明治から昭和にかけて活躍した商家、斎藤喜十郎家の邸宅の一部を、
1997年に東堀通7番町から白山公園内に移築再建したもの。
明治40年(1907年)の建築と推定される。
当時この地で流行したらしい清水焼の灯篭。
様々な場所に清水焼の灯篭が置いてあります。
釉薬が掛かっているので、灯篭のイメージからするとちょっと異様。
館内は無料で見学可能。
珈琲などを頂く場合は、入り口で料金を支払います。
建物は国の登録有形文化財になっています。
[前座敷]
床の間は平書院を備え、赤松の皮付き丸太を使用した床柱があります。
[平書院(ひらしょいん)]
略した形式の書院で、床の間脇の縁側の壁に書院窓を設け、
付書院のような地袋や棚板がないものをいいます。
[円弧型の地袋]
和亭(1832~1901)によって描かれた「夭桃海物之図」。
引き手はひょうたん柄でしょうか。
天袋の引き手には鶴の意匠が見られます。
照明が近代的ですな。
欄間は色紙を貼ったかのようなデザインになっています。
金箔の菊が梅の蕊のようにも見えますね。
別室の襖引き手。
山という文字以外に何を模したものか分かりませんでした。
ちょっとお高そうな襖引き手。
襖紙もお高そうです。
お茶はどこででも飲めるのでしょうが、この日はこの部屋しか空いていませんでした。
珈琲にはチョコレートが付き、
抹茶の場合はお干菓子が付くらしい。
玄関の間にかかる扁額。
当時の書家であり漢学者であった長三洲(1833~1895)によって
「燕喜館」の名が付けられたものと考えたれています。
[式台・玄関の間]
正式な玄関ですが、特別な行事以外には使用されていなかったそうです。
白山公園から見た燕喜館。
近くの新津記念館が休館だったため徒歩で白山公園まで移動。
母の体調が思わしくなかったもんで、
ちょっと休憩することにしました。
タクシーでホテルに戻ろうかと思ったのですが、
大丈夫だと言うもんで。
入り口で珈琲を注文し、お座敷まで運んで貰って、休憩。
母が休んでいる間に建物内をチラッと見学しました。
まあ、使用中の部屋が多くて、殆ど見学は出来なかったんですけどね。
なので多くを語ることは出来ませんが、
よそ様のブログを見ると、他にも数部屋があるようで、
イベントのない日に見学してみるといいのかも。
かも。かも。