷駅まで行き、

伊川谷駅からタクシー(1,080円/片道)で現地に向かいました。


太山寺 仁王門
[仁王門]
国指定重要文化財


太山寺 仁王門
新西国三十三箇所25番札所でもあります。
ちなみにココにバス停があります。


太山寺
バスの時刻がわかり易く1時間に1本。

太山寺 仁王門
他の場所にあったものを現在の場所に移築したと伝えられています。
室町時代中期の建築物で、入母屋造、本瓦葺、八脚門。
棟高は8mあります。


太山寺 仁王門

太山寺 仁王門
仁王像は菱格子で覆われています。

太山寺 仁王門
阿行(あぎょう)像を隙間から激写。

太山寺 仁王門
ガラスらしきものが填め込まれた眼球。

太山寺 仁王門
もっと詳しく見たいものの、格子で見えません。

太山寺 仁王門
吽形(うんぎょう)像。

太山寺 仁王門
仁王門の周囲に車道があるため、柵が設けられています。

太山寺 仁王門
屋根瓦は比較的新しい感じ。
鬼瓦が見えますが、表情までは見えませんでした。


太山寺 仁王門
もしかしたら鬼瓦だけは古いものなのかも。

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仁王門を出て、参道を歩きます。
途中のあぜ道に土筆が生えていました。


太山寺
広大な駐車場の奥にあった石垣。
城の石垣のような反りが見られます。


太山寺
基礎になっている石はかなり大きな一枚岩みたい。

安養院
太山寺は、支院41ヶ坊・末寺8寺・末社6社を有していたそうですが、
現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の5坊が残っているのみ。


安養院
[安養院(太山寺安養院庭園)]
石組みで表現した枯池式枯山水が見られるそうです。


安養院
安養院庭園(国指定名勝)の一般公開予定日は
4月27日~5月5日。


安養院

安養院
わき道から安養院内にある江戸時代中期の茅葺民家が見えます。

中門
[中門]
門をくぐった左側に受付があり、300円の拝観料を支払います。
震災の影響なのか、石段のずれが散見されました。


三身山 太山寺
[手水舎]

三身山 太山寺
手水鉢は大きな石をくり貫いたもので、
ワタクシにはかなり良いものに見受けられました。


三身山 太山寺
国宝への階段。
本堂は寺院建築には珍しい蔀戸(しとみど)が見られます。


三身山 太山寺

太山寺 本堂
蔀戸の上部が持ち上げられ、下部が撤去され、
開口部となっています。


太山寺 本堂
本堂は密教本堂式と呼ばれる形態です。

太山寺 本堂
この黒い開口部が蔀戸(しとみど)。

太山寺 本堂
桁行7間、梁間6間。

太山寺 本堂
懸魚は猪目(いのめ)懸魚。

太山寺 本堂
本堂外陣。
昭和39年(1964年)に解体修理され、内外の朱も塗り直されています。


太山寺
側面は蔀戸はごく一部だけで、他は板戸などになっています。

太山寺 本堂
本堂正面の石階段。
木製じゃなくて石段ってところが安定していて良いですね。


太山寺 本堂
白漆喰の亀腹(かめばら)。
震災では、この亀腹に亀裂が入ったそうです。


太山寺 本堂
朱塗りの柱と黒塗りの蔀戸、白漆喰の壁のコントラストが良いですね。

太山寺 本堂
本堂前の梅が満開でした。

_IMG_5361
杏と梅の接木と書いてありますね。

三重塔
梅越しの三重塔。

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_IMG_5363
地面には埋めの花弁が舞っていました。見ごろは過ぎているようです。



その弐】につづく。


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そしてこれから桜が見ごろに。



太山寺
【太山寺(たいさんじ)】

兵庫県神戸市西区伊川谷町前開224
宗派:天台宗
本尊:薬師如来、十一面観音
創建年:霊亀2年(716年)
開基:藤原宇合
新西国三十三箇所 25番,神戸十三仏霊場 4番,神戸六地蔵 1番,
播州薬師霊場 1番, 明石西国観音霊場 26番,明石西国観音霊場 23番(龍象院)


