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ハンセン病は古くから世界の各地に存在していた病気です。
日本でも仏教に篤く帰依した光明皇后(701年~760年)が重症の癩病患者の膿を自ら吸い出したら、その病人は阿閦如来(あしゅくにょらい)だったという話があるほどです。戦国時代では大谷吉継が同病に罹患していたといわれています。石田光成の逸話でも有名ですね。

同病は、ワタクシが子供の頃は「ハンセン病」と言われていました。

ノルウェーの医師であるゲルハール・ヘンリック・アルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrick Armauer Hansen)博士が「らい菌」を発見したのが1873年(明治6年)。
それまでの日本では癩病と呼ばれていましたが、1959年(昭和34年)に「ハンセン氏病」に改称されました。「氏」という文字が削除された「ハンセン病」に改称されたのは1983年(昭和58年)のことです。
(英語ではHansen's DiseaseまたはLeprosy(レプロスィー)と呼ばれています)

ワタクシはこの歳になるまでほとんどハンセン病について学んでおりませんでした。
大阪に居た頃はハンセン病に関する施設が無かった(気がする)ので、正直、小説に登場する過去の病として、結核に類するものとしか思っていませんでした。
1909年(明治42年)、現在の大阪市西淀川区中島2丁目にあたる場所に、外島保養院という隔離収容施設が設立されたそうですが、室戸台風の直撃で200名に近い命が失われました。1938年(昭和13年)、岡山県瀬戸内市に移転し「邑久光明園」となっています。大阪府では法律に基いて強制隔離が行われていたようです。

「隔離」「キリスト教」「差別」などのワードが付随する病だという認識しかなく、「不治の病」だという認識もありました。お恥ずかしい話です。

このまま死ぬまで勉強しない可能性が高かった同病について興味を持ったのは、建築物を観るようになったためです。同病に関連する施設として神山復生病院があり、現存する日本最古のハンセン病療養所としてその建物が国の登録有形文化財(建物)に指定されています。その神山復生病院を観たいと思っているのですが、病気について学ばずに建物だけ観ても意味が無いと考えました。同様の施設について知ることはできないかと思っていたところ、東京の東村山市に国立ハンセン病資料館があると知り、先ずは同館に足を運ぶことにした次第です。

ハンセン病はらい菌による慢性感染症です(ウイルスではありません)。現代の日本においては発症自体がまれです。
ハンセン病の感染力は弱く、未治療のらい菌保有者から感染しても、接触する95%の人は自然免疫で感染・発症を防御できます。たとえ感染しても発症するとは限らず、急激に症状が進むことはありません。
初期症状は皮疹と知覚麻痺です。治療薬がない時代には変形を起こすことや、治っても重い後遺症を残すことがありました。現在では有効な治療薬が開発され、早期発見と早期治療により後遺症を残さずに治るようになりました。


ハンセン病は感染後だいたい3年、長いと20,30年経過してから症状が現れます。初めに皮膚疾患としてあらわれますが、その場合は白、赤、赤褐色の斑紋としてあらわれます。
(神経に症状があらわれることもあります)

らい菌の至適温度は30〜33℃で高温に弱いとされているため、入浴と熱を加える民間療法が長く行われてきました。日本では草津温泉での湯治が人気で、強酸性泉による殺菌作用、硫酸アルミニウムによる収斂作用、皮膚の刺激作用、温泉の保温効果によってハンセン病にも有効と言われて多くの患者が集まったそうです。

インドの調査によると、貧困層と富裕層の比較に関しては貧困層に発症率が高いそうで、罹患者は、亜鉛、カルシウム、マグネシウムが正常の人に比べて著しく低かったそうです。

病の歴史が長い分、三大宗教の経典などにも同病について明記されています。
仏教では信仰の浅いものにあらわれる仏罰として書かれ、キリスト教では「清められるべき病」としてマタイ伝第8章に明記され、イスラム教では「不治の病」とされてきました。
これらの宗教によっても差別が生まれていたようです。

では日本ではどのように差別がさなれたのか?

