sava!

興味あるものを 興味ある人に。

私は諦めを敵とする。 私の日々の努力は実にこの諦めと闘うことである。 (北条民雄)

京都府京都市『真正極楽寺 (真如堂)』の本堂と桜と紅葉の花と馬酔木。

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永観2年(984年)、比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって、延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まり。
正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。

本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師円仁が一刀三礼にて彫刻したもので、完成直前に「比叡山の修行者の本尊となりたまえ」と言って白毫を入れようとすると、阿弥陀像は首を三度横に振って拒否されたので、「では京の都に下って、一切衆生をお救い下さい。中でも女人等を救いたまえ」と言うと、阿弥陀像は三度頷かれたという伝説がある。


紅葉の名所として人気があるらしい真如堂。

吉田山荘にあるカフェの帰りに桜を見に立ち寄りました。

拝観時間が終わるギリギリでしたが滑り込みで入れて貰えたので

庭園「涅槃の庭」を含め「釉貼花花卉鳳凰六耳壺」「舎利塔」などを見学できました。

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三重塔は1817年(文化14年)の再建。
(京都府指定有形文化財)

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紅葉の花が咲いていました。
これだけ植わっていれば、紅葉もさぞかし。

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桜もほぼ満開。

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本堂は重要文化財。

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内部を観てから枯山水の庭を見に移動します。

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速歩で廊下を往復する。

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薄っすらと桜が見える。

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本堂周辺を含め、見どころが沢山あるので時間が無いことが惜しまれる。

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本堂脇でも薄っすらと桜が咲いています。

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内部は写真撮影禁止なので周辺のみを撮っています。

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塩漬けにする種類の桜かしら?

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驚くほど育っている馬酔木。
低い木しか見たことが無かったので初めて下から花を見上げられました。

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トライポフォビアには気持ち悪いビジュアルです。

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花の中を見たいという強い欲求でそれに抗う。

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「ほら、ぶつぶつやで」と同行者に言われて見下ろしたら確かにぶつぶつでした。
きもい。

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遠くから見るぐらいが丁度いいと言うことを今回知りました。

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坂を見るとここが高台であることがよくわかります。

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庭園などを見学する前に御朱印もいただきました。

滑り込みで見学させて頂けて本当に良かったです。

今回記憶に残ったのは「釉貼花花卉鳳凰六耳壺」。

午前中に油を買いに行ったもんでとてもタイムリーな美術品でした。

この壺に入っていたのはどんな植物油だったんだろう?

再訪することがあれば聞いてみようと思います。

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左手に評判のいいカフェがあったことに全く気付きませんでした。


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【真正極楽寺 (真如堂)】

京都府京都市左京区浄土寺真如町82
山号:鈴聲山
宗派:天台宗
本尊:阿弥陀如来(重要文化財)
創建年:永観2年(984年)開山:戒算
正式名:鈴聲山真正極楽寺
別称:真如堂
https://shin-nyo-do.jp/


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山梨県甲府市『善光寺(甲斐善光寺)』の国の重要文化財に指定されている本堂が見どころありまくりで誰かにオススメしたい。

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山梨県には複数の重要文化財に指定されている建造物があり、

駅から近い場所はほぼ足を運んておりますが、

甲府駅に近い場所にある二カ所は未踏のままになっていました。

本日はそのうち、武田信玄が信濃善光寺を山梨郡板垣郷に移したことに始まる

甲斐善光寺とも呼ばれる「善光寺」を参拝して参りました。

善光寺から近い場所にある重要文化財「東光寺仏殿」はまたの機会にと考えております。

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善光寺山門(仁王門)
永禄元年(1558年)創建、宝暦4年(1754年)に焼失。
現在の山門は明和4年(1767年)の上棟。(徳川家治の時代ですね)

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扁額には「定額山」と書かれています。

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こんなニュースがありました。

国の重要文化財に指定されている「善光寺本堂」と「善光寺山門」は、老朽化で雨漏りがひどいことなどから、今年度から令和15年度までの10年計画で、修理事業を進めていく予定です。
甲斐善光寺によりますと修理が大規模になることや物価が高騰している影響によって、修理費用はおよそ33億円が必要になるということです。
2024年4月10日 NHK 山梨県のニュース

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床に使われている石の色が違うのは補修されているってこと?
調べたら60年以上前に大規模修繕工事がされているみたい。

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補修に塗装工事が含まれると思うのですが、
日光東照宮のような補修になるのは嫌かも。

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山門には未完成の金剛力士(仁王)像が安置されています。

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阿形(あぎょう)像

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未完なので像を造る工程がわかるとも言える。

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丸太を嵌めてから彫るんですね。
というかバランスが凄い。

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吽形(うんぎょう)像

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こちらは割と彫り進められている感があります。

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山門は桁行が約17m、梁間が約7m、棟高が約15m。
石畳の参道を含めて立派な外観です。
(ひとめだけでは老朽化を感じられないほどに)

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山門の説明はこちら。

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かなり立派な参道だと感じる。

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参道脇にお店がありました。

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道を挟んで参道は続きます。

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本堂の前の常香炉にはお線香の自動販売機が設置してありました。

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手水舎もあります。

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善光寺本堂
永禄元年(1558年)創建、宝暦4年(1754年)に焼失。
現在の本堂は天明5年(1785年)の上棟。
本堂は撞木造(しゅもくづくり)。

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重文指定年月日:昭和30年(1955年)06月22日。

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破風の彫刻と色彩が豪華。

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唐破風部分の屋根は茅葺なのかな?

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立派な向拝(こうはい)。
本堂外陣(げじん)までは無料で見学できます。

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龍や獅子に色彩が施されていないのは何か意味があるんでしょうね。

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手挟(たばさみ)の彫刻も見事。
亀の顔の向きが違いますね。

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木鼻(きばな)の
一部の獅子の眼には玉のようなものが填まっているように見えました。

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本堂脇から向拝を眺める。


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外陣にある賓頭盧(びんずる)様。
神通力の強い十六羅漢の一人。

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外陣にある天井画。
ワタクシの視力では見えませんが、きっと龍なんだろうと推察。

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金堂もよくよく見ると素晴らしい。
(彩色された天井画を双眼鏡で見てみたい)
500円をお納めしても見るべきかと。
本堂中陣天井には巨大な龍2頭が描かれている。廊下の部分は吊り天井になっていて、手をたたくと多重反射による共鳴が起こり、「日本一の鳴き龍」と呼ばれている。
本堂下には「心」の字をかたどる「お戒壇廻り」もあり、暗闇の中の鍵を触れることによって、御本尊様と御縁を結ぶと言われている。