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静岡県静岡市『日本平山頂 吟望台』から富士山を望む。

日本平

本日は千葉県民Tと二人で日本平の久能山東照宮にやって参りました。

参拝後、ロープウェイを利用して山頂まで戻り、展望台に行ってみることにしました。

本日は快晴でしたし、富士山が綺麗に見えるんじゃないかと思って。

実際に展望台から見る富士山は若干もやってましたが裾野まで綺麗に見えまして、

階段を登って良かった&夏じゃなくて良かったと、大変満足した次第です。

日本平
日本平ロープウェイの久能山駅から見た駿河湾。
下のビニールハウスでは苺を作っているそうです。


日本平
日本平ロープウェイの中から見た駿河湾。
若干水平線があやふやになって来ました。


日本平
日本平ロープウェイの日本平駅付近から見た駿河湾。

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久能山駅付近の売店で売っていた御利益のありそうなお酒。

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日本平ロープウェイの日本平駅で売っていた不思議な富士山グッズ。

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意外とお高いです。

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見たことが無かったもんで、日本平駅の売店でアイスを買ってみた。
ワタクシが選んだのは下の小豆のみのやつ。


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相変わらずの固さ。
しかし、甘ったるくない後味は「ゴールド」な気がする。


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千葉県民Tのアイスの棒には「ゴールド」と書かれていましたが、
ワタクシのものはただの棒でした。
一瞬、当たりなのか?と思った。


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バスが一時間に一本しかないため、駐車場にある露店でお買い物。

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桜エビの粉を350円で購入。
炒飯に入れても美味しいそうです。


日本平
展望台から見た富士山。
眼下に広がるのは清水区の街並みと清水港です。


日本平
ズームしてみた。
意外と、が無い気がしますね。


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河津桜は満開でした。

久能山には徳川家康より前に、武田信玄が久能城を築いていました。

その石垣が残っている場所がロープウェイの日本平駅にあります。

周囲が工事中でよく見えなかったのですが、

探せば久能城の遺構は残っているのかもしれませんね。

日本平


【日本平山頂 吟望台(ぎんぼうだい)】
静岡県静岡市清水区草薙
JR静岡駅から日本平行きのバスが出ています。
乗り場は北口11番。
片道580円でSuicaが使えます。

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富山県南砺市城端『土蔵群 蔵回廊』がカッコイイ。

土蔵群 蔵回廊



城端で見たかったのは、『蔵回廊』と呼ばれる土蔵群。


1903年頃に銀行家の野村利兵衛氏が自宅とともに建造したもので、


第2次世界大戦後に住宅は解体されましたが、


土蔵は保存・活用するため展示施設として改修されました。


現在は曳山会館に直結して、館内から城端地区の歴史に関する資料展示などを見ることができます。


入館料は510円。


今回は時間が無かったため外観のみの見学に留めました。


土蔵群 蔵回廊
緩やかな坂に沿って湾曲して蔵が並んでいます。
この土蔵は「とやまの土蔵」百選にも選ばれています。


土蔵群 蔵回廊
この土蔵は、野村家2代目当主野村理兵衛が、呉服商で財をなして野村家の基礎を築き、3代目野村理兵衛が業況を盛んにすると共に金融界の動きを洞察し、明治36(1903)年、大工町に県西部有数の高級建築といわれる豪壮な邸宅と土蔵を新築したもの。
邸宅は、大正6(1917)年には第九師団検閲使の閑院宮戴仁親王殿下の宿舎を仰せつかるほどだった。
城端では、絹織物に対する荷為替の地方銀行がなかったため、明治26(1893)年に荒木文平と野村理兵衛等の共同出資による砺波銀行が創設され、その後、野村理兵衛は明治30(1897)年、野村貯蓄銀行(後に野村銀行と改名)を設立した。
昭和7(1932)年、砺波・野村両行は砺波銀行として合併。更に砺波銀行は高岡銀行に併合され、満州事変により全面的金融統制に入り銀行合同政策が促進され、富山県下(第十二・高岡・中越・富山)の4銀行が合併し、現在の北陸銀行になっている。

土蔵群 蔵回廊
しっかりと組まれている石積みと階段。

土蔵群 蔵回廊
石と煉瓦と木と漆喰の見事な融合。
石の積み方がアートですね。


土蔵群 蔵回廊
高温で焼き、叩くと高い音が出そうな煉瓦。
沈み目地で立体感が出ています。


土蔵群 蔵回廊
建物ってアートだよなぁと感じる風景です。



県か市かで文化財に指定されているのかは不明ですが、


指定されていても納得のたたずまいです。


ここだけ切り取っても雰囲気のある街って感じですもの。


一度、雪の日に見てみたいです。



土蔵群 蔵回廊
【土蔵群 蔵回廊】

富山県南砺市城端579-3
営業時間9:00~17:00
休業日:年末年始


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群馬県高崎市『榛名神社』はパワースポットとして若い娘さんたちに人気の場所なんだそうです。

