sava!

興味あるものを 興味ある人に。

私は諦めを敵とする。 私の日々の努力は実にこの諦めと闘うことである。 (北条民雄)

台東区谷中『谷中 観音寺』に国登録有形文化財の築地塀を観に行く。

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谷中に国登録有形文化財に指定されている築地塀があると知り、

朝から撮りに行って参りました。

観音寺というお寺の塀なのですが、この辺りはお寺さんばかりなので

地図を頭に入れてから向かいました。

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このポストが目印かもしれん。
塀はこの道の先を右折したところにあります。

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観音寺は赤穂浪士ゆかりのお寺なんだそうです。
時間が無いので今回は境内には入らず。

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こちらが文化財になっている築地塀です。
とても綺麗に改修されていますね。

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ちなみに「築地塀」と書いて「ついじべい」と読みます。
「つきじ」と読まないのは築泥(ついひじ)が語源だから。

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厚みのある塀なので、忍者が走るのは容易いかも。


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観音寺の御朱印は切り絵になっているようです。
授与料を見て仰け反った。

もっと早く気付いていれば、改修前の姿が撮れたのに。

今後は経年変化を見たいので、散歩がてら定期的に撮りに来ようかな。

コンクリート塀とは異なり築地塀は風情があっていい感じです。

こんなに厚みがあれば、そりゃ耐火性もあり鉄砲にも強かろう。

織田信長が御礼として熱田神宮に築地塀を寄進するぐらいですし、

手間と工賃が高いだろうとも思えました。

(維持費もかかりそう)



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【谷中 観音寺】

東京都台東区谷中5-8-28
(JR山手線 日暮里駅より徒歩5分)
御朱印授与場所:本堂左手、寺務所にて
御朱印授与時間 9:00〜16:00
http://yanaka-kannonji.jp/
https://www.instagram.com/yanaka_kannonji_temple/http://yanaka-kannonji.jp/


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神奈川県鎌倉市『寿福寺』で北条政子の墓をみて来た。

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源頼朝が没した翌1200年(正治2年)に

北条政子が栄西を開山に招いて創建したという『寿福寺』。

内裏手の墓地に北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があるとのことで、

地元の方に案内して頂いて(文字通り)見て参りました。

お寺の裏側にある薄暗い崖のような場所に

鎌倉地方特有の「やぐら」と呼ばれる横穴式墓所がありまして、

底に割と小ぶりな五輪塔があります。

足元にそれぞれ北条政子と源実朝の名前が書かれたボードがありますが、

それが無ければ誰のお墓か分からないぐらいひっそりとした佇まい。

現在の大河ドラマで人気の観光地となっている感のある鎌倉ですが、

有名人のお墓にしては、あまりお参りする方が居ないのかなという印象でした。

たまたまかもしれませんが。

ちなみに、お墓なので写真は撮りませんでした。

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朱塗りの総門。
割と新しい感があります。

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(クリックで拡大)

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総門から中門までの参道

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中門から内側の境内は一般公開されてません。

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崖にあるこういう造形が鎌倉っぽいですよねぇ。

よくよく考えたら、これは観光だったのかもしれない。

細い道をぐねぐねと上がっていくトレーニングっぽかったけれども。

そして鬱蒼としている木々や草を縫う感じで、

ワタクシは虫刺されに警戒してピリピリしていたのだけれども。

鎌倉時代にあまり興味が持てないため、

いつまで経っても何の情報もワタクシの中に積み重ならないのだけれども。

このことから、次回は虫刺され対策を万全にしてから

鎌倉入りしようと思います。



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【寿福寺(じゅふくじ)】

神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7
正式名:亀谷山 寿福金剛禅寺
宗派:臨済宗建長寺派
開山:葉上房栄西(明菴栄西)
開基:北条政子
創建年:1200年(正治2年)


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神奈川県鎌倉市『覚園寺』が静かな穴場スポットでとても良いところでした。

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[愛染堂]
廃寺となった大楽寺の本堂を移築。

境内が国の史跡に指定されている『覚園寺』にやって参りました。

鎌倉駅からは少し遠いからか、こちらも人が居らず、

かなり静かでひっそりとしております。

有料拝観エリアは一時間おきの時間指定がされており、

タイミングが合わなかったため愛染堂のみの参拝で終えましたが、

時間とタイミングを見計らって、いつか再訪したいと思っています。

それぐらいワタクシにとっては良いと感じるスポットでした。

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愛染堂の周辺だけでも目に優しく良い感じです。

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灯篭の脇で真っ赤なシャクナゲが花を咲かせていました。

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目がおかしくなりそうな強い赤です。


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チラホラと残る八重桜もありました。

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こちらは薄ピンクの可憐な桜。

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毎度忘れるのですが、これなんて花でしたっけ?
二色なのが綺麗だなぁと感じ入ったのですが。

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あかん。思い出せん。

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梅には実が成っていました。

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これはアカシアの仲間かしら?

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来年の大河ドラマの題材に所縁のある場所らしいです。

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立派な石塔の周囲には蓮の鉢っぽいものが置いてありました。

COVID-19以降、御朱印が書き置きになった寺社が多い中

ここでは直接書いて頂けるようで、

持参しなかったことをとても残念に思いました。

いっそ御朱印帳を購入しようかと思ったのですが、

手のひらサイズでとても小さかったため、

結局は書き置きを頂いて参りました。

空いているから直接書いて頂けるのかもしれず、

今後もそうかはわかりませんが、

再訪することかあれば念のため御朱印帳を携帯しようと思います。

鎌倉駅からこの近くまでバスが走っているので、

それを利用しても良いかも。

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特別御朱印がある。

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書置きを頂きました。


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【覚園寺(かくおんじ)】

神奈川県鎌倉市二階堂421
宗旨:古義真言宗
宗派:真言宗泉涌寺派
本尊:薬師三尊
創建年:建保6年(1218年)

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神奈川県鎌倉市『源頼朝の墓』とその周辺を散策する。

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鎌倉一の有名人に纏わるスポットなのに誰も居ない。

地元在住の方に案内されて『源頼朝の墓』やって参りました。

来年の大河ドラマは鎌倉が舞台だとのことで、

混む前に主要スポットを観ておこうということっぽい。

源頼朝+大河ドラマといえば、『草燃える』。

ワタクシの大好きな作家の永井路子さんと、

これまた大好きな女優の岩下志麻さんが出ていた時代劇で、

小学生ながらに見入った記憶があります。

ゆえに長らく北条政子といえば、岩下志麻さんのイメージでした。

来年の大河ドラマでは、小池栄子さんか演じられるそうで、

これまたイメージに合うなぁと今から期待しているところです。

さて、源頼朝の墓は上の階段を登ったところにございまして、

かなりひっそりとしたスポットでした。

源頼朝ってあまり人気が無いのかなぁ。

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武家政権の創始者なんですけどねぇ。

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明治に廃仏毀釈で法華堂が壊されたため空地になっています。
(頼朝を祀る白旗神社が階段手前に建てられている)