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宝物が詰まった本堂だと感じました。

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本堂脇にある階段。

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本堂の基礎の部分。
石の積み方が美しい。

甲斐善光寺には燈籠仏(とうろうぶつ)と呼ばれる仏像が伝来している。
これは像高5cmほどの一光三尊阿弥陀如来像で、普段は燈籠に収められ秘仏として扱われている。江戸時代に甲斐善光寺で発行された縁起に拠れば、願い事を占う際に用いられる仏像で、「善光寺燈籠仏縁起」「甲陽善光寺略縁起 附 灯篭仏略縁起」に拠れば、願い事が叶うなら重くなってくださいと念じて持ち上げると、願い事が叶う場合には重くなり、叶わない場合は軽くなるという。明治6年(1873年)10月18日、山梨県庁から「山梨郡善光寺燈籠仏を以って吉凶禍福を卜するを禁ず」の通達が出され、燈籠仏を用いた占いが禁止された。
燈籠仏は歌舞伎や川柳において登場する。

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最近頻繁に見る芭蕉の碑。健脚だったんだなぁ。

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こちらは早咲きの梅のようで、ほぼ満開でした。

この本堂は、東日本最大級の木造建築物だそうです。

信州の善光寺とは異なり観光客がほとんどいないため、

「お戒壇廻り」がたった一人だったので大変怖かったです。

たぶん廻っている時は金堂の下にワタクシひとりだけしか居なかったんじゃないかと。

自分と向き合う良い機会でしたが、いろいろと考えさせられました。

ちなみに鳴龍は、今まで聞いた中で一番いい音な気がします。

響きが耳に心地良い。

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鳴龍の御朱印もあります。

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直書きの御朱印をいただきました。
(500円)

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物欲が湧きそうになるお守りもありました。
こういうタイプは初めて見た気がする。


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【善光寺(甲斐善光寺)】
山梨県甲府市善光寺3-36-1
創建年:永禄元年(1558年)
開基:武田信玄
本尊:善光寺如来(秘仏、重要文化財)
[拝観・御守り受付所] 9:00~16:30
http://www.kai-zenkoji.or.jp/


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岩手県西磐井郡平泉町『中尊寺』に来たのは何十年ぶりだろう?【後編】

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中尊寺金色堂の金(きん)はどこで調達されたのか?
あれほどの金を使える金鉱が奥州藤原氏の勢力圏内にあったということですよね。

どうやら、玉山金山(岩手県陸前高田市)、鹿折金山(宮城県気仙沼市)、大谷金山(宮城県気仙沼市)などの金鉱山(砂金)が平泉を支えたと言われているそうです。そしてこの金鉱が、奥州藤原氏の栄華を支えた基盤だったっぽい。

金についての謎は解けましたが、戦中戦後の混乱期の金色堂の保存はさぞや大変だっただろうと愚考。
岩手県立図書館HPの資料によると戦時中は寺僧にも召集者が続出し、寺領内の一部の巨木は軍需品として伐採されたそうです。
中尊寺を守る人が少なくなるなか金色堂を含めた宝物類が、よくぞ後世に残ったものだと感服します。

東日本大震災では本堂の漆喰壁の一部が破損、石灯篭3基が倒れたそうですが、それ以上に大きな被害は受けなかったそうです。

そんな時代の荒波を潜り抜けて金色堂は今の時代に輝いているのだと思うと、先人たちの努力に頭が下がります。

松尾芭蕉が今の金色堂を見たら、なんと詠むのだろう?

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大長寿院へ続く道。

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大長寿院の山門

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山門に墨書きされているものを読むと、平成4年に修理されているようです。

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なぜか門の裏側にびっしりと積まれている小石。
積む意味が謎。

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大長寿院
本尊は胎蔵界大日如来。

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内部には絵などが飾られているのが見えました。

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建物脇にあるモミの木。
町指定天然記念物らしい。

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かなりな巨木です。
枝が落とされており、クリスマスツリー感は無い。

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旧鐘楼
梵鐘は康永2年(1343年)の鋳造。

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峯薬師堂

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お堂の周囲に紅葉が植わっているため、
紅葉の季節はさぞかし綺麗かと。

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弁財天堂の受付が閉まっていたため御朱印をいただくことはできませんでした。

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角大師の札も気になる。

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本堂脇にある庫裏。

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こちらは本堂。

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本堂前にある手水鉢は雪で埋もれていました。

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彫刻が素晴らしい向拝。
本堂は明治42年(1909年)の再建。
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懸魚(げぎょ)り彫りが精巧。

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兎の毛通し(うのけどおし)も見事。

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天台宗総本山比叡山延暦寺から分けられた「不滅の法燈」が堂内にあります。

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本堂に上がる階段の割れの部分に瓢箪の鎹(かすがい)があしらわれていました。

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本坊表門は補修工事中でした。
(岩手県指定文化財)

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表側から見た門。
修繕は終わりかけか?

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と思ったら始まったばかりで、工期は来年五月まででした。

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先月だったらここを通れたのか。

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中尊寺仕様のポストがありました。
消印も特別なのかな?

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山門脇の木が気になったので近寄って見ると

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樹皮に文字のようなもの見受けられました。
(右側に「年」のような文字)

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月見坂に向かって下っていきます。

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途中でお休み処を発見。
ちょいと覗いてみることにしました。

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入り口付近にある蔵。
シンプルで格好いい。

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こちらがお休み処。
外が見えないようなので中に入るのは止めておきました。

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代わりに庭園から麓の街並みを垣間見る。

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地蔵堂では書置きの御朱印をいただきました。
1877年の再建。

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東物見台付近から見たふもとの街並み。

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弁慶堂
文政10年(1827年)の建立。

寺塔四十余宇、禅坊三百余宇あったとされる中尊寺の伽藍。1337年の火災で金色堂を除く堂宇がほぼ全焼。その後、伊達氏の庇護を受けて堂宇の補修・建立がなされています。しかし松尾芭蕉が中尊寺の荒廃ぶりを見て嘆いたように、江戸初期には荒廃の極に達し、明治9年(1876年)、明治天皇の50日間に及ぶ東北巡幸が行われ、中尊寺の保存を命じられたことで保存事業が行われました。
明治天皇は本堂を再建するためのご寄進もされたそうです。

現在我々が観ている中尊寺は、奥州藤原氏が建立した当時に比べると規模を縮小しているようですが、それでも大規模な極楽浄土のテーマパーク感がありました。

十代ではわからなかったけれども。

今回この歳になって再訪が叶い、当時は感じなかった栄枯盛衰の浪漫を体感しました。
まさに「兵どもが夢の跡」。
それを感じている自分は今まで人生経験をそれだけ積んだのだと理解し、感慨深かったです。

再訪して本当に良かった。
心からそう思った中尊寺の旅でした。



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折角なのでお守りの類を購入することにしました。

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こちらは招福香守。
(上の写真の左下端)

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底のネジを取ると白い玉が出てきました。
これにお香の香りを含ませるのかも。
(塗香を塗してみました)

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今回頂いた御朱印は4種。
直書き3種と書置き1種です。

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こんな御朱印もありました。

讃衡蔵の端に売店があるのですが、そこで懐かしい自販機を発見しました。

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コカ・コーラの瓶タイプ。

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栓抜きも置いてあります。
サスティナブル! SDGs!