榛名神社


青春18きっぷの最後一回分を利用して、群馬県の榛名神社にやって参りました。

昨年から行こう行こうと計画し続けて居たものの、

数々の事情により今日まで保留になっていた目的地です。

ようやく達成することができ、大いなる満足感を得ております。

今年から23億円を掛けた大修復に入るもんで、

その前にどうしても一度、今の姿を見ておきたかったんです。

かなり早朝に起床し、夜が明けないうちに高崎駅まで移動。

その後はバスに乗って榛名神社で下車致しました。

バス乗車時間は約1時間強、運賃は1,100円です。

タイミングが合わなくてタクシーにしようかと料金を訊いてみたのですが、

片道約8,000円は掛かると言われて仰け反りました。

バス料金の安さを実感しました。

さて、バスに乗った約半分の人たちが下車した榛名神社バス停から、

緩やかな上り坂になっている参道を通って神社を目指します。

この日は生憎の霧雨で、傘を差そうか差すまいかで数分おきに迷いました。

気温は暖かかったです。

榛名神社
鳥居を潜って自力での参拝がスタートです。

榛名神社
本殿・拝殿を目指して左下の随神門から登って行きます。

榛名神社
[随神門]
国指定重要文化財
弘化4年(1847年)建立。
昔は仁王が置かれた仁王門でした。
神仏分離で、現在は随神が配されています。



榛名神社
榛名神社
向かって右と左の随神像。
弓などは持っていないんですね。


榛名神社
江戸後期の北関東を代表する優品と言わる随神門は、
今回の大規模修復工事の対象には含まれていません。
ゆえに少なくとも向こう8年間はこのままの姿だと思われます。


榛名神社
随神門正面側の唐破風にある兎の毛通し。
これは鶴かしら?