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荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)
長治元年(1104年)の創建。

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本殿は鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したもので
重要文化財に指定されています。

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境内にあってひと際目を惹く「大銀杏」の御神木。
樹齢900年近くになるらしい。

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鎌倉宮(かまくらぐう)の手水舎。
COVID-19により使用不可のためこのような姿になっています。

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絵を見て亀の甲羅を撫でていたのですが、
文字を見たら「頭を撫でる」と書いてありました。

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鎌倉宮は後醍醐天皇の第三皇子といわれる
護良親王(もりよししんのう)を祀る神社です。

鎌倉の桜は散り続けて路面をピンクに染めている状態ゆえか、

各寺院に観光客の姿は殆どありませんでした。

しかし、見たところ小町通りや鶴岡八幡宮大勢の人が居たので、

我々が足を運んだ場所がマニアック過ぎたのかもしれん。

わからんけど。

得意か不得意かと問われると、

ワタクシは後者に傾きがちな鎌倉。

武家文化があまり得意ではないからかもなぁ。

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山形県山形市『専称寺』本堂にある左甚五郎作と言われる力士像。

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専称寺本堂の四隅に左甚五郎作と伝わる「夜泣き力士」像があると知り、ランチの後で立ち寄って参りました。

ここは最上義光の娘で、悲劇で知られる東国一の美少女「駒姫」の菩提寺です。

駒姫は、その類いまれな美しさから父母に溺愛されて育ったという。
時の関白・豊臣秀次は、東国一の美少女と名高かった駒姫の噂を聞き、側室に差し出すよう義光に迫った。義光は断ったが度重なる要求に折れ、15歳になったら娘を山形から京へと嫁がせると約束する羽目に陥る。

文禄4年(1595年)、駒姫は京に到着し、最上屋敷で長旅の疲れを癒していたところ、7月15日、秀次は豊臣秀吉の命により高野山で切腹させられた。
そして駒姫も8月2日に他の秀次の側室達と共に、三条河原に引き立てられ11番目に処刑された。
まだ実質的な側室になる前だったと言われている。

父の義光が必死で助命嘆願に廻り、各方面からも処刑せぬようにと声があがった。秀吉もついにこれを無視できなくなり「鎌倉で尼にするように」と早馬を処刑場に派遣した。
しかしあと一町の差で間に合わなかった。享年15。

遺体は遺族が引き渡しを願ったが許されず、その場で掘られた穴に投げ込まれ、さらにその上に「畜生塚」と刻まれた碑が置かれた。
娘の死を聞いた母の大崎夫人も、処刑の14日後の8月16日に亡くなった。娘の跡を追った可能性は高いとされている。

この悲劇がのちに義光が関ヶ原の戦いで東軍に属する伏線になったとする指摘もある。

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駒姫の墓とされているところ。ただし、墓石はかなり新しい。

駒姫の死の翌年、義光は高擶で布教中の真宗僧乗慶に帰依、専称寺を山形城下に移し、駒姫と大崎夫人の菩提寺とした。


本堂は元禄16年(1703年)の建立。

江戸時代中期の木造建築物としては東北第一とされています。

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駐車場側から見た本堂。

書院・庫裏・鐘楼は慶長年間(1596年~1615年)の建築。

梵鐘と鐘楼は山形県の指定文化財となっているそうですが、見学はしませんでした。

また、山門を入り右側にあるイチョウの巨樹は、別名「雪降り銀杏」と呼ばれ、根回りが7.5mあるのだとか。

山形市の天然記念物に指定されている立派なものですが、これまた写真は撮りませんでした。(檀家さんたちのお墓が写るため)

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懸魚や蟇股はかなり立派。

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本堂正面。
本堂は市の指定文化財です。


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本堂正面の木鼻には獏? 象? のかなり立派な彫刻があります。

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耳が垂れているから、象なんだろうなぁ。

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左甚五郎作だと言われている力士像。駐車場側。

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こちらは本堂向かって左側の力士像だったと思う。

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本堂向かって右側の力士像だったかな?

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見る向きを変えると様子も変わります。
これらの力士たちは毎夜夜泣きするという伝承があるそうな。
屋根が重くて辛いらしい。

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サクッと書かれた説明書き。

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実なのか枯れ葉なのか分かりませんが、興味深い樹木でした。

かなり立派なお寺で、檀家さんも多そうです。

それにしてもこの辺りでは墓石は黒御影石(←たぶん)が人気なのかな。

墓石の色が黒で統一(と言ってもいいほど)揃っているのが印象的でした。

本堂外周の彫刻がこれほど立派だということは、

堂内はさぞかし、と推察されます。

見学はできないんですけどね。



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【専称寺(せんしょうじ)】

山形県山形市緑町3丁目7-67
山号:最上山
宗旨:浄土真宗,宗派:真宗大谷派
本尊:阿弥陀如来
創建年:1483年(文明15年)
開基:願正坊(本願寺第8世蓮如の高弟)
正式名:最上山専称寺


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栃木県大田原市『大雄寺』は国重要文化財に登録されている建物が9棟もある古刹です。【写真多用】

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今から615年前の応永11年(1404年)に余瀬村(現大田原市余瀬)旗城内に創建された『大雄寺(だいおうじ)』。
戦乱で焼失するも文安5年(1448年)に再建され、天正4年(1576年)に大関高増の居城が余瀬白旗城から黒羽城に移ったと共に現在地に移築されました。黒羽藩(くろばねはん)の大関(おおぜき)家累代の菩提寺です。

大関氏(おおぜきし)が歴史に浮かび上がってくるのは南北朝時代で、主家の元で周辺勢力との抗争を繰り返しながら着々と下野国に地盤を築いて行きました。
豊臣秀吉の小田原征伐で主家の那須氏を見限りいち早く参陣。その後、関ヶ原の戦いで東軍に付き活躍して下野国黒羽藩主となり、戊辰戦争では新政府軍方に付いて参戦。三斗小屋攻略や会津戦争などで戦功を挙げ、明治維新後には子爵となった一族です。

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現在の大雄寺の伽藍は文安5年(1448年)のもので、本堂,禅堂,庫裏,鐘楼,経蔵(附:棟札1枚),総門,北東廻廊、南東廻廊、南西廻廊が国の重要文化財に指定されています。また、御霊屋は昭和44年に栃木県の有形文化財に指定されました。
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文化財ではありませんが、大雄寺には江戸時代中期に古抑園鴬居という絵師が描いた「枕返しの幽霊」と呼ばれる掛軸があります。
一説によると病床の母を描いたもので、絵の完成直後に母が亡くなり、その後に絵を巡って様々な怪異が起きたため、供養のためにこの寺に納めたといういわれがあるそうてす。
ちなみに「枕返し(まくらがえし)」は日本の妖怪で、夜中に枕元にやってきて枕をひっくり返す、または頭と足の向きを変えるとされています。大雄寺の「枕返しの幽霊」も、これを掛けて眠ると翌朝には枕の位置が変わっているのだとか。
その絵を観たいような、見たくないような・・・。