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こんなダジャレ メニューもありました。


◆御朱印の参考にさせて頂きました

[参考] 岩手県立図書館-世界の平泉へ-

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【中尊寺(ちゅうそんじ)】

岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
境内通年開放
[3月1日〜11月3日] 8:30~17:00
[11月4日〜2月末日] 8:30~16:30
拝観券:1,000円
土日祝利用可能公共交通:[岩手県交通]平泉町内巡回バス「るんるん」HP
https://www.chusonji.or.jp/
facebook


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岩手県西磐井郡平泉町『中尊寺』に来たのは何十年ぶりだろう?【前編】

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奥州藤原氏三代ゆかりの寺として有名な『中尊寺』。特に有名な建物と言えば国宝建造物第1号に指定されている金色堂。

中学校の修学旅行で訪れたことがあるのですが、坂道を延々歩いたこととコンクリート建造物内の金色堂の印象以外の記憶が欠如しているため、記憶の補完をすべく再訪しました。

母も再度見ておきたかったそうですし。

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JR平泉駅からはタクシー争奪戦。改札からダッシュする人はどこに行くんだろう? と眺めていたら、行き先はタクシー乗り場でした。その後、ほどほどに待ってから到着したタクシーに乗り込み中尊寺の上の駐車場へ。バス利用だと下から延々と坂道を登らねばならないところでしたが、片道ワープで金色堂に到達できました。

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駐車場の脇にあった蓮池。
四代泰衡公の首桶から発見されたハスの種が
平成10年、開花に成功したそうです。

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道を挟んで向かい側にも蓮池がありました。

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ドラム缶のようなものにも蓮が入っているんでしょうね。



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さて、駐車場から坂道を上り、讃衡蔵の一角にあるチケット売り場で金色堂の拝観券を購入します。

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坂を上ったところにある金色堂の入口で参拝券を提示。

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国宝「金色堂」は鉄筋コンクリート造の覆堂内にあります。
(撮影禁止)

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讃衡蔵の出口付近で唯一撮影OKだったパネル。
金色堂の須弥壇はこんなビジュアルだそうですが、
実際は暗くてこんな風には見えませんでした。

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松尾芭蕉翁句碑「五月雨の振り 残してや光堂」
左側は墓石かと思ったら句碑だったんですね。

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経蔵(重要文化財)
国宝「一切経」を納めていた建物。
※現在「一切経」は讃衡蔵に移されています

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創建時は二階瓦葺だったそうです。

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扁額の文字がワタクしには読めない。

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経蔵の右手奥に旧覆堂があり、その間にも建物が見えます。

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関山天満宮(かんざんてんまんぐう)
見た目よりも急斜面ですが登ってみました。

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天満宮なので手を合わせておく。

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芭蕉翁像の奥に見えるのが関山天満宮です。

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こちらは金色堂旧覆堂(重要文化財)。
建築年代は室町時代中頃と推定されています。

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現在金色堂があるところからここに移設したらしい。

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コンクリートの覆いよりも遥かに趣があると感じる。
500年間金色堂を守っていたというところにロマンを感じる。
しかし、昭和時代に新たな覆堂を造らねばならなかった背景を知り、納得。


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補強に継ぐ補強がされているようで、満身創痍のお堂なのだと感じる。
先の地震で被害は無かったのだろうか?

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堂内中央にある卒塔婆。
没後八百年後に建てられた卒塔婆ってことかぁ。

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この樹種は何なんだろう? ヒバ?

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天井に見える木材は修繕用のストックなのかしら?

拝観料が必要なのは金色堂と讃衡蔵。讃衡蔵(さんこうぞう)には国宝や重要文化財に登録されている中尊寺の宝物類が保存展示されています。(撮影禁止)
讃衡蔵内の宝物類は大変見応えのあるものでした。

敷地内に点在している人の居ない建物に仏像などを安置したままでは盗難にも遭うだろうから、こういう施設は必要不可欠だろうと、今回境内を歩いてみて実感致しました。
今が閑散期で閉まっているところが多いし、観光客は少ないしで、余計に実感できたとも言えます。


少し長くなったので、後編につづく。


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【中尊寺(ちゅうそんじ)】

岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
境内通年開放
[3月1日〜11月3日] 8:30~17:00
[11月4日〜2月末日] 8:30~16:30
拝観券:1,000円
※JR平泉駅から中尊寺の上までタクシー利用で1,110円
土日祝利用可能公共交通:[岩手県交通]平泉町内巡回バス「るんるん」HP
https://www.chusonji.or.jp/
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京都市北区『大徳寺 黄梅院』の庭園が見事だった(許可された場所以外撮影禁止)。

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大徳寺の黄梅院が特別拝観中とのことで立ち寄ることにしました。

ここは撮影禁止ということで、カメラを鞄に入れて受付に向かったのですが、

玄関先の埴輪に「可愛い!」と反応したら

「それは撮っても良いですよ」と教えて貰いました。

ついでに門から受付までなら撮っても良いと許可を貰ったので、

来た道を戻って撮って参りました。

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それほど紅葉していないけれど美しい前庭でした。

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苔もいい感じ。

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こちらがワタクシが反応した埴輪です。
結構大きな埴輪なのですが特注かな?