榛名神社
見えにくいので別の角度から。

榛名神社
うん、鶴ですね。
でも、兎の毛通しに鶴って、ちょっと珍しいかも。


榛名神社
この随神門は、三間一戸八脚門になっています。

榛名神社
扁額の名前までは読み取れませんでした。

榛名神社
内側から見た随神門。
入母屋造、前後軒唐破風付、銅板葺になっています。


榛名神社
結構混むらしいので、気が急いて、じっくり見ては居られませんでした。
そもそも雨粒が邪魔で見上げにくい。


榛名神社
内側の兎の毛通しは鳳凰でした。
表の鶴より、こちらの方が格上じゃん。


榛名神社
門の先には石畳が続いています。
しかも山の上まで。
凄いな、この手間と費用が。


榛名神社
石塀のスタート地点に彫られた文字。
詳しくは分かりませんが、群馬県の古文書によると、
三之倉村という場所があったみたいですね。


榛名神社
「みそぎはし」と書かれた、
ある種の結界を通って本殿・拝殿に向かいます。


榛名神社
この橋の先に見える石垣も気になります。
法面(のりめん)整備のためなのか、
はたまた何かしらの建物があった跡なのか。
まあ、前者でしょうね。


榛名神社
川の向こう側にも石垣があります。

榛名神社
こちらは明らかに石燈籠が立っているので土台ってことですかね。

榛名神社
その石燈籠の上に「鞍掛岩」が見えます。
鞍というか、太鼓橋というか・・・


榛名神社
[鞍掛岩]
高崎市指定文化財
平成2年4月9日指定。


榛名神社
両脇が苔生している感じが個人的には結構ツボ。
この先への期待感が半端ないです。


榛名神社
ちょっと振り向いてみると、
なだらかに上がった坂だという事が分かります。
あまり階段がないのでラクかも。


榛名神社
参道脇には川が流れています。
それと無数の杉が植わっています。


榛名神社
崖の上に鳥居を発見。

榛名神社
この山道の先にも神社があるようですね。
ちょっと気になります。
靴が登山靴なら登っていたかも。


榛名神社
秋葉神社の文字が。
結構、ゆる字ですね。


榛名神社
一瞬、千年杉かと思いましたが、千本杉でした。

榛名神社
振り返ってみれば確かに樹齢100年経ってそうな杉が千本はあるかも。

榛名神社
細い樹も多いけど。

榛名神社
祠があったりもします。

榛名神社
お腹を撫でまわされたと思われる布袋さん。

榛名神社
ちょっと長い石段の登場です。
先に三重塔が見えます。


榛名神社
杉がまばらに生えているということは、森を管理しているってことですよね。
お陰様で三重塔が下からも見えます。


榛名神社
階段を上り切った先には、また鳥居がありました。

榛名神社
榛名神社
阿形の狛犬。

榛名神社
榛名神社
吽形の狛犬。

榛名神社
[三重塔]
文化財指定なし。
明治2年の建築です。


榛名神社
鳥居は昭和36年のようですね。

榛名神社
[御廰(庁)宣の碑]
榛名神社に伝わる「留守所下文」を彫ったものらしいのですが、
よく分かりませんでした。


榛名神社
動物の毛が使われている
古くなったハケ、ブラシ、筆の回収箱がありました。
ここに入れれば供養してくれるそうです。


榛名神社
トマトの碑なんてものもありました。

榛名神社

まだまだ道は続きます


榛名神社
【榛名神社(はるなじんじゃ)】

群馬県高崎市榛名山町849
主祭神:火産霊神(火の神)、埴山姫神(土の神)
創建:(伝)用明天皇元年(586年)


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山形県山形市『山形城址』は発掘調査・復元を目指しているらしい。

山形城址
[山形城]

日本100名城に選定されている山形城址

城郭構造の基礎は最上義光の時代に造られたそうで、

その後、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられました。

現在残っているのは、二の丸跡ぐらい。

建造物で現存するのは大手南門で、市内の万松寺山門として移築されているようです。

霞城公園
[霞城公園(かじょうこうえん)]
山形城二の丸の堀と石垣などの遺構を公園としたもの。


山形城址
2033年頃に本丸全体の発掘調査が完了予定。

石垣
これが昭和時代に一部修復された石垣。

山形城址
石垣の古い部分の上に新しいものが乗っているんですね。

山形城址
[山形城
]
これが上の案内板が示す箇所。


山形城址
色の黒っぽい下の方が元の石垣ってことですかね。

城跡と城址。

違いを今まで認識していませんでしたが、

城の建物あった場所と、城全体があった場所で区別していたりもするようです。

しかし、明確な区分は無いというのが正直なところっぽい。

ちなみに写真のキャプションを「城跡」にしているちころがありますが、

googleマップに書かれている“箇所”を参照しています。

同マップの中にも、城址と城跡の双方が書かれているんですよ。

山形城址
刻印についての説明もありました。

山形城址
指摘されてよく見ないと分からない刻印。
傷だと思えなくも無い。


山形城址
象形文字のような刻印。
でも指摘されないと判別できません。

日本100名城のスタンプが、この山形城址にもあるようです。

石垣しか残っていないのに、何処にスタンプ台があるのだ? と思う前に、

数分前まで見学していた場所に設置してありました。

旧済生館本館
旧済生館本館(山形市郷土館)の中にスタンプがありました。

旧済生館本館
[旧済生館本館]
国指定重要文化財(移築)。

最近思うのですが、

古い建築物や建設物を大切にする時代って平和なんじゃないかしら。

古いものを壊さないと新しいことができなかった明治や、

戦争などで消失してしまった時代を思うと、そう感じられます。

何はともあれ、城ってロマンがありますもんねぇ。

って、全然詳しくないけど。



山形城址
【山形城址】

山形市霞城町1-1
別名:霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)、吉字城
開場時間 [4~11月]5:00~22:00,[12~3月]5:30~22:00
定休日:無休


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群馬県富岡市『一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)』の経蔵址にある囲いが謎。


一之宮貫前神社


一之宮貫前神社の境内奥左手には、

明治時代の廃仏毀釈で所蔵の諸経典・仏像とともに破却された経蔵の址があります。

鬱蒼と茂った木々の下にあるので薄暗く、夏場は涼しそう。

否、冬場でも涼しい場所です。

正直、ちょっと怖い。

一之宮貫前神社
布積みの石垣。

一之宮貫前神社
崩れた箇所もあります。
一つ石が抜けても崩れないもんなんだねぇ。


一之宮貫前神社
石垣の途中にあるこれは水抜きかな?