ちなみに本堂の見学は申し込みが必要です。

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ここまでは那須塩原駅から市営バスでやって参りました。
とにかく暑い、陽射しがキツイ。
目的は大雄寺だけですが、その先にもいろいろあります。


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お寺へはここから入ります。
左側は駐車場、右側には少し上まで辿り着ける車道があります。


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良い感じに明るい参道の階段を上って行きます。

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まだ真新しそうな山門。

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木鼻の獅子の目に何かが填めこまれています。
これは何なのかな?(監視カメラなら現代的ですが)


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山門手前には石造の仁王様(阿形・吽形)がありました。


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参道の石段に苔が生えているので若干滑る。要注意。

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総門に辿り着きました。
こちらは国指定重要文化財の一つです。茅葺ですね。(大変だ~)


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この回廊も国指定重要文化財です。

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下は三和土になっています。
回廊には小休止するベンチが置いてありました。


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こちらの経蔵も国指定重要文化財です。

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(クリックで拡大)

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経蔵には彩色鮮やかな波模様が描かれていました。
火除けのまじないのようですね。経蔵ですし。


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沿革についてはこちらに書かれています。

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こちら水琴窟でして、
近寄らずともキン・キンと水が打つ高音の響きが聞こえてきます。
竹筒に耳を当てるのが不要なほどこの位置で聞こえました。


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圧巻の本堂。かなり凄いです。
もちろん国指定重要文化財です。


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本堂には上がることができませんが、窺い知る限りでは、襖絵が凄そう。
額縁に飾られている絵は遠目からでも一見の価値ありです。


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こうしてみると、本堂の床の高さがよく分かります。
湿気の多い土地なのかな? と考えてみましたが、
確かにここは水が潤沢に流れる那珂川の脇にありましたね。
ってここは高台ですけど。


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本堂表に飾られていた龍の絵。
これだけでも内部は一見の価値ありありだと推察できます。


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こちらは禅堂。
同じく国指定重要文化財です。


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この木鼻だけで重そうな鐘を支えられるんですね。
そこがスゴイ。


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本堂から禅堂を眺む。

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茅葺屋根は維持が大変。
と思って側面から見ると、背面は銅板で覆われていました。


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国指定重要文化財の鐘楼。
こちらは全方位茅葺です。


大王松
ふと足元を見ると、三葉の松が。

大王松
大王松が植わってあり、葉の長さからすると三葉はこの木のものっぽい。
日本では珍しい三葉の松ですが、輸入樹木であればごく普通。


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そういえば参道入口に聖母子像がありました。
ここに置かせてもらう理由にストーリー性を感じました。


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庫裏も国指定重要文化財です。

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偶然ご住職にお会いしましたので、御朱印を書いて頂きました。
中央の朱印がカッコイイ。


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実はここの御朱印帳が激しく可愛いのです。
物欲を押さえるのに苦労しましたが、
小さめの御朱印帳だったので止めておきました。
ただし、買わないと決めた瞬間から、記憶に残るだろうと思えました。
事実、未だに記憶残っています。
代わりにこちらの一筆箋を購入。


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こちらもなかなか良い感じです。

この『大雄寺』は、ドラマやCMなどで良く使われているそうです。

この日は誰も居らず、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」ならぬ、

蜂の羽音が凄まじかったです。

ずーっと耳元で聞こえているかのような無数の羽音。

どうやら茅葺屋根に集まっているようなのです。

調べてみると、茅葺屋根のストロー状のヨシの部分に

卵を産んで幼虫を育てているんですって。

納得です。

あれだけの音がする境内に、一体何匹の蜂が飛んでいたのか・・・

ヒトを攻撃する蜂でなくて良かったです。

蝉の声はまだ先のようです。

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わざわざ行く価値のある文化財だと思いますが、

バリアフルなので、ガッツのある方にしかオススメできません。

真夏は避けた方が良いかも。

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帰りは向町バス停まで歩きました。
バス停が見当たらず地元の方にも訊いてみたのですが、
「地元だからバスは乗らないから」と知らない方ばかりでした。
向町バス停は反対車線側にはバス停がありません。


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だいたい同じ位置の反対側で待ち、バスが近付いたら手を上げればいいみたい。
参考まで。


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【大雄寺(だいおうじ)】

栃木県大田原市黒羽田町450
山号:黒羽山(くろばねさん)
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来坐像
http://www.daiouji.or.jp/

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【那須塩原駅:大田原市営バス 雲巌寺線】
那須塩原駅東口から約41分で大雄寺入口に着きます
※バス時刻は2019年4月時です
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運賃は一律で200円(現金のみ)


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長野県長野市『善光寺大本願』は由緒ある尼僧寺院らしいです。

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[表書院]

仁王門に向かって西側にある大本願。

この大本願は、善光寺の山内浄土宗の本坊で、

642年(皇極天皇元年)から1400年余りに渡って続く尼僧寺院(尼寺)です。

蘇我馬子の娘・尊光が出家し、皇極天皇の命により開かれました。

善光寺上人とは、かつて宮中から上人号と紫衣着用の勅許を賜った称号で、

代々皇室にゆかりの女性によって受け継がれています。

往路で門構えを見て気になっていたので、帰路で立ち寄ってみることにしました。

御朱印が頂けるようですし。

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なかなか存在感のある門構えですね。

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[ひとにぎり地蔵尊]
平成24年(2012年)に建立された地蔵尊たそうです。


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おみくじなととともに配布(販売)してました。

善光寺は現在、浄土宗大本山大本願と、

天台宗大本山大勧進の二つの機構によって運営されています。

「大本願上人」と「大勧進貫主」の両名が善光寺住職を務めています。

善光寺って、浄土宗と天台宗が共同運営しているんですね。

初めて知りました。

今回頂いた御朱印は以下のものです。

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善光寺本堂側で御詠歌の御朱印を頂く場合は書き置きですが、
ここでは直接御朱印帳に書いてくれます。

もう一方の大勧進は、より本堂に近い場所に位置しています。

尼寺との差がここにあるのかしら? とぼんやり思ってみたり。

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[善光寺 本坊 大勧進(だいかんじん)]
山内にある天台宗の善光寺山内25ヶ院の本坊で、
大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、
代々比叡山延暦寺から推挙された僧侶(男性)が務めます。
ここにも御朱印がありました。