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右手が門です。

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撮れるところではここが一番紅葉していたかも。

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三つの建物が重要文化財に指定されています。

撮れなかったけれど、とてもいいお庭でした。

正座して庭を見てのんびりできたし。

ボランティアガイドの方の説明も興味深かったし。

折角なので、少しお高い御朱印も頂きました。

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ご住職が一枚一枚手書きしているという御朱印。
書き置きです。
(1,000円)

筆をとるのがお好きなご住職のようで、

あちらこちらに書が飾ってありました。

これを見ると、それを思い出せそうな気がする。

静かで、ボーっとできる良い場所でした。



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【大徳寺 黄梅院(おうばいいん)】

京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1
宗派:臨済宗大徳寺派
寺格:大徳寺塔頭
本尊:釈迦如来
創建年:永禄5年(1562年)


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京都市北区『源光庵』の伏⾒城遺構 ⾎天井と真っ赤な紅葉。

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『源光庵』といえば、伏⾒城遺構の⾎天井が有名。

と思っていたのは俗物なワタクシぐらいで、

一般的には「悟りの窓」が有名だったらしい。

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丸窓のある山門。
独特のビジュアルですね。

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山門脇にある紅葉

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真っ赤な紅葉もあります。

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黄色と赤のグラデーションが綺麗です。

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本堂裏の枯山水庭園では紅葉が見頃になっていました。

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人が大勢いるため右手側は撮影せず。

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上の写真と同じ紅葉です。

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本堂に向かう渡り廊下から紅葉を眺める。
ここは「鶴亀の庭」という名前が付いているそうです。

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約3,000年前の屋久杉から作られたという屋久杉屏風。

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裏庭園を眺める書院にあった襖絵。
江戸時代中期の絵師 山口雪溪の水墨画です。

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本堂には「萬徳殿」の扁額が掲げられていました。
額の周囲は金箔が貼ってあった(ある)のかもしれない。

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本堂に掲げられていたもの。
見えなかったので撮ってみたけど読めない。
曹洞宗の寺院だから永平寺の文字があるんだろうか?

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こちらが「悟りの窓」。

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こちらが「迷いの窓」。

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そして有名な血天井。
慶長5年(1600年) 伏見城の戦いで
石田三成に破れた徳川勢の鳥居元忠らが自刃した際の血痕です。

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こちらは足形。

血天井を見上げると、喧騒が聞こえてきそうな気がします。

そして窓から外の紅葉を見ると、そこには静けさがある。

なんとも不思議な空間でした。

観光客の皆さんはだれも天井を見上げていませんでしたが

説明する人が居たらどういう反応を示すんだろう?

歴史を語る人が居なければそこにあるものはただの物だと

仄かに感じたひとときでした。

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御朱印は書き置きでした。
(拝観者が多いのでやむなし)


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【源光庵(げんこうあん)】

京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47
山号:鷹峰山(林号:寶樹林)
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
創建年:貞和2年(1346年)
開山:徹翁義亨
正式名:鷹峰山 寶樹林 源光庵
別称:復古禅林
拝観料:500円
https://genkouan.or.jp/


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京都市北区『光悦寺』の紅葉が見ごろだった。

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撮れる場所が厳密に決められています。
指導のもとで撮ったのがこの一枚。

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散っている紅葉すら美しい。

友人オススメの紅葉スポットにやって参りました。

観光客だらけの神社仏閣の中で、割と空いているらしい。

江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康から与えられたこの地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦の死後、寺(日蓮宗)となった。境内には、大虚庵など7つの茶室がある。

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庭園内から近くに鷹ヶ峰・鷲ヶ峰が、遠くには東山三十六峰の山並みが見渡せる。

観光客は時間とともに増加したとはいえ、

敷地が広いからかそれほど混んでいるとは感じないところが良い。

ありがたくもおかげさまで写真を撮る量が多くなりました。

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写真の左側に受付があり、そこで御朱印帳を預けてから拝観開始。

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こちらが有名な「光悦垣」。

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山と庭の境が分らないところも良い。

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ドウダンツツジが真っ赤に染まっていました。

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「チャアレス エル 布利耶 碑 MONUMENT OF MR.CHARLES L.FREER」
と書かれた謎の碑。

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水原秋桜子の句碑
「紅葉せりつらぬき立てる松の幹 秋桜子」

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突き当りが光悦墓所。

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たぶん鷲ヶ峰(わしがみね)。

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たぶん右手が鷹ヶ峰(たかがみね)。

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こちらも鷲ヶ峰。

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帰路で再び写真撮影禁止スポットにやって参りました。
右手に拝観受付があります。
山門の内側からなら撮っても良いとのことで山門に戻って撮ってみる。

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こちらも山門の内側から撮っております。

道を塞いで写真撮影に興じる観光客が多いらしく、

撮影禁止スポットが増えるのは致し方なしかと。

実際、撮るよりも視界に広がる紅葉の方が綺麗だったりもするので

記憶力があれば眺めるに留めるのもの良いのかも。

(記憶力が無いのでワタクシは撮っております)

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こちらが御朱印。
なんか格好いい。


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【光悦寺(こうえつじ)】

京都府京都市北区鷹峯光悦町29
山号:大虚山
宗派:日蓮宗
本尊:十界大曼荼羅
創建年:明暦2年(1656年)
開山:日慈


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千葉県成田市『成田山新勝寺』を一周する。【後編】

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ようやく平和大塔が見える場所までやって来ました。

曇り空だったはずなのに、晴天になりつつある。

暑い。汗が止まらん。

握りしめていたミニタオルを新しいものと交換してから塔を見上げる。

さて、迂回して緩やかな道を行くか、正面の急階段を突破するか。

暫く迷ってから正面の階段を上ることにしました。

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仏教寺院とは思えんデザインの獅子(顔だけ)が現れる。
昭和後期のセンスを感じると思っていたら、
ここは984年(昭和59年)に建立されたものでした。
真言密教とは!?

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日光が照り付ける階段を気合を入れて上ります。
ちなみに真言密教の教えとは
「あきらめない、投げ出さない、逃げ出さない」
というものだそうです。
今日のワタクシは試されてるのかも。

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平和の大塔(へいわのだいとう)
1984年(昭和59年)建立。
真言密教の教えを象徴する塔です。

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辿り着いた大塔の二階部分。
心地よい風が吹き抜けております。

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光明堂(こうみょうどう)
国指定重要文化財
大日如来、愛染明王、不動明王が祀られています。

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正面はこんな感じ。
左側後方にある奥之院には洞窟があり大日如来が安置されているらしい。

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朱塗りの建物で大変豪華な造りです。彫刻群も素晴らしい。

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向拝(こうはい)に飾られた額の数々。
寄進されたものなんでしょうね。

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保護網がかかっているため肉眼では良く見えないのですが
じっくり見てみたい内容です。

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天国宝剣(あまくにのほうけん)の彫刻もあります。

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色が剥げていますが、元は極彩色の獅子だったんでしょうね。
まだ彩色ができた時代の1701年(元禄14年)建立。
※徳川綱吉の時代