中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れと考えられており、発症した者は非人であるという不文律があった。
鎌倉時代の文献によると、患者と家族が相談し、相当の金品を添えて非人宿にひきとられ、非人長吏の統率下におかれた、とある。
江戸時代にはこの病になると家族が患者を四国八十八ヶ所や熊本の加藤清正公祠などの霊場へ巡礼に旅立たせた。このためこれらの場所に患者が多く物乞をして定住することになった。
旅費が無い場合は単に集団から追放され、死ぬまで乞食をしながら付近の霊場巡礼をしたり、患者のみで集落を成して勧進などで生活した。貧民の間に住むこともあり、その場合は差別は少なかった。
明治時代に入り隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害された。
昭和時代に入ると、患者への偏見がエスカレートしていく。


ウイルスではなく細菌による疾患だと判明していなかった過去に於いて、伝染性の疾病だと考えられていたため隔離され、病に対する圧倒的な情報量の少なさと根拠の無い恐怖心から差別されるようになったのだろうと思われます。今みたいなインターネットのある時代なら情報の取捨選択が可能ですが、当時は地域を治める役人と新聞ぐらいしか情報が入手できないので選択肢も偏りますよね。

「穢れ」を隔離すると言え考え方が日本には古くからあり、病気や死体、血などを「穢れ」として扱ってきました。
自分の身を清浄に維持するためにそれら「穢れ」は遠ざけるべきものとされました。
ハンセン病は古くから「不治の病」とされてきたため、穢れとして扱われてきました。家筋や血筋の病ともされていたため、患者が出ると家族全体への差別がなされるため、家から放出する場合もあったようです。

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四国遍路をして迫害から逃れる患者もいたそうです。

ハンセン病の告知は非常に難しかったそうです。不治の病と考えられていたがゆえの「告知」。当然罹患者にも病に対する差別意識が強く、時には告知をすることで患者が自殺することもあったそうです。(平成9年に告知1か月の通院患者の自殺が報告されています)

『国立ハンセン病資料館』では、隔離された場所での患者の暮らしが展示してあります。
これを見て、ジブリ映画の『もののけ姫』のたたら場はこの病を扱うものでもあったのだなと思えました。

コレラなどの急性伝染病が流行した時代に、日本は「文明国」としてハンセン病患者を隔離する政策を実施します。この隔離政策が平成8年まで廃止されていなかったと知り、かなり驚きました。

 1907年(明治40年)、強制隔離政策を継続するため「癩豫防ニ関スル件」が制定←法律名が無かった
 1931年(昭和6年)、「癩予防法」制定←法律名で制定
 1953年(昭和28年)、「らい予防法」制定
 1996年(平成8年)4月1日、「らい予防法の廃止に関する法律」成立施行

結局、「らい予防法」は制定されてから89年後に廃止されました。

1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認されたのを契機に、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至った。


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作家の北条民雄もハンセン病患者として東京府北多摩郡東村山村の全生園(国立ハンセン病資料館の同敷地内:国立療養所多磨全生園)に収容され、1937年12月5日、結核のため23歳で夭折しました。
ハンセン病はそのものが死因となることは稀で、結核が38.1%、腎炎が22.4%が死因の多くを占めていました。

以下はワタクシの好きな彼の言葉です。(当ブログPC版トップにも置いてある言葉)

私は諦めを敵とする。 私の日々の努力は実にこの諦めと闘うことである。
北条民雄


ハンセン病に対する偏見や差別により彼の本名は長らく公表されませんでしたが、2014年が生誕100年にあたるのを期に業績を本名で後世に伝えようと、阿南市が親族に2年間に亘り説得した結果、2014年6月に親族の了承を得てようやく本名(七條 晃司)が公開されました。
正直、本名の公表は必要なのだろうか?と思わなくも無いワタクシです。北條民雄の名前で作品が知られており、本名がどうであれ心をえぐるような彼の作品が齎す功績は揺るぎない。親族が2年間も説得に応じなかった“感情”というものを無視しても良いものか。賛否両論あろうが、そもそも「本名」とは何ぞや。
いろいろと考えさせられる話ではあります。

当時、差別を伴う不治の病だとされていたハンセン病に罹患し、隔離された、北條民雄の血を吐くような命の叫びを上述の言葉に感じます。

病気そのものの苦悩。隔離の不自由。部屋のないこと。性的なもの。文学的才能の不足。これらが全部一丸となって僕の頭を混乱に突き落とすのだ。

北条民雄は発病前に結婚はしているが翌年罹患し、離縁している。彼の日記には性的な悩みも多かったと書かれていて「なんという悲惨な青春だろう」という言葉がある。患者同士の結婚はあったものの、子供を産み育てることは許されていなかった。

23歳という若さで夭折した彼の言葉を見るたび、病に限らずあらゆることに、どのような状態にあっても諦めてはならないのだと、再度己に言い聞かせるワタクシです。



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【国立ハンセン病資料館(旧高松宮記念ハンセン病資料館)】

東京都東村山市青葉町4-1-13
西武池袋線清瀬駅南口から西武バス 久米川駅北口行き約10分
(「ハンセン病資料館」で下車)
開館時間 9:30~16:30
休館日:月曜
http://www.hansen-dis.jp/

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園内の売店でご当地ソースを発見しました。370円也。
食堂のおばちゃんが「美味しいわよ」と太鼓判を押してくれました。


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