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ここ独自の御朱印が複数あるようです。

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大本願の向かいにある白蓮坊でも御朱印があるようです。

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書き置きのようですね。


善光寺に関する新たな知識を得た今回の旅です。



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【善光寺大本願(だいほんがん)】

長野県長野市長野元善町465
開門閉門時間 [4〜10月] 5:00〜16:00,[11月〜3月] 5:30〜16:00
拝観時間8:00〜15:30(受付終了 15:00)
https://daihongan.or.jp/


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長野県長野市『善光寺』で平成最後の3月の御朱印をいただく。

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そういえば、善光寺で御朱印を頂いたことがなかったと気づきましで、

青春18きっぷで母とちょっくら長野までやって参りました。

御朱印に惹かれて善光寺参りって感じです。

前回参拝したのは2016年の夏

今回はその時よりも、かなりじっくりと参拝することができました。

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敷石が敷き詰められた参道は史跡になっているっぽい。

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7000枚弱の石板が敷かれています。

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[仁王門]
扁額には「定額山」という山号が書かれています。


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[阿形]

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[吽形]

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仁王像は、巨匠・高村光雲と米原雲海の合作です。


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木鼻の獅子は頭にイラクサのような冠をかぶっていました。キリストっぽい?

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垣根に使われているトゲのある植物を利用しているようです。
鳥除けなんでしょうけど、グッドアイデアですね~

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仁王門の背後右裏に「三宝荒神」、左裏に「三面大黒天」が安置されています。

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ガードが固くてスマホでは撮影できませんけどね。

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[三門]
五間三戸二階二重門、入母屋造、檜皮葺
国重要文化財

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[本堂]
国宝


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桁行十四間、梁間五間、一重もこし付、撞木造、妻入、
正面向拝三間、 軒唐破風付、両側面向拝各一間、総檜皮葺


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提灯の上に雀が。
(クリックで拡大)


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内側の木鼻の生き物がハリーポッターに出てくるドビーに似ている。

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銅板に記された文字は鮮明ですが、
左側の木板に記された文字は消えているようでした。
何が記されていたんだろう?


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本堂から三門を眺む。
境内に人が増えて参りました。


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謎の岩が本堂の左右に設置されています。

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本堂を脇から眺む。
本堂の裏側には石塔が並んでいました。


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千人塚と称される供養塔。
慶長年間に起こった百姓一揆の犠牲者を弔うものらしいです。
よく見れば朱に塗られていますね。


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本堂を真裏から眺む。

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[経蔵]
桁行五間、梁間五間、一重、宝形造、檜皮葺、八角輪蔵付
国重要文化財


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くしゃみと闘いながらの参拝となりましたが、

ゆっくりと外周を散策し、かなり興味深かったです。

預けてあった御朱印帳を受け取りに向かいます。

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この建物内部で御朱印がいただけます。

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5種類ほどある中から2種頂くことにしました。

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そして今月限定の御朱印(書置き)も頂きました。

一生涯のうち、何度、善光寺参りができるかしら?

と、ふと思ってみたり。


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【善光寺】

長野県長野市元善町491
本尊:一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)
創建年:644年


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東京都国分寺市『武蔵国分寺』で国分寺について再認識する。

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国分寺は天平時代に聖武天皇が国家鎮護のため各地に建立を命じた寺院でして、

その「国分寺建立の詔」によると、

・各国に七重塔を建て、『金光明最勝王経(金光明経)』と『妙法蓮華経(法華経)』を写経すること
・自らも金字の『金光明最勝王経』を写し、塔ごとに納めること
・国ごとに国分僧寺と国分尼寺を1つずつ設置し、僧寺の名は金光明四天王護国之寺、尼寺の名は法華滅罪之寺とすること
・寺の財源として、僧寺には封戸50戸と水田10町、尼寺には水田10町を施すこと
・僧寺には僧20人・尼寺には尼僧10人を置くこと


等が定められていました。

歴史の授業で覚えさせられた内容ではありますが、

ワタクシはこの時代の歴史的名称の暗記が特に苦手でした。

同じく、呪文かよ、と思っていた「墾田永年私財法」も聖武天皇によるもの。

ゆえにワタクシはあまり聖武天皇が好きではありません。

そういえば「墾田永年私財法」は「こんでんえいねんしざいほう」で覚えたのに、

「こんでんえいねんしざいのほう」とも読むらしいですね。

「聚楽第」を「じゅらくだい」と覚えていたら、「じゅらくてい」のフリガナがあったり。

こういう細かな変更も、ワタクシが歴史暗記でイラッとするところです。

それはさておき、西国分寺駅から徒歩15分ほどの武蔵国分寺に行って参りました。

聖武天皇が命じた国分寺は当地には既に無く、江戸時代に再建された寺院です。

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[楼門]
国分寺市指定文化財
明治28年に米津寺(東久留米市)の楼門を移築。


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傾斜が緩やかなのでそれほど苦ではない階段の先に仁王門があります。

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[仁王門]
国分寺市指定文化財
宝暦年間(1751年-1763年)の建立


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阿形・吽形ともに立派ですが、
保護のためか二重の格子が填められており殆ど見えません。


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古代の国分寺については案内板で知る程度。

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様々な場所で説明用の地図が見られます。

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[薬師堂]
国分寺市指定文化財
昔は萱葺屋根でしたが昭和60年に銅板葺の屋根になっています。


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扁額は新しい感じ。

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現在の建物は宝暦年間(1751年-1763年)の再建です。

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「木造薬師如来坐像」は国指定重要文化財です。
毎年10月10日に一般公開されます。


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興味はあるもののスマホしか持っていなかったので、
縁の下の詳細はわかりませんでした。
それにしても結構金具が使われていますね。


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[土師(はじ)竪穴住居跡]
案内板はあるものの、具体的にどこなのか3分ほど悩みました。


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推察するにこの辺らしい。
後から知ったのですが、現在は埋められているそうです。

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[本堂]
元国分寺住職が万葉集に歌われた植物160種を集めて造った
「万葉植物園」となっています。
「万葉植物園」は市指定天然記念物。


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本堂は文化財指定を受けていませんが、唐破風の彫刻群は立派。

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案内板がたくさんありますが、花の時期ではないため
どんなものかは視覚的にわかりませんでした。


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西国分寺といえば「にしこくん」。
こんなところでその姿を見られました。


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本堂脇で御朱印を頂きました。


【武蔵国分寺】
東京都国分寺市西元町1-13-16
(国分寺薬師堂は国分寺境内)
山号:医王山
宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
文化財:木造薬師如来坐像(重要文化財)、
銅造観世音菩薩立像(東京都指定有形文化財)、
仁王門(国分寺国分寺市指定文化財)


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群馬県太田市『大光院(だいこういん)』で第62回関東菊花大会ってのをやってました。

大光院
[第62回関東菊花大会]