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額堂(がくどう)
国指定重要文化財
1861年(文久元年)に建立されたものなので彩色はありません。
※徳川家茂の時代

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開山堂(かいざんどう)
1938年(昭和13年)建立。
開山の寛朝僧正を御姿を安置するお堂です。

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釈迦堂(しゃかどう)
1858年(安政5年)建立。
国指定重要文化財

◆安政5年に起こったこと

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破風の拝下(おがみした)、懸魚の奥に見える彫刻。

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鬼ですね。
不動明王のもと鬼も頑張って火伏を担っているのかも。

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この日いただいた御朱印は5種。
相性の点から出世稲荷のものは遠慮致しました。

成田山新勝寺の縁起が平将門の乱に始まるためか、

「神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブー」

があるそうです。

平将門公に関わる神田明神や筑土神社などをなるべく遠慮している身なれば、

逆に参拝してもよかろうと思ったのが再訪動機でもありました。

久々に参拝してみて感じたのは、「こんなに広かったのか」ということ。

特に体感的には公園が広かったです。

また10年後に来れたとしても今回のように歩き回るのは無理かもしれん。

御朱印も頂け、歩ききったことにかなりの達成感がありました。

もし光明堂を塗り替える日が来たら、その姿を見るべく再訪したいです。









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【成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)】

千葉県成田市成田1番地
宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王(大聖不動明王)
創建年:940年(天慶3年)
開基:寛朝僧正
正式名:成田山金剛王院神護新勝寺
https://www.naritasan.or.jp/


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千葉県成田市『成田山新勝寺』を一周する。【前編】

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成田山新勝寺に行ったのが10年前だったため現在の姿を見に行くことにしました。

10年前の記憶が鮮明なところとそうではないところがあるのですが、印象は割と良かった気がする。

建物群を見るなら(撮るなら)朝一番が良いだろうと考え、JR+京成電鉄利用で向かうことに。

所用時間は約1時間半でした。(もっと遠いと思ってた)

早朝なので境内に居る人の姿は疎ら。大変歩き易いです。やっぱお参りは早朝がベストかも。

さて、総門をくぐると正面に見えるのが仁王門。

階段の上にある姿を見ると、ここが「山」なんだと感じさせられます。

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仁王門(におうもん)
国指定重要文化財

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階段の両脇を守る阿吽の狛犬。

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仁王門を飾る彫刻群も素晴らしい。

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仁王門の天井は折り上げ格天井で見応えがあります。

那羅延金剛
密迹金剛
仁王門正面を守る阿形の那羅延金剛像(写真上)と吽形の密迹金剛像。

広目天
多聞天
門の裏側には広目天(写真上)と多聞天が安置されています。

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仁王門から見下ろした総門。
人が増えてきたなと思ったら団体様が到着したらしい。朝早いツアーだな。

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大本堂(だいほんどう)
1968年(昭和43年)建立。

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三重塔(さんじゅうのとう)
国指定重要文化財
逆光で上手く撮れず(前回撮ったものはコチラ

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大本堂裏にある大日如来像。

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御朱印マップなるものがありました。
この図を信じて歩いてはいけないことを後ほど思い知る。

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大本堂裏にある築山には多数の銅像が安置されていましたが
肉眼ではどれが何の像なのか見えませんでした。

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平和大塔を目指して境内裏手にある成田山公園に足を踏み入れます。

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案内表示がザックリしている。
迷ってはいけないと思いつつも迷いかける。

アカガシ
アカガシ(赤樫、学名:Quercus acuta)の巨樹に逢う。
赤みがかっているところが特徴で、木材としては硬く加工が割と困難らしい。

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いろいろあって、文殊の池に到着しました。

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ちょっとした落差で滝っぽいものが見られます。
これが雄飛の滝なのか? 西洋庭園はどこに?

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木々の向こうに塔の屋根らしきものが見えます。

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石の上で休む亀。って外来種じゃん。

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ここでようやくリアルタイプの地図を発見。
あのまま森を進んでいたら、しんどさ倍増だったかも。

ようやく目指すべき場所がわかったので、これから大塔に向かいます。

もう、汗だくだくさー。





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【成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)】

千葉県成田市成田1番地
宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王(大聖不動明王)
創建年:940年(天慶3年)
開基:寛朝僧正
正式名:成田山金剛王院神護新勝寺
https://www.naritasan.or.jp/


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台東区谷中『谷中 観音寺』に国登録有形文化財の築地塀を観に行く。

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谷中に国登録有形文化財に指定されている築地塀があると知り、

朝から撮りに行って参りました。

観音寺というお寺の塀なのですが、この辺りはお寺さんばかりなので

地図を頭に入れてから向かいました。

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このポストが目印かもしれん。
塀はこの道の先を右折したところにあります。

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観音寺は赤穂浪士ゆかりのお寺なんだそうです。
時間が無いので今回は境内には入らず。

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こちらが文化財になっている築地塀です。
とても綺麗に改修されていますね。

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ちなみに「築地塀」と書いて「ついじべい」と読みます。
「つきじ」と読まないのは築泥(ついひじ)が語源だから。

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厚みのある塀なので、忍者が走るのは容易いかも。


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観音寺の御朱印は切り絵になっているようです。
授与料を見て仰け反った。

もっと早く気付いていれば、改修前の姿が撮れたのに。

今後は経年変化を見たいので、散歩がてら定期的に撮りに来ようかな。

コンクリート塀とは異なり築地塀は風情があっていい感じです。

こんなに厚みがあれば、そりゃ耐火性もあり鉄砲にも強かろう。

織田信長が御礼として熱田神宮に築地塀を寄進するぐらいですし、

手間と工賃が高いだろうとも思えました。

(維持費もかかりそう)



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【谷中 観音寺】

東京都台東区谷中5-8-28
(JR山手線 日暮里駅より徒歩5分)
御朱印授与場所:本堂左手、寺務所にて
御朱印授与時間 9:00〜16:00
http://yanaka-kannonji.jp/
https://www.instagram.com/yanaka_kannonji_temple/http://yanaka-kannonji.jp/