一之宮貫前神社
角には成形された化粧石があります。
ここが経蔵かあった場所の入口。


一之宮貫前神社
[経蔵址]
明治から100年そこそこでこんなに樹が育つんですねぇ。
さすが、成長の早い杉は違うな。


一之宮貫前神社

一之宮貫前神社
石も埋もれています。
これはどこの部分なんだろう?


一之宮貫前神社
苔生す基礎石。

一之宮貫前神社
謎の一角。
でも囲いが壊れています。
こんなに整備された神社で、ここだけ荒れている感じ。
なんだか怖くて近づけませんでした。


一之宮貫前神社
御神土(御砂)取りの場所?


今回初めて知りましたが、「御砂取り」というものがあるんですね。

自分にとって吉方位に当たる方角にある神社で貰うものみたいです。

なんだか強いパワーのある砂だそうで、

一つまみで十分な力を発揮するそうです。

ただし、だいたいは御神木の根元にある土を配るものみたい。

気軽に貰って良いものではないそうで、

注意しないと穢れを持ち込むことになるっぽい。

御砂、コワイ・・・。

それはそうと、こんなに荒れた場所にあるなんて、

ここの御砂は大丈夫なんだろうか?

一之宮貫前神社
本殿の石囲いの上方に見えているのが経蔵址。


一之宮貫前神社
【一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)】

群馬県富岡市一ノ宮1535
主祭神:経津主命(ふつぬしのかみ)、姫大神(ひめがみ)
創建:(伝)安閑天皇元年(531年頃)


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日光山内。

東照宮




ユネスコの世界遺産である日光山内。



ワタクシは未だにまともにお参りをしてことがありません。



特に日光東照宮は、大昔にチラリと見たきりで、



有料拝観になった途端に、入るのを諦めたままです。



何故かここに来ると1,000円強を支払うのが惜しくなるという不思議。



もしかしたらワタクシは関が原で西軍側で戦った雑兵だったのかもしれん。



さて、ここで気になったのは、周囲に廻らされた石垣。



日光山内
石垣が大きく弛んでいます。

日光山内

先の震災で弛んだらしいのですが、建築物は大丈夫だったのかしら?




今年は台風の当たり年だけれど、大雨などで崩れたりはしないものかと、



ちょっと気になりました。



でも石垣を積み直すのは大変ですもんねぇ。



江戸城の石垣の改修も時間が掛かってたもんな。



石垣好きとしては、苔生した石垣に萌えるので、



もしいずれ積み直すならば、苔は生したままでお願いしたいなぁ



などと、難しいことを願ってみたりして。



それにしても、ワタクシは一体いつになったら日光東照宮に参拝するんですかね?



日光市山内の世界遺産、日光東照宮にある彫刻のうち、最も参拝客の注目を集める国宝「眠り猫」と、国重要文化財「神厩舎(きゅうしゃ)」の「三猿」を含む8面の猿の彫刻が、6月15日から40年ぶりの塗り直し修理に入る。表面の剥落が目立ってきたため。眠り猫は12月、猿の彫刻は来年3月に修理完了予定。三猿の修理作業は見学できるようにするという。
来年春には、「平成の大修理」を終える国宝の陽明門とともに、東照宮の三つの至宝がよみがえる。
眠り猫は周囲の彫刻も含めて幅110センチ、高さ33センチ。8面ある猿の彫刻は、1面が幅142センチ、高さ44センチ。いずれも最後に塗り直しされたのは1975年ごろ。近年は表面の剥落で下地が見える状態となっていた。(下野新聞より)




やっぱり、日光東照宮に行くのは、来年でいいかな。



日光山内
[五重塔]
重要文化財



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青春18きっぷを使った日帰り山形県米沢市の旅。【写真多用】

米沢市
[米沢市上杉博物館]

誰でも青春18きっぷが簡単に使えるようになるとワタクシが信じている

ジョルダンの青春18きっぷルート検索。

便利ですよねぇ。

それを使って今回訪れたのが、山形県の米沢市。

初、米沢入りです。

天気はそれほど崩れなかったものの、夕方に向けて曇天。

ワタクシの米沢のイメージは日本海側らしい曇ったものとして定着しそうです。

でも、なかなか面白かったんです。

下調べナシの行き当たりばったり旅でしたが、

色々とタイミングの良さが重なり、結構順調に日帰り旅を満喫することが出来ました。

今回知ったのは、宇都宮駅までは毎度お馴染みだったもんで、

そこまでは旅気分が皆無だったってこと。

黒磯から「旅だーっ」という気分が沸き上がり、

次のターゲットは郡山にしようと思うほど、郡山駅の雰囲気が気に入りました。

それはそうと、今回の旅の目的地、米沢市の極々一部でワタクシが見たものを

下に羅列します。

それなりに文化財とも出会えたし、

まあまあ満足できる旅でした。

日本酒も買ったし!