2018年10月25日(木)~11月25日(日)
太田市三大祭りの一つ、だそうです。


大光院(だいこういん)の詳名は、義重山大光院新田寺。

「子育て呑龍(どんりゅう)」、「呑龍さま」という通称がある浄土宗の寺院です。

第二次世界大戦終戦まで東洋最大で世界有数の航空機メーカーだった

中島飛行機で開発された「呑龍(百式重爆撃機)」は、

同寺院の通称に由来するものだそうです。

端的に言えば、大光院は徳川家康が新田義重を弔うために建てた古社です。

慶長18年(1613年)、徳川家康が先祖と称する新田義重を祀るために呑龍を招聘して創建。境内裏には新田義重や呑龍の墓がある。義重は九条兼実に従い法然上人に帰依した。
建久6年(1195年)3月に寺尾城内に大光院を建立した。
時を経て、家康は観智国師・土井利勝・成瀬正成に遺跡を探させ、墓石と礎石などをここに移した。
呑龍は1616年(元和2年)、孝心のため国禁を犯した子をかくまい幕府から譴責されたが、5年後の1621年(元和7年)に赦免された。このことから、子育て呑竜の異名で呼ばれるようになった。

大光院
吉祥門と名の付く山門は太田市指定重要文化財。
山田屋本店の焼きまんじゅう(呑龍まんじゅう)を食す前にお参りをば。


大光院
異様に立派な手水舎がありました。

大光院
大光院
太めの金網で覆われていて立派そうな彫刻が見られず。残念。

大光院

大光院
開山堂。
法要はこちらで行われていました。
今は七五三の時期みたいですね。


大光院
ずいぶん昭和チックな建物だなぁ。

大光院
懸魚にスズメらしき鳥がいました。
ハマってる。


大光院
ほほう。昭和8年の建造物でしたか。

大光院
朱は近年塗り替えたのか剥落が無くて綺麗ですね。

大光院
扉は金属製っぽい。

大光院
本堂が見えます。

大光院
開山堂の前にある菊作品を並べたテント。

大光院
盆栽が展示してあります。
もっと手前で見られればいいのにと思わなくもない。


大光院
ワタクシがいいなぁ欲しいなぁと思った作品。

大光院
開山堂と本堂は回廊で繋がっていますが一般人は入れません。

大光院
[大光院臥龍の松]

大光院
ちなみにこちらの松は樹齢700年を超えているとか。

大光院
味のある?文字が躍る看板が並ぶ本堂は慶長18年(1616年)建立。

大光院
正面三間向拝。

大光院
本堂の裏手にある門は一部朽ちていました。

大光院
奥の建物には庫裡などがあるのでしょうか。

大光院
大方丈らしき建物。
建築年は古そうです。


大光院
懸魚もシブいです。


ここは東上州三十三観音特別札所でもあり、群馬七福神の弁財天もあります。

そんな大光院で現在、太田市三大祭りの一つ「関東菊花大会」が開催中です。

関東各地から菊花作品が約1700鉢集められているとのことですが、

まばらな感じもあり、ちょっと寂しい気もする・・・。

大光院
大光院
大光院
大光院
大光院
大光院
大光院
大光院
大光院
大光院


期間中は菊作り教室や観菊茶会などが行われるそうです。

ちなみに、時間が早すぎるとやっていません。

いまいち盛り上がりに欠けると思ってしまうのですが、

新宿御苑で昔見た菊が凄かったので、

それと比べちゃっているのかもしれません。

申しわけない。



大光院
【大光院(だいこういん)】

群馬県太田市金山町37-8
山号:義重山
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
創建年:慶長18年(1613年)建立
開基:徳川家康、呑龍


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茨城県久慈郡大子町『永源寺(もみじ寺)』でかなり早めの紅葉狩り。

もみじ寺

文安3年(1446年)創建の永源寺の通称は「もみじ寺」。

北関東でも有数の紅葉スポットです。

元治元年(1864年)天狗党の乱で寺の大半を焼失。

その後、再建された境内には、真新しい石像が無数に置かれています。

ちょっと不思議空間です。

そんな「もみじ寺」に母と二人でやって参りました。

今年は暖かいので紅葉は遅れているそうで、まだまだ色づきは遠そう。

しかし、せっかくここまで来たのだからと、立ち寄ることにしました。

もみじ寺
遠方から見るとほんのり色づき始めている境内のようすが分かります。

もみじ寺
近くで見るとこんな感じ。

もみじ寺
山にあるので、どちらにしてものぼることになります。
脚力に自信があれば、右側の階段へ。


もみじ寺
我々は左側のゆるやかな坂道をのぼりました。

もみじ寺
境内は全体的に、まだまだこんな感じ。

もみじ寺
蔦も色づいています。

もみじ寺
ドウダンツツジは真っ赤で見頃か。

もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺
もみじ寺

もみじ寺
紅葉を手折る観光客が居るんですねぇ。

もみじ寺
この日は法事があったようで、このような張り紙がありました。
ってか、スズメバチが出るんだ・・・

観光客はまばら。

皆さんワタクシよりもお年を召した方々です。

シーズンではないので、団体客が居ないのが良くて、

じっくりと紅葉を見て歩くことが出来ました。

来月は混むんだろうなぁ。

大子町



もみじ寺
【永源寺(もみじ寺)】

茨城県久慈郡大子町大子1571
(JR常陸大子駅から徒歩で10~15分)
※タクシー利用の場合(閑散期の場合)730円(初乗運賃)
宗派:曹洞宗
山号:臥雲山
本尊:釈迦如来


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栃木県佐野市『惣宗寺(佐野厄よけ大師)』の東照宮と呼ばれる社殿は県の文化財に指定されています。

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[東照宮拝殿]
県指定文化財

「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺(かすがおかやま てんぼうりんいん そうしゅうかんじ)」は、天慶7年(944年)に藤原秀郷が春日岡(佐野城址)に創建したと伝えられています。

元和3年(1617年)、徳川家康の霊柩が久能山から日光へ遷送される途中、惣宗寺に一夜安置され、その縁で寺側から願い出て、文政11年(1828)に東照宮本殿が造営されました。

社殿は日光東照宮を模しており、精巧な彫刻に極彩色で彩られています。

江戸時代後期に建てられた社殿建築の遺構で歴史的背景や意匠にも優れていることから、昭和57年(1982年)8月27日、東照宮本殿 附建築図棟札及び保管箱、拝殿、透塀、唐門が栃木県有形文化財に指定されました。

ちなみに「東照宮」と呼ばれるものは全国に約500社もあるそうです。

現在はそのことよりも、青柳大師、川越大師と共に「関東の三大師」の一つに数えられる「佐野厄よけ大師」として、厄除けで有名な寺となっています。


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[惣宗寺山門]
佐野市指定文化財
佐野城の移築門といわれているそうです。