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神奈川県鎌倉市『寿福寺』で北条政子の墓をみて来た。

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源頼朝が没した翌1200年(正治2年)に

北条政子が栄西を開山に招いて創建したという『寿福寺』。

内裏手の墓地に北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があるとのことで、

地元の方に案内して頂いて(文字通り)見て参りました。

お寺の裏側にある薄暗い崖のような場所に

鎌倉地方特有の「やぐら」と呼ばれる横穴式墓所がありまして、

底に割と小ぶりな五輪塔があります。

足元にそれぞれ北条政子と源実朝の名前が書かれたボードがありますが、

それが無ければ誰のお墓か分からないぐらいひっそりとした佇まい。

現在の大河ドラマで人気の観光地となっている感のある鎌倉ですが、

有名人のお墓にしては、あまりお参りする方が居ないのかなという印象でした。

たまたまかもしれませんが。

ちなみに、お墓なので写真は撮りませんでした。

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朱塗りの総門。
割と新しい感があります。

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(クリックで拡大)

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総門から中門までの参道

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中門から内側の境内は一般公開されてません。

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崖にあるこういう造形が鎌倉っぽいですよねぇ。

よくよく考えたら、これは観光だったのかもしれない。

細い道をぐねぐねと上がっていくトレーニングっぽかったけれども。

そして鬱蒼としている木々や草を縫う感じで、

ワタクシは虫刺されに警戒してピリピリしていたのだけれども。

鎌倉時代にあまり興味が持てないため、

いつまで経っても何の情報もワタクシの中に積み重ならないのだけれども。

このことから、次回は虫刺され対策を万全にしてから

鎌倉入りしようと思います。



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【寿福寺(じゅふくじ)】

神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7
正式名:亀谷山 寿福金剛禅寺
宗派:臨済宗建長寺派
開山:葉上房栄西(明菴栄西)
開基:北条政子
創建年:1200年(正治2年)


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神奈川県鎌倉市『覚園寺』が静かな穴場スポットでとても良いところでした。

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[愛染堂]
廃寺となった大楽寺の本堂を移築。

境内が国の史跡に指定されている『覚園寺』にやって参りました。

鎌倉駅からは少し遠いからか、こちらも人が居らず、

かなり静かでひっそりとしております。

有料拝観エリアは一時間おきの時間指定がされており、

タイミングが合わなかったため愛染堂のみの参拝で終えましたが、

時間とタイミングを見計らって、いつか再訪したいと思っています。

それぐらいワタクシにとっては良いと感じるスポットでした。

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愛染堂の周辺だけでも目に優しく良い感じです。

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灯篭の脇で真っ赤なシャクナゲが花を咲かせていました。

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目がおかしくなりそうな強い赤です。


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チラホラと残る八重桜もありました。

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こちらは薄ピンクの可憐な桜。

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毎度忘れるのですが、これなんて花でしたっけ?
二色なのが綺麗だなぁと感じ入ったのですが。

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あかん。思い出せん。

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梅には実が成っていました。

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これはアカシアの仲間かしら?

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来年の大河ドラマの題材に所縁のある場所らしいです。

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立派な石塔の周囲には蓮の鉢っぽいものが置いてありました。

COVID-19以降、御朱印が書き置きになった寺社が多い中

ここでは直接書いて頂けるようで、

持参しなかったことをとても残念に思いました。

いっそ御朱印帳を購入しようかと思ったのですが、

手のひらサイズでとても小さかったため、

結局は書き置きを頂いて参りました。

空いているから直接書いて頂けるのかもしれず、

今後もそうかはわかりませんが、

再訪することかあれば念のため御朱印帳を携帯しようと思います。

鎌倉駅からこの近くまでバスが走っているので、

それを利用しても良いかも。

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特別御朱印がある。

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書置きを頂きました。


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【覚園寺(かくおんじ)】

神奈川県鎌倉市二階堂421
宗旨:古義真言宗
宗派:真言宗泉涌寺派
本尊:薬師三尊
創建年:建保6年(1218年)

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神奈川県鎌倉市『源頼朝の墓』とその周辺を散策する。

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鎌倉一の有名人に纏わるスポットなのに誰も居ない。

地元在住の方に案内されて『源頼朝の墓』やって参りました。

来年の大河ドラマは鎌倉が舞台だとのことで、

混む前に主要スポットを観ておこうということっぽい。

源頼朝+大河ドラマといえば、『草燃える』。

ワタクシの大好きな作家の永井路子さんと、

これまた大好きな女優の岩下志麻さんが出ていた時代劇で、

小学生ながらに見入った記憶があります。

ゆえに長らく北条政子といえば、岩下志麻さんのイメージでした。

来年の大河ドラマでは、小池栄子さんか演じられるそうで、

これまたイメージに合うなぁと今から期待しているところです。

さて、源頼朝の墓は上の階段を登ったところにございまして、

かなりひっそりとしたスポットでした。

源頼朝ってあまり人気が無いのかなぁ。

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武家政権の創始者なんですけどねぇ。

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明治に廃仏毀釈で法華堂が壊されたため空地になっています。
(頼朝を祀る白旗神社が階段手前に建てられている)

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荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)
長治元年(1104年)の創建。

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本殿は鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したもので
重要文化財に指定されています。

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境内にあってひと際目を惹く「大銀杏」の御神木。
樹齢900年近くになるらしい。

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鎌倉宮(かまくらぐう)の手水舎。
COVID-19により使用不可のためこのような姿になっています。

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絵を見て亀の甲羅を撫でていたのですが、
文字を見たら「頭を撫でる」と書いてありました。

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鎌倉宮は後醍醐天皇の第三皇子といわれる
護良親王(もりよししんのう)を祀る神社です。

鎌倉の桜は散り続けて路面をピンクに染めている状態ゆえか、

各寺院に観光客の姿は殆どありませんでした。

しかし、見たところ小町通りや鶴岡八幡宮大勢の人が居たので、

我々が足を運んだ場所がマニアック過ぎたのかもしれん。

わからんけど。

得意か不得意かと問われると、

ワタクシは後者に傾きがちな鎌倉。

武家文化があまり得意ではないからかもなぁ。

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山形県山形市『専称寺』本堂にある左甚五郎作と言われる力士像。

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専称寺本堂の四隅に左甚五郎作と伝わる「夜泣き力士」像があると知り、ランチの後で立ち寄って参りました。

ここは最上義光の娘で、悲劇で知られる東国一の美少女「駒姫」の菩提寺です。

駒姫は、その類いまれな美しさから父母に溺愛されて育ったという。
時の関白・豊臣秀次は、東国一の美少女と名高かった駒姫の噂を聞き、側室に差し出すよう義光に迫った。義光は断ったが度重なる要求に折れ、15歳になったら娘を山形から京へと嫁がせると約束する羽目に陥る。