地図
米沢駅は下の方、松川を渡った先にあります。

舞鶴橋
[上杉神社]
米沢城址にあり、上杉謙信を祀っているそうです。
遠くからでも分かり易く、旗がはためいていました。
それはそうと、あれ? この橋って・・・


舞鶴橋
橋の袂に案内板がありました。
この橋が「舞鶴橋」だったんですね。
国登録有形文化財の橋の存在は知っていましたが、
ここにあったとは知りませんでした。
しかも意外と小さい・・・。


舞鶴橋
[舞鶴橋]
石造アーチ橋、橋長5m、幅員7m
欄干は凝灰岩。


舞鶴橋
径間は狭いんですねぇ。

米沢城址
遠景。

米沢城址
石垣が結構イイです。
丸石なんですねぇ。


米沢城址
米沢城址の濠。

門
駐車場に立派な門を発見しました。
さぞ名のある門に違いない・・・と思ったのですが、
結構ぞんざいな扱い。
瓦が落ちかけています。


門
門
分家という意味の紋なのかなぁ。

出羽の織座
[出羽の織座 米澤民藝館]
山形県米沢市門東町1-1-16
日本で唯一の原始布、古代織に関する参考資料館なんだそうです。


出羽の織座
営業時間 10:00~11:30、13:00~16:00

出羽の織座
ワタクシが前を通りかかった時は昼休み中でした。

出羽の織座

出羽の織座
結局、再び戻ってくることはありませんでした。
(外の暖簾がいいよね)


米沢市
途中で暖簾を販売しているお店を発見しました。
しかし、ものごっい入りにくい雰囲気。
ご用の方はベルを~的なものが引き戸を入って直ぐの場所にあるのは
流石にハードル高いわ。


米沢市
うーむ、読んでも何かワカラン。

米沢市
とても立派な木造建築物。
ネットなどで囲いがしてあるし、「山形県」という文字も見えるので、
今は人の住んでいない文化財候補だったのかもしれないと妄想しておりました。


蔵
ものすごく立派な家の通りに面してあった蔵。
6畳云々&入居者募集の文字があったので、部屋を貸しているのかしら?


高校
[米沢女子高等学校校舎]
国登録有形文化財(建造物)
木造2階建,瓦葺,建築面積1713㎡
昭和初期の建築物。

実は偶然通りかかり、その外観に「いずれかの文化財に違いない」と思っておりました。
市でも県でもなく、国の登録文化財だったんですねぇ。


高校
木造の校舎が、しかも大人数の使用に耐えなければならない建築物が、
こうして残っているのは素晴らしいですね。


消火栓
何故か地面から浮き上がった消火栓を頻々に目にしました。
よーく考えたら、雪に埋もれるから嵩上げしているんですかね?


ウコギの垣根
[ウコギの垣根]
米沢藩9代藩主「上杉鷹山(ようざん)公」が非常食にもなるからと奨励したと知り、
ずーっと見てみたいと思っていたんですよ。
駅前の展示垣根であれ、実際に見られて良かったデス。


ウコギの垣根
でも、芽吹いた頃に見るのが正解だったかも・・・。


さて、今回ワタクシが米沢市で購入した日本酒は以下のとおりです。

日本酒
[純米大吟醸 香梅(こうばい)]
醸造元:香坂酒造(株)
容量:720ml
原料米:山田錦100%
「日本酒の芸術品」という言葉に惹かれて購入しました。


日本酒
[袋吊り斗瓶囲い 大吟醸 山五(やまご)]
醸造元:浜田(株)
容量:720ml
原料米:山田錦100%
限定品らしく、ネットで探しても見つかりませんでした。
要冷蔵。