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扁額の最後の一字が読めない。

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山門の内側には角大師の札が貼ってありました。

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真横から見た山門。

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分かり易く、葵紋が輝いています。

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境内側から見た山門。

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梁にはかなり太い木が使われていました。

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山門の彫刻で破損しているらしきか所が。

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[東照宮唐門]
栃木県有形文化財に指定されています。


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立派な兎の毛通し。
近年改修されたようですね。


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境内側から見た唐門。

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[東照宮拝殿]
栃木県有形文化財に指定されています。


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鋳物製の案内板。

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拝殿の兎の毛通しは塗り替えていないのかしら。

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拝殿の木鼻。

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向かって左側の木鼻。


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大変興味深い散水機と思われるもの。
拝殿方向に向かって設置されています。


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現在は使われていませんが、手水鉢にも葵紋が。

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麻布著色楊柳観音図(江戸時代)と
絹本著色慈慧大師像(南北朝時代)は
栃木県有形文化財に指定されています。

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境内には田中正造の分骨されたお墓があります。
(当寺で本葬が行われ5箇所に分骨埋葬されたそうです)


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平成18年の案内板にしては、古風な言い回しですね。
ってか、これだけ長い文面で句点が一つって・・・。


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隙間の向こうにお墓があります。
正面から撮るのは控えてみました。

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様々なものが自動販売機化されているようで。

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御朱印は本堂の左側にある受付で頂けます。

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御朱印は年間通じて書置きなのだそうです。


今回初めて当寺に参拝しましたが、随分と近代的なシステムだと感じました。

CMでしか知らなかったお寺でしたが、これでリアルなイメージが持てそうです。



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【惣宗寺(そうしゅうじ)】
佐野厄よけ大師
正式名:春日岡山転法輪院惣宗官寺

栃木県佐野市金井上町2233
(JR両毛線佐野駅・東武佐野線佐野市駅)
宗派:天台宗
本尊:如意輪観音、元三大師
創建年:天慶7年(944年)
http://www.sanoyakuyokedaishi.or.jp/


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神奈川県鎌倉市『海蔵寺』は現住職が造営した非公開の庭園があるお寺です。

海蔵寺


建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建した海蔵寺。

その後、焼失したものの、1394年に再興されたそうです。

地元の方に勧められて足を運んだのですが、

観光客は少なく、穴場のお寺だと感じました。

小ぢんまりしていますが、なかなか良いお寺だと思います。


海蔵寺

海蔵寺
[薬師堂]
お堂は安永6年(1777年)または安永7年に
鎌倉の浄智寺から移築したものと伝わるそうです。
薬師三尊像と十二神将像を安置してあり、
堂内右側に伽藍神像、左側に位牌を安置してあります。


海蔵寺
左側が本堂。
十一面観音が安置されています。

海蔵寺
[本堂]
ツアー客らしき方々が境内に居て、
ガイドさんが「御朱印帳をお返しします」的なことを言っていたので、
ここでも御朱印が頂けると知りました。


海蔵寺
結綿懸魚(ゆいわたげぎょ)ですかね。

海蔵寺
本堂の端正な格天井。

海蔵寺
本堂の脇を通って、裏に回ります。

海蔵寺
奥に非公開の庭があるんです。

海蔵寺
とその前に、岩をくり貫いた場所に鳥居がありました。
祀っているのは何かしら。


海蔵寺
湿潤な岩場に、花が咲いていました。

海蔵寺
[庭園]
非公開


海蔵寺
池には睡蓮の花が咲いていました。

海蔵寺
苔生した庭に落ちる白いものは何かしら?

海蔵寺
落ちていたのは椿の花のようですね。

海蔵寺
水に溢れた境内には、カラーも咲いていました。

海蔵寺
海蔵寺

海蔵寺
真っ赤過ぎて目を惹く花は・・・

海蔵寺
アジサイでした。
この色は目新しくていいですね。


海蔵寺
桔梗も咲いていましたが、今が時期だったっけ?

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ここでも百合が咲いていました。


日差しはまぶしいものの、とても涼しい日でした。

蚊が飛び始めていたので、

これからの季節は防虫に気を配らねばならんかも。

ワタクシは鞄に虫除けスプレーを常備しているので大丈夫。

自宅付近に虫はいないのでつい油断しがちですが、

遠出をする際は必携です。


海蔵寺

海蔵寺
御朱印はこちらでいただけます。

海蔵寺
[御朱印]
3つの朱印を押すのがこの辺りのお寺共通なのかしら?


海蔵寺
【海蔵寺(かいぞうじ)】

神奈川県鎌倉市扇ガ谷4-18-8
山号:扇谷山
宗派:臨済宗建長寺派
本尊:薬師如来


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神奈川県鎌倉市『建長寺』の庭園は夢窓疎石の作なんですって。

建長寺


夢で見て以来、訪れたいなぁと思ってたのが建長寺。

本日は鎌倉在住の方に案内して頂き、

北鎌倉の寺院巡りをして参りました。

午前中は小雨が降っていましたが、午後から快晴。

雨傘が日傘に変わる一日でした。


建長寺
[山門(三門)]
国指定重要文化財。
安永4年(1775年)上棟。
重要文化財登録名称は「建長寺山門」。


建長寺

建長寺
三手先(みてさき)の斗栱。

建長寺
三間一戸の二重門になっています。

建長寺
下層はすべて吹き放しになっています。

建長寺
「賓頭盧尊者」は釈迦の弟子の1人らしいてず。

建長寺
撫でると除病の功徳があるとされるそうな。
色が変わっている部分が皆の身体の悩みなんですねぇ。
ワタクシは右肩を撫でておきました。


建長寺
ビャクシン(白槙、和名:イブキ)の古木。

建長寺
[梵鐘]
国宝


建長寺

建長寺
正岡子規の句はオリジナルではなかったのですね。

建長寺
関東の筆頭鋳物師の物部重光により鋳造。
鎌倉三名鐘の一つなんですって。
(他は円覚寺、常楽寺のもの)


建長寺
[仏殿]
国指定重要文化財
港区芝の増上寺にあった徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を
建て替えに際し譲渡され、移築。


建長寺

建長寺
禅宗の仏殿ではなく、霊廟建築。
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代)などが安置されている。


建長寺
この斗栱は五手先・・かな。

建長寺
彫刻が施された数少ない組物。
奥に鳥の巣があるようで、鳥が出入りしていました。


建長寺
この部分だけ色彩が残っています。

建長寺
格天井には鳳凰が描かれているようですが、
かなり風化しています。


建長寺
壁面の天女も同様。

建長寺
壁に貼られていたであろう金箔も剥がれていました。

建長寺
裏から見た仏殿。

建長寺
[法堂]
国指定重要文化財
文化11年(1814年)上棟。


建長寺

建長寺
鎌倉に住んでいた日本画家・小泉淳作の「雲龍図」。

建長寺
鎌倉最大級の木造建築。

建長寺
本尊の千手観音坐像が安置されています。

建長寺
[唐門]
国指定重要文化財


建長寺
仏殿と同じく、増上寺の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。

建長寺

建長寺
[大庫裡]