文禄4年(1595年)、駒姫は京に到着し、最上屋敷で長旅の疲れを癒していたところ、7月15日、秀次は豊臣秀吉の命により高野山で切腹させられた。
そして駒姫も8月2日に他の秀次の側室達と共に、三条河原に引き立てられ11番目に処刑された。
まだ実質的な側室になる前だったと言われている。

父の義光が必死で助命嘆願に廻り、各方面からも処刑せぬようにと声があがった。秀吉もついにこれを無視できなくなり「鎌倉で尼にするように」と早馬を処刑場に派遣した。
しかしあと一町の差で間に合わなかった。享年15。

遺体は遺族が引き渡しを願ったが許されず、その場で掘られた穴に投げ込まれ、さらにその上に「畜生塚」と刻まれた碑が置かれた。
娘の死を聞いた母の大崎夫人も、処刑の14日後の8月16日に亡くなった。娘の跡を追った可能性は高いとされている。

この悲劇がのちに義光が関ヶ原の戦いで東軍に属する伏線になったとする指摘もある。

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駒姫の墓とされているところ。ただし、墓石はかなり新しい。

駒姫の死の翌年、義光は高擶で布教中の真宗僧乗慶に帰依、専称寺を山形城下に移し、駒姫と大崎夫人の菩提寺とした。


本堂は元禄16年(1703年)の建立。

江戸時代中期の木造建築物としては東北第一とされています。

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駐車場側から見た本堂。

書院・庫裏・鐘楼は慶長年間(1596年~1615年)の建築。

梵鐘と鐘楼は山形県の指定文化財となっているそうですが、見学はしませんでした。

また、山門を入り右側にあるイチョウの巨樹は、別名「雪降り銀杏」と呼ばれ、根回りが7.5mあるのだとか。

山形市の天然記念物に指定されている立派なものですが、これまた写真は撮りませんでした。(檀家さんたちのお墓が写るため)

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懸魚や蟇股はかなり立派。

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本堂正面。
本堂は市の指定文化財です。


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本堂正面の木鼻には獏? 象? のかなり立派な彫刻があります。

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耳が垂れているから、象なんだろうなぁ。

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左甚五郎作だと言われている力士像。駐車場側。

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こちらは本堂向かって左側の力士像だったと思う。

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本堂向かって右側の力士像だったかな?

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見る向きを変えると様子も変わります。
これらの力士たちは毎夜夜泣きするという伝承があるそうな。
屋根が重くて辛いらしい。

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サクッと書かれた説明書き。

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実なのか枯れ葉なのか分かりませんが、興味深い樹木でした。

かなり立派なお寺で、檀家さんも多そうです。

それにしてもこの辺りでは墓石は黒御影石(←たぶん)が人気なのかな。

墓石の色が黒で統一(と言ってもいいほど)揃っているのが印象的でした。

本堂外周の彫刻がこれほど立派だということは、

堂内はさぞかし、と推察されます。

見学はできないんですけどね。



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【専称寺(せんしょうじ)】

山形県山形市緑町3丁目7-67
山号:最上山
宗旨:浄土真宗,宗派:真宗大谷派
本尊:阿弥陀如来
創建年:1483年(文明15年)
開基:願正坊(本願寺第8世蓮如の高弟)
正式名:最上山専称寺


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栃木県大田原市『大雄寺』は国重要文化財に登録されている建物が9棟もある古刹です。【写真多用】

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今から615年前の応永11年(1404年)に余瀬村(現大田原市余瀬)旗城内に創建された『大雄寺(だいおうじ)』。
戦乱で焼失するも文安5年(1448年)に再建され、天正4年(1576年)に大関高増の居城が余瀬白旗城から黒羽城に移ったと共に現在地に移築されました。黒羽藩(くろばねはん)の大関(おおぜき)家累代の菩提寺です。

大関氏(おおぜきし)が歴史に浮かび上がってくるのは南北朝時代で、主家の元で周辺勢力との抗争を繰り返しながら着々と下野国に地盤を築いて行きました。
豊臣秀吉の小田原征伐で主家の那須氏を見限りいち早く参陣。その後、関ヶ原の戦いで東軍に付き活躍して下野国黒羽藩主となり、戊辰戦争では新政府軍方に付いて参戦。三斗小屋攻略や会津戦争などで戦功を挙げ、明治維新後には子爵となった一族です。

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現在の大雄寺の伽藍は文安5年(1448年)のもので、本堂,禅堂,庫裏,鐘楼,経蔵(附:棟札1枚),総門,北東廻廊、南東廻廊、南西廻廊が国の重要文化財に指定されています。また、御霊屋は昭和44年に栃木県の有形文化財に指定されました。
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文化財ではありませんが、大雄寺には江戸時代中期に古抑園鴬居という絵師が描いた「枕返しの幽霊」と呼ばれる掛軸があります。
一説によると病床の母を描いたもので、絵の完成直後に母が亡くなり、その後に絵を巡って様々な怪異が起きたため、供養のためにこの寺に納めたといういわれがあるそうてす。
ちなみに「枕返し(まくらがえし)」は日本の妖怪で、夜中に枕元にやってきて枕をひっくり返す、または頭と足の向きを変えるとされています。大雄寺の「枕返しの幽霊」も、これを掛けて眠ると翌朝には枕の位置が変わっているのだとか。
その絵を観たいような、見たくないような・・・。

ちなみに本堂の見学は申し込みが必要です。

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ここまでは那須塩原駅から市営バスでやって参りました。
とにかく暑い、陽射しがキツイ。
目的は大雄寺だけですが、その先にもいろいろあります。


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お寺へはここから入ります。
左側は駐車場、右側には少し上まで辿り着ける車道があります。


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良い感じに明るい参道の階段を上って行きます。

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まだ真新しそうな山門。

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木鼻の獅子の目に何かが填めこまれています。
これは何なのかな?(監視カメラなら現代的ですが)


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山門手前には石造の仁王様(阿形・吽形)がありました。


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参道の石段に苔が生えているので若干滑る。要注意。

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総門に辿り着きました。
こちらは国指定重要文化財の一つです。茅葺ですね。(大変だ~)


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この回廊も国指定重要文化財です。

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下は三和土になっています。
回廊には小休止するベンチが置いてありました。


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こちらの経蔵も国指定重要文化財です。

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(クリックで拡大)

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経蔵には彩色鮮やかな波模様が描かれていました。
火除けのまじないのようですね。経蔵ですし。


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沿革についてはこちらに書かれています。

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こちら水琴窟でして、
近寄らずともキン・キンと水が打つ高音の響きが聞こえてきます。
竹筒に耳を当てるのが不要なほどこの位置で聞こえました。