日本酒
こちらはお土産用に購入した「吟醸 香梅」。
一枚目と同じく、香坂酒造(株)のものです。


結構迷いますよねぇ、日本酒を買うのって。

まだまだ初心者なので、試していないものが多く、好みも定まりません。

東北は日本酒の商品が半端なく多いもんで、

好みとして定着するには、まだまだ時間がかかりそう。

途中の福島でもお土産店に半端ない数の日本酒が置いてあり、

これからの旅は東北に決まりだなぁと思ったワタクシです。

(北陸は無条件にぶらり旅エリア)

次は会津で飲んだくれるかな~。




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【東京建築物見学散歩】神田神保町付近から大手町までぐるり散策。

紅葉

未だにウォーキングシューズを購入していないワタクシです。

そんなワタクシですが、目指す場所も無く散歩に出てみることにしました。

総歩数は17,655歩。

めっちゃ歩いた気がする割には、20,000歩行かなかったというこの事実。

まあ、所詮数キロ程度の散歩ですもんなぁ。

ってことで、家からとりあえず神保町まで歩き、

その後、皇居方面に進路をとった次第です。

地図
写真でのスタート地点は神保町付近から。

日本野球発祥の地
[日本野球発祥の地 記念碑]
日本に初めて野球を伝えたとされる
ホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、
2003年(平成15年)に建立された「日本野球発祥の地」のモニュメント。


学士会館
[学士会館]
1926年(大正15年)6月着工、1928年(昭和3年)5月開業。
右側の低いほうが旧館、左側の高いほうが新館(昭和12年増築)です。


学士会館
学士会館
学士会館
外壁には昭和初期に流行したスクラッチタイルが使われています。
外灯は再建。


学士会館
[東京大学発祥の地 記念碑]
1862年(文久2年)蕃書調所が洋学調所と改称して当地に移り、
翌年に開成所と改め、1869年(明治2年)大学南校となりました。
明治6年には開成学校、明治7年には東京開成学校と改められ、
明治10年に東京医学校が合併して東京大学が創立されました。


学士会館
[新島襄先生誕生之地]
同志社大学の創立者である新島襄は
上野(群馬)安中藩三万石の板倉伊予守の家臣の子として、
藩上屋敷のあったこの地で生まれました。
毎年生誕日である2月12日には、
学士会館で生誕祭りが行われているそうです。


学士会館
角のカーブが昭和初期のビル建築っぽくってイイですね。

一ツ橋付近
近代的なビルの一角に建つ古びた灯籠。
何か曰くあり気な感じ。


灯籠
灯籠に鳳凰(かな?)って、初めて見たかも。

鳥
ぼちぼち鳥類図鑑を買おうっと。
で、これ、何鳥なのかな?


一ツ橋
[一ツ橋]
大正14年11月竣工とあります。


一ツ橋
石橋かと思いきや、鋼製の欄干があったりする。
なぜこの色にしたんだろう?
個人的には赤い方が可愛いのに~と思わなくもない。


一ツ橋
不思議な造りの橋脚部分。
基礎が石で橋の部分が鋼製なんですかな。


一ツ橋
部分的に石垣が現存しています。

一ツ橋
石かと思いきや、コンクリート製だったという事実。
中性化して剥落しています。


一ツ橋
日本橋みたいに洗えば綺麗に・・・ならんかもなぁ。

一ツ橋
案内板を発見。

一ツ橋

こんなところに御三家の屋敷があったんですねぇ。



平川橋から皇居東御苑へ


北の丸公園
北桔橋門から出た正面が、北の丸公園。
たま~に、ここで野うさぎを見ます。


北詰橋門付近
歩道橋を渡ります。
正面が竹橋方面、右手が皇居東御苑、左手が北の丸公園。


北詰橋門付近
歩道橋から反対側を見ると、正面が乾門方面です。

乾門
[乾門(いぬいもん)]
東京都千代田区千代田1
江戸時代にはなく、明治になってから建てられた京風の門。
新年一般参賀や、
12月7日まで実施されていた秋季皇居乾通り一般公開の出口となった門です。

乾門付近
乾門の向かい辺りにある案内板です。

銅像
北の丸公園で、誰かの銅像を発見。

銅像
乃木希典かと思ったら・・・


銅像
北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさ しんのう)でした。
陸軍軍人として台湾平定の英雄とされたそうです。