建長寺
[方丈]
京都の般舟三昧院から移築したもの。


建長寺
[庭園と得月楼]
庭園は夢窓疎石の作といわれています。


建長寺
鶺鴒らしき鳥が何かを啄ばんでいました。

建長寺
落雷か何かで伐採されたらしい大木の根。
かなり立派な樹だったんでしょうね。


足利尊氏は「禅宗の五山」の第一位に南禅寺と建長寺、

第二位に円覚寺と天竜寺、第三位に鎌倉の寿福寺、

第四位に京都の建仁寺、第五位に京都の東福寺、

次席に浄智寺を選定しましたが、

現在は別格上位に南禅寺、第一位に天龍寺と建長寺、

第二位に相国寺と円覚寺、第三位に建仁寺と寿福寺、

第四位に東福寺と浄智寺、第五位に万寿寺と浄妙寺とされています。

どのみち建長寺は五山の第一位なんですね。

その建長寺の夢を何故見たのかは謎ですが、

足を運ぶことが出来て、とてもスッキリしました。

気分的にスッキリしただけで、特に何もなかったんですけどね。

ずいぶんとスッキリ整備された境内で、

観光客の多さも気にならないほどの規模には驚きました。


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[右]建長寺の御朱印
[左]長寿寺の御朱印



建長寺
【建長寺(けんちょうじ)】

神奈川県鎌倉市山ノ内8
(北鎌倉駅から徒歩約16分)
拝観時間 8:30~16:30
拝観料:大人(高校生以上)500円
山号:巨福山(こふくさん)
宗派:臨済宗建長寺派
本尊:地蔵菩薩


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神奈川県鎌倉市『浄智寺』の境内にある母子の石像が気になる。

浄智寺


弘安4年(1281年)に創建された浄智寺。

北鎌倉駅から割と近い場所にあるお寺ですが、

他の場所に比べて観光客は少なめ。

しかし、地元の方々には人気のあるお寺のようです。

境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されています。

関東大震災でその大部分が倒壊したため、

今ある伽藍の殆どは昭和に建てられたものとなっています。


浄智寺
アメンボしか棲んでいない池に掛かる石橋。
(渡れません)


浄智寺
[曇華殿(仏殿)]
本尊の三世仏(阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来)を安置しています。
※神奈川県指定重要文化財


浄智寺
ちょっと見落としそうな場所にある立像。

浄智寺
鎌倉三十三観音霊場 第31番の
木造観音菩薩立像が安置されています。


浄智寺
生花が飾られていたのだろうなと思われる額。

浄智寺
瓦には寺の名前が彫られています。

浄智寺
[客殿]
非公開


浄智寺
手前の庭は梅雨の時期は大変そうですが、
この日、担当らしき方が雑草の処理らしきことをして居られました。
手前の鋼製の五重塔がいい。


浄智寺
雨後ゆえ、新緑が目に優しいです。
庭は入ることができません。


浄智寺
建物の端にある鐘。

浄智寺
庭には猫がででんと座っていました。
貫禄があるなぁ。


浄智寺
ワタクシのツボだった子安観音像。
隠れキリシタン的な聖母子なのかしら?と思ってみたり。


浄智寺
アジサイも咲いていましたが、ぼちぼち終わりかけかな。

浄智寺

浄智寺
[やぐら]
昔は住居・墓所・倉庫などとして使われていた岩をくり貫いた穴。


浄智寺
鎌倉市の花である百合。
結構咲いていて、良い香りが漂っていました。


浄智寺は葛原岡ハイキングコース登山道への入り口となっていて、

裏山から源氏山に抜けられるそうです。

鎌倉在住の方は健脚な方が多いようで、

急な坂道でも徒歩で移動するそうです。

肺や心臓が強くなりそうですねぇ。

ワタクシは鎌倉の坂道で結構ゼイハアしてました。

鍛えねば。


浄智寺
[御朱印]
鎌倉七福神の布袋さまの御朱印もあるみたいですが、
ここでは一人につき一つの御朱印のみと決められています。



浄智寺
【浄智寺(じょうちじ)】

神奈川県鎌倉市山ノ内1402
山号:金峰山
宗派:臨済宗円覚寺派
本尊:三世仏(阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来)


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新潟県小千谷市『慈眼寺(じげんじ)』は戊辰戦争の局面の一つである北越戦争にかかわる歴史的な場所です。【写真多用】

慈眼寺


『慈眼寺』は、1868年(慶応4年)の旧暦5月2日、長岡藩家老の河井継之助(42歳)

新政府軍監の岩村精一郎(のちの岩村高俊・当時23歳)が会談したことで知られています。

河井継之助の訴える中立和平を、岩村精一郎(高俊)が一蹴したことにより会談は決裂。

北越戦争(戊辰戦争の局面の一つ)に突入したという歴史的な場所です。

どうしてもその場所が見たくて、本日は小千谷市まで行って参りました。

青春18きっぷ利用で片道約5時間。

早朝初、夜帰宅という、個人的にはなかなかハードな日帰り旅となりました。

今回の旅で一番初めに訪れたのが『慈眼寺』。

小千谷に来たなら、ぜひとも足を運ばねばならんと思う歴史の舞台となった地です。

2004年(平成16年)10月の新潟県中越地震で、

会見の間を含む本堂が被害を受けましたが、

現在は再建され、当時の雰囲気を感じることができます。


慈眼寺
山門前に立派な案内板が立っていました。

慈眼寺
司馬遼太郎の『峠』をまだ読んでいないワタクシ。
北越戦争について、一通り回れる場所を辿り、
自分の感想を持ったのちに、読んでみたいと思います。
(そうじゃないと継之助贔屓になりそう)


慈眼寺
山門の前には残雪が山とあり、
通行できなくなっておりました。


慈眼寺
[慈眼寺山門]
(中越地震後の平成18年改修)
最終的に、内側から回り込んで山門を眺めることができました。
ただし、いろいろ見えてない。

※明治25年建築なので「小千谷会談」の頃とは異なる山門です


慈眼寺
唐破風の付いた山門で、
たぶん白い覆いの向こうは彫刻で飾られていると推察されます。
観られなくて残念。


慈眼寺
残雪がすごく、正面突破は不可能。

慈眼寺
国登録有形文化財(建造物)
文化財プレートは山門正面右側にありました。
まだ真新しい感じですね。
登録年月日:2015年11月17日


慈眼寺
組物は三手先(みてさき)。
段々になっている造形が綺麗です。


慈眼寺
木鼻の獅子の彫刻も良いのですが、板支輪を飾る彫刻がスゴイ。

慈眼寺
山門には仁王・・・らしき木造が立っていました。
これは阿形。
左手には何かを持っていたのかな?