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圧巻の本堂。かなり凄いです。
もちろん国指定重要文化財です。


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本堂には上がることができませんが、窺い知る限りでは、襖絵が凄そう。
額縁に飾られている絵は遠目からでも一見の価値ありです。


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こうしてみると、本堂の床の高さがよく分かります。
湿気の多い土地なのかな? と考えてみましたが、
確かにここは水が潤沢に流れる那珂川の脇にありましたね。
ってここは高台ですけど。


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本堂表に飾られていた龍の絵。
これだけでも内部は一見の価値ありありだと推察できます。


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こちらは禅堂。
同じく国指定重要文化財です。


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この木鼻だけで重そうな鐘を支えられるんですね。
そこがスゴイ。


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本堂から禅堂を眺む。

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茅葺屋根は維持が大変。
と思って側面から見ると、背面は銅板で覆われていました。


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国指定重要文化財の鐘楼。
こちらは全方位茅葺です。


大王松
ふと足元を見ると、三葉の松が。

大王松
大王松が植わってあり、葉の長さからすると三葉はこの木のものっぽい。
日本では珍しい三葉の松ですが、輸入樹木であればごく普通。


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そういえば参道入口に聖母子像がありました。
ここに置かせてもらう理由にストーリー性を感じました。


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庫裏も国指定重要文化財です。

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偶然ご住職にお会いしましたので、御朱印を書いて頂きました。
中央の朱印がカッコイイ。


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実はここの御朱印帳が激しく可愛いのです。
物欲を押さえるのに苦労しましたが、
小さめの御朱印帳だったので止めておきました。
ただし、買わないと決めた瞬間から、記憶に残るだろうと思えました。
事実、未だに記憶残っています。
代わりにこちらの一筆箋を購入。


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こちらもなかなか良い感じです。

この『大雄寺』は、ドラマやCMなどで良く使われているそうです。

この日は誰も居らず、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」ならぬ、

蜂の羽音が凄まじかったです。

ずーっと耳元で聞こえているかのような無数の羽音。

どうやら茅葺屋根に集まっているようなのです。

調べてみると、茅葺屋根のストロー状のヨシの部分に

卵を産んで幼虫を育てているんですって。

納得です。

あれだけの音がする境内に、一体何匹の蜂が飛んでいたのか・・・

ヒトを攻撃する蜂でなくて良かったです。

蝉の声はまだ先のようです。

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わざわざ行く価値のある文化財だと思いますが、

バリアフルなので、ガッツのある方にしかオススメできません。

真夏は避けた方が良いかも。

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帰りは向町バス停まで歩きました。
バス停が見当たらず地元の方にも訊いてみたのですが、
「地元だからバスは乗らないから」と知らない方ばかりでした。
向町バス停は反対車線側にはバス停がありません。


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だいたい同じ位置の反対側で待ち、バスが近付いたら手を上げればいいみたい。
参考まで。


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【大雄寺(だいおうじ)】

栃木県大田原市黒羽田町450
山号:黒羽山(くろばねさん)
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来坐像
http://www.daiouji.or.jp/

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【那須塩原駅:大田原市営バス 雲巌寺線】
那須塩原駅東口から約41分で大雄寺入口に着きます
※バス時刻は2019年4月時です
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運賃は一律で200円(現金のみ)


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長野県長野市『善光寺大本願』は由緒ある尼僧寺院らしいです。

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[表書院]

仁王門に向かって西側にある大本願。

この大本願は、善光寺の山内浄土宗の本坊で、

642年(皇極天皇元年)から1400年余りに渡って続く尼僧寺院(尼寺)です。

蘇我馬子の娘・尊光が出家し、皇極天皇の命により開かれました。

善光寺上人とは、かつて宮中から上人号と紫衣着用の勅許を賜った称号で、

代々皇室にゆかりの女性によって受け継がれています。

往路で門構えを見て気になっていたので、帰路で立ち寄ってみることにしました。

御朱印が頂けるようですし。

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なかなか存在感のある門構えですね。

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[ひとにぎり地蔵尊]
平成24年(2012年)に建立された地蔵尊たそうです。


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おみくじなととともに配布(販売)してました。

善光寺は現在、浄土宗大本山大本願と、

天台宗大本山大勧進の二つの機構によって運営されています。

「大本願上人」と「大勧進貫主」の両名が善光寺住職を務めています。

善光寺って、浄土宗と天台宗が共同運営しているんですね。

初めて知りました。

今回頂いた御朱印は以下のものです。

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善光寺本堂側で御詠歌の御朱印を頂く場合は書き置きですが、
ここでは直接御朱印帳に書いてくれます。

もう一方の大勧進は、より本堂に近い場所に位置しています。

尼寺との差がここにあるのかしら? とぼんやり思ってみたり。

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[善光寺 本坊 大勧進(だいかんじん)]
山内にある天台宗の善光寺山内25ヶ院の本坊で、
大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、
代々比叡山延暦寺から推挙された僧侶(男性)が務めます。
ここにも御朱印がありました。


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ここ独自の御朱印が複数あるようです。

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大本願の向かいにある白蓮坊でも御朱印があるようです。

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書き置きのようですね。


善光寺に関する新たな知識を得た今回の旅です。



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【善光寺大本願(だいほんがん)】

長野県長野市長野元善町465
開門閉門時間 [4〜10月] 5:00〜16:00,[11月〜3月] 5:30〜16:00
拝観時間8:00〜15:30(受付終了 15:00)
https://daihongan.or.jp/


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昭和生まれの大阪育ち。数十年前から母の実家の神楽坂エリアに生息。食,日本酒,旅,富山県,文化財(建築物),読書等を好み、当ブログではそれらにオマケ情報も加味しています。それなりの年齢になり、老眼とか更年期とか諸々の不具合も出て参りました。そんな多様な話をチマチマと記す日々です。
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circleB06-102020年に購入してとても重宝したもの。
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circleB06-10茨城県北茨城市『天心遺跡』の被災後復元された六角堂がすごい。
circleB06-10料理が美味しそうな映画。
circleB06-10女子会デザートのバケツプリンが凄まじいデカさだった件。
circleB06-10コルネの食べ方は頭からか尻尾からか?
circleB06-10『牛乳パックシリコン蓋』をワタクシはこう使う。
circleB06-10アボカドカッターでアボカドを切るとこうなるのね。
circleB06-10思い込みを無くそう。
circleB06-10東京上空をヘリでクルージング。
circleB06-10通勤時防災用携行品リスト。