地図
今、ここ。

竹橋付近
竹橋を渡ります。

 東京消防庁
[東京消防庁]
東京消防庁は、東京都庁の内部機関で東京23区を管轄区域とする。


東京消防庁
消防庁は総務省の外局

将門塚
[将門塚]
東京都千代田区大手町一丁目2番1号外
伝承地は数か所あるが、ここが最も有名。


将門塚
一般的には「平将門の首塚」と称する。

大手町
大手町界隈
建築ラッシュで、至るところにタワークレーンが立っています。


大手町
ぼちぼち丸の内界隈に突入。

東京駅付近
東京駅付近
左手側のタワー辺り手前が東京駅八重洲口。


日本橋髙島屋付近
日本橋高島屋で、一旦ゴール。

この後、日本橋室町経由で帰路に着きました。

曇っていたのでハラハラしたけれど、

雨が降らなくて良かったです。




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千代田区一ツ橋一丁目の平川橋から『皇居東御苑』に入り、北桔橋門から出てみた。

平川橋
[平川橋]
平川門前の木橋。
現在の橋は昭和63年3月31日に改架されたものです。


皇居東御苑

今ココ。

皇居東御苑

平川橋
平川橋のコンクリートの橋脚上にある箱?が気になるのですが…

平川橋
これは何かしら?

皇居東御苑
竹橋方面を望む。

平川門
[平川門]
江戸城の裏門大奥に最も近いので大奥女中達の出入りする通用門でもあり 、
御三卿(清水・一橋・田安)の登城口でもあったそうです。


平川門
瓦の造形美が見事でどこを切り取っても絵になります。

皇居東御苑
漆喰部分の形も直線だけではないという…塗るのが難しそう~

平川門
鯱ってこうやって付いているもんなんですねぇ。←口の部分

平川門
輪違いに組まれた瓦が見事です。

平川門
[梅鉢懸魚]

平川門
罪人や死人はこの橋から出されたため、不浄門と呼ばれています。
浅野内匠頭や大奥の老女(←役職)絵島も、この橋から出されました。


平川門
とても重そうな木の大戸。

平川門
門の脇の出入り口は何処に繋がっていたんだろう?
それと階段になっている意味がわからん。


平川門
今更だけれど、門扉は内側に開くんですね。
引くより押す方が門を守りやすいってことかな?


平川門
梁はかなり太く、これを支えるにはかなりの太さの門柱が必要だと感じます。
武具を着けた武士が何人二階に乗っても大丈夫って気がしますね。


平川門
内側脇にも出入り口が。
これは二階の見張り用でしょうか。


平川門
内側から見た門。

平川門

皇居東御苑
Tの字に配された石垣は、力学的にはどういう働きがあるんだろう?

皇居東御苑
細かく積まれた石垣。

皇居東御苑
門を入ってからは、ゆるやかな坂道を上がっていきます。

皇居東御苑
なるほど、直ぐに梅林に行ける門だったんですね。
右手に行くと大奥方面。


皇居東御苑
石垣の上には真っ赤に彩られた紅葉がありました。

皇居東御苑
皇居東御苑
ミツマタ
[ミツマタ]

タチバナ
[タチバナ]

皇居東御苑
大奥があった辺り。
ビル群は大手町方面。


北桔橋門
[北桔橋門(きたはねばしもん)]
内側


皇居東御苑
[北桔橋門(きたはねばしもん)]
外側
重要地点にあるため濠は深く、石垣は最も堅固になっています。


皇居東御苑
石垣のカーブって、ほんと優美ですよね。

皇居東御苑
[平川濠]
この先が平川門


北桔橋門


平川門が不浄門だったということを初めて認識したワタクシ。

平川門を使って皇居東御苑に入るのも初めてです。

チラリと入ってサラリと出たい時には便利ですね。

平川橋は、再建されてはいますが、姿は昔のままなんだそうです。

ちょっと大奥女中気分を妄想してみたり。

もちろん、“不浄”という言葉に敏感なワタクシは、

別の橋を使って出たのでした。


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sava!プロフィール

sava

昭和生まれの大阪育ち。数十年前から母の実家の神楽坂エリアに生息。食,日本酒,旅,富山県,文化財(建築物),読書等を好み、当ブログではそれらにオマケ情報も加味しています。それなりの年齢になり、老眼とか更年期とか諸々の不具合も出て参りました。そんな多様な話をチマチマと記す日々です。
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