慈眼寺
こらは吽形。
吽形のポーズがものごっつい気になります。
「ハイ!」という声が聞こえてきそう。
って吽形だから口を開けていないんですけど。


慈眼寺
境内側から見た山門。
境内の雪はそれなりに溶けています。
隣接して幼稚園があるので境内に遊具が置いてあります。


慈眼寺
[船岡観音堂]
以前は小千谷市西中という場所にあったそうです。
弘法大師空海が自ら彫刻した聖観世音御菩薩像を安置したのが始まり。


慈眼寺
雪囲いに覆われているため、堂内は大変暗く、
観音様はぼんやりとしか見えませんでした。
でも、空海作とのことなので、
一見の価値はきっとあるのだと思います。


慈眼寺
木鼻の獅子・・・獅子?
阿形。


慈眼寺
木鼻の獅子・吽形。
獅子?でいいのかな?
体毛を感じられない獅子ではあります。


慈眼寺
木鼻の象? 獏?
阿形。


慈眼寺
吽形。
鼻の裏が赤く塗ってあるので口に見える。
ってことは、獏なのかも?


慈眼寺
蟇股の虎らしき彫刻。
雪囲いで遠方から見られないため推察の域を出ません。


慈眼寺
お堂を覆う雪囲い。

慈眼寺
その外側に今も残る雪。

慈眼寺
提灯があるってことは、夕方になると電気で灯るってことでしょうね。
雪囲いされてると暗いですもんね。


慈眼寺
組物の突き出た尾棰(おだるき・尾垂木)は、
少々湾曲になっているように見えます。
だから柔らかい印象になるのかしら。


慈眼寺
観音堂から見る本堂。
本日の目的地です。


慈眼寺
境内には案内板が・・・雪の重みか、わざとそうしているのか、
ずり下がっていました。
ゆえに、しゃがまないと文字が読めない。


慈眼寺
本堂に向かいましたが、どなたもお見えらならず。
見学には事前予約が必要らしいのですが、しておらず。
隣の社務所に声掛けさせていただき、
見学をさせていただくことができました。


慈眼寺
[慈眼寺本堂]
向かい側に幼稚園があるため、プールらしきものが本堂前にあります。


慈眼寺
中越地震の影響で茅葺きをステンレスで覆っている状態らしく、
これを取り除いて銅板葺きにするための寄進を募っています。


慈眼寺
覆われていてよく見えませんが、木鼻も手挟みも立派ですね。

慈眼寺
本堂の唐破風下の彫刻。

慈眼寺
慈眼寺
木鼻の獅子は耳が結構大きく見えますね。
ダンボを思い出しました。
(もしくはグレムリン)


慈眼寺
慈眼寺
龍と鳳凰の彫刻が見事です。繊細ですごくカッコイイ。

慈眼寺
本堂の玄関に掛かる扁額には
山号である「船岡山(ふなおかさん)」の文字があります。
「岡」の部分がワタクシには読めないけど。天井は格天井。
白くはめ込まれているのは照明器具でしょうか。


慈眼寺
[岩村・河井会談の処(岩村軍監、河井総督会見談判所)]
今回の目的地です。
この上段の間で「小千谷談判」が行われました。
奥の間に岩村精一郎が座し、
家老ではあるものの礼を尽くすために手前の間に河井継之助が控えて
中立和平の嘆願を行ったそうです。
同場所は、小千谷市指定文化財とされています。


慈眼寺
当時と今では設え(しつらえ)が違うと思いますが、
談判の様子をいろいろ妄想しつつ、見学させて頂きました。
見学料は特に決まっておらず、心付け程度。
この日は法事が入っているようで、
その時間までごゆっくりと言われたものの、
ご迷惑にならないように早々に退室致しました。


慈眼寺
書院の欄間を見ると、この上の部分は銘木なんじゃないの?
と思えました。まさかの黒柿か?


慈眼寺
沢山の書が飾られていました。
(書の造詣が浅いので、ほとんど読めなかったけど)


慈眼寺
欄間が漆塗りに金彩の龍です。
この間に使っている木材がお高そう~



慈眼寺
パンフレットを頂きましたが、
一部100円で配布しているものだっだようです。


岩村精一郎(高俊)のイメージはこの小千谷談判で固定されちゃっているワタクシ。

のちにドナルド・キーンが「無能で横柄」と評し、

長州人からは「軽率で無思慮」と評される人物ですが、

後に男爵になってるんですねー。

後年、

河井継之助の人となりを知っていれば慈眼寺での談判のやり方は違った

と悔やんだそうですけど、

自分でも究極の失敗だという認識があったのかもしれませんね。

あれだけ横柄な若造だと言われつつもいろいろな局面で使われたということは、

汚れ役として便利だと、大久保利通ら明治政府上層部から思われていたのかも。

大久保利通って腹黒そうだし(個人の感想です)。

慈眼寺
[肖像画]
左がで河井継之助、右が岩村精一郎(高俊)。


新政府軍にとって初めての敗戦を齎し、英雄とされる河井継之助

長岡市にはその記念館があります。

次回はそちらを見に行こうと思います。

長岡市には山本五十六記念館もありますしな。



慈眼寺
【慈眼寺(じげんじ)】

新潟県小千谷市平成2-3-35
拝観時間 9:00~17:00
宗派:真言宗智山派
本尊:聖観世音菩薩
http://ojiya-jigenji.net/


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sava!プロフィール

sava

昭和生まれの大阪育ち。数十年前から母の実家の神楽坂エリアに生息。食,日本酒,旅,富山県,文化財(建築物),読書等を好み、当ブログではそれらにオマケ情報も加味しています。それなりの年齢になり、老眼とか更年期とか諸々の不具合も出て参りました。そんな多様な話をチマチマと記す日々です。
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建てめも。

sava!建てめも。
sava!ブログから建物に関することをある程度分離してメモしておこうと考えてできた分室です。家に関することについて語っているので、気が向いたら見てください。
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circleB06-10富山県富山市『富山ガラス工房』にて吹きガラス制作を体験してきた。
circleB06-10長野県上田市『ルヴァン 信州上田店』天然酵母と国産小麦を使った量り売りのパンがスゴイ。
circleB06-10長野県上田市@壱景。【写真多用】
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circleB06-10ワタクシが行って良かった&また行きたいと思うカフェ。【2017】
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circleB06-10ワタクシが行って良かった&また行きたいと思うカフェ。【2014】

circleB06-102012年に購入してとても重宝したもの。
circleB06-102013年に購入してとても重宝したもの。
circleB06-102014年に購入してとても重宝したもの。
circleB06-102015年に購入してとても重宝したもの。
circleB06-102016年に購入してとても重宝したもの。
circleB06-102017年に購入してとても重宝したもの。
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circleB06-10茨城県北茨城市『天心遺跡』の被災後復元された六角堂がすごい。
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