皇紀元年(紀元前660年)創建と伝わる『大甕神社』。
『日本書紀』神代に、
【二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。 故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未】
とあり、これを意訳し言葉を加味すれば概ね以下の内容になります。
下総国一宮である香取神宮の祭神経津主神と、常陸国一宮である鹿島神宮の祭神武甕槌神の二柱の神が邪神をことごとく平定したが、星の神・香香背男(かがせお)だけは征服できなかった。
そのため二神に代わり、倭文神・建葉槌命(たけはづちのみこと)が大甕に遣わされ、香香背男(かがせお)の霊力を宿魂石に封じたとされている。
倭文神は「しとりのかみ」と読む。
つまりは香取神宮と鹿島神宮の神様がどないもできへんかった星神さんを、
倭文神(しとりがみ)さんが討伐しはったってことですわな。
リアルではこの地にあった星神信仰を封じたという、一種の宗教戦争ですわ。
さて、『大甕神社』は当初は大甕山山上に祀られていましたが、
元禄8年(1695年)に水戸藩主・徳川光圀の命により現在の地に遷座されました。
今から324年前のことで、日本神話の頃からすれば、最近のことになりますね。
大甕神社は岩山の上に建つ神社ですが、
石名坂の峠の石が巨大化して天にまで届こうとしたのを、
静の神が鉄の靴を履いて蹴ったところ石が砕け、
欠片の一つが河原子(日立市)へ、
一つが石井(笠間市)へ、
もう一つが石神(東海村)に落ちた
という伝説があります。
河原子ではなく石塚(城里町)という説もあるみたいですけど、
どれが正解かは不明です。
この伝説も、建葉槌神と香香背男に絡みがあるらしく、
建葉槌神が黄金の靴を履いて武装し、
岩と化した香香背男の腹を思い切りけり上げたら、
岩が飛び散ったという話もあるようです。
拝殿の右奥にある岩山が、
香香背男を鎮めたとされる宿魂石(しゅくこんせき)です。
その上に建葉槌命を祀る本殿があります。
本殿までは登っておりませんので遠くに眺めるのみにて。
大甕神社の主祭神である建葉槌命(たけはづちのみこと)は、
神話では天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)と呼ばれる神です。
天照大神を天の岩戸から誘い出すために文布(あや)を織ったとされ、
ゆえに織物の神・機織の神として信仰されています。
また、香香背男(かがせお)は、
日本神話に登場する星の神「天津甕星(あまつみかぼし)」のことです。
ゆえに、香香背男(かがせお)を祀る社には☆が描かれています。
織物の神と、星の男神。
そこから連想されるのは織姫と彦星ですが、
実際この神話が七夕伝説の元なっていると言われています。
織姫と彦星なので、片方が女神なりますね。
織物の神には女神も居る(棚機姫命など)ので、
そちらと混ざっているのかもしれません。
建葉槌命(たけはづちのみこと)は、
それらの神々の遠い祖先らしいです。
調べていませんので、事実は不明ですが。
ちなみに『大甕神社』でも七夕には「星甕祭」があり、
その日は特別な御朱印が頂けるそうです。
蛇足ですが、アニメ映画『君の名は』に出てくる神社では
建葉槌命を祀ってるそうで、
原作も映画も見ていないため内容を知りませんが、
日本神話を辿る旅ってのも面白そうだなと
当地を訪れて思いました。
それにしても「大甕」という字は難しくて、
よくよく考えて思い出さないと「かめ」と読んじゃいます。
「みか」って古い読みですもんね。
この地と、神事に使う大きな甕は何か関連があるのかしら?
大甕山
その点も興味深いです。
【大甕神社(おおみかじんじゃ)】
別名:大甕倭文神社
茨城県日立市大みか町6-16-1
主祭神:建葉槌命(たけはづちのみこと)
地主神:甕星香香背男(みかぼしかがせお)
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