
画像作成:ChatGPT
三十年以上前、私はロンドン塔のホワイト・タワーで奇妙な体験をした。
友人たちと一列になり、狭い螺旋階段を時計回りに上っていたのだが、左肘を後ろから掴まれ、引き戻されるように引っ張られたのである。同行していた友人の悪戯だと思い込み、その名を呼びながら振り返ったが、返ってきた声は遥か下方から響き。私のすぐ後ろには誰もいなかった。
三十年以上の歳月が流れた今でも、その瞬間の指の感触と光景は、切り取られてはいるものの鮮明に記憶に焼き付いている。
この出来事について、心霊現象の是非を問うためではなく、あの時の周囲の記憶がどこまで事実と一致しているのか、そして自分は一体どのような空間に立っていたのかを解き明かすべく、AIとの共同検証を試みた。
当然ながら長年の歳月による記憶の変容を疑うべきであり、実際に螺旋階段が時計回りであったか、狭さはどの程度か、左側は本当に吹き抜けであったか、壁の手すりはあったのか、石の質感はどうだったか、という記憶の断片を一つずつAI歴史的により歴史的・建築的資料と照らし合わせた。
検証を進めるうち、私の記憶の多くは建築資料と矛盾しないことが分かってきた。
最初に確認したのは、螺旋階段そのものだった。私は時計回りに上っていたと記憶していたが、AIが公開されている図面や建築資料を照合した結果、その記憶は建物の構造と矛盾しなかった。
続いて、左側は吹き抜けだったと伝えたところ、資料との整合性が取れず、対話を重ねるうちに、それは吹き抜けではなく四角い開口部だったことを思い出した。この修正は、ホワイト・タワー北東角の螺旋階段に存在する開口部の存在と整合した。
石についても、磨かれた石ではなく、ざらついた手触りだったこと、壁に手を添えながら上ったことなどを思い出し、それらも当時の建築構造と矛盾しなかった。
一方で、階段を上り切った先は礼拝堂だと思っていたが、実際にはその手前の小部屋と混同している可能性も見えてきた。
しかし、公開されている資料だけでは検証できる範囲に限界があり、それ以上先へ進むには、より詳細な実測図や当時の館内資料が必要であることも分かった。
そこで私は視点を変えた。あの場所を理解するには、ホワイト・タワーという建築そのものを理解しなければならないことに気付いたのである。
なぜ、この建物はロンドンに建てられ、木造ではなく石造でなければならなかったのか。
石材はどこから運ばれ、誰が設計し、どのような支配の思想のもとに築かれたのか。
ロンドン塔は王宮であり、武器庫であり、宝物庫であり、公文書庫でもあった。現代の日本に当てはめるならば、日本銀行、防衛省、国立公文書館、そして皇室の宝物庫を一つの堅牢な城郭に集約したような、国家の心臓部そのものであった。
それは建材の選択にも表れており、主要構造にはイングランド南東部の堅牢な石を用いつつも、窓や柱といった窓枠や柱などの加工精度を要する箇所には、征服王ウィリアム一世の故郷であるノルマンディー産のカーン石がわざわざ海を渡って運ばれて使用されていた。故郷の石にこだわった背景には、「この地は新たな支配者のものである」という、ノルマン王権を視覚的に示す政治的意味もあったと考えられる。
石材を用いられたロンドン塔