重要文化財だった『旧開智学校校舎』が5月17日に国宝になったそうです。
なったばかりなので周辺の表記は「重要文化財」のままだったりしますが、
たぶん一年以内にはすべての表記が「国宝」になるんでしょうね。
さて、旧開智学校は1876年(明治9年)に長野県松本市中央に建てられ、
その後、松本市開智に移築された明治時代初期の擬洋風建築校舎です。
近代学校建築では初の国宝指定となりました。
地元出身の大工棟梁、立石清重(たていしせいじゅう)が設計施工を担当。
立石清重は他に、松本裁判所、大町裁判所、長野師範学校松本支校、
旧制東筑摩中学校、長野県議会議事堂を手掛けています。
立石清重による上京の記録「東京出府記」とスケッチ集「営繕記」が残されており、
旧開智学校がどの建物を参考にしたかが判明している点でも重要です。
擬洋風建築の創意工夫の面白さが見られる貴重な建物だと感じました。
建物への入り口はコチラ。
入って直ぐが売店となっています。
靴は脱いで下駄箱へ。
校庭に構内の案内図がありました。
建物内部はシンプルな造りってことが分かりますね。
和と洋の分かり易い説明が置いてありました。
トップ写真と比較してご確認ください。
一階廊下中央部分に吊られた照明器具。
真下から見るとこんな感じ。
斜めから見るとこんな感じです。
一部屋だけ教室の展示がありました。
ちなみにワタクシの小学生時代もこんな机と椅子でした。
椅子に収納があるタイプで、
椅子を引くときに座面の蓋が開いて指を挟みましたわ。
教室の床の釘は和釘ですね。カッコイイ。
和釘の展示と説明もありました。
校舎全体分の和釘を作るのは想像するだけで大変そうです。
マイナス螺子のついたドアノブ。
古いタイプですが、これは当時のままなのかも。
一階から二階に続く螺旋階段がありました。(使用不可)
二階から見下ろすとこんな感じ。
階段には観音開きの扉が付いています。
ドアを開けたら階段って、知らなかったらちょっと怖いし、落ちそう。
二階の廊下の講堂手前にある扉もかなり凝っています。
竜の彫刻と
波の彫刻。
講堂から続く廊下の先にも同様の扉が付いていました。
形は異なっていますね。(修繕済みっぽい)
講堂の向かいには塔に続く階段を封じる扉がありました。
かなり凝った扉ですね。
細かく絵が描かれています。
扉と言えば、階段のこんなところにもありました。
パット見では、使用目的が分からない扉。
疑問の答えはここにあります。
明治天皇御座所にあった肖像。
明治13年(1880年)6月25日に明治天皇が巡幸され、
その際使用された休憩室に展示してありました。
明治天皇は写真が嫌いだったと聞いたことがありますが、
こういうお姿のものは初めて見ました。
同室の床は美篶細工(みすずざいく)の敷物が全面に敷かれていました。
必見です。
この碑も、「重要文化財」から「国宝」に文言が変えられるんでしょうね。
弐につづく。
【旧開智学校(きゅうかいちがっこう)】
長野県松本市開智2-4-12
(タウンスニーカー北コース「旧開智学校」下車徒歩1分 運賃は200円)
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料:300円
休館日:3月~11月の第3月曜、12月~2月の月曜、12月29日~1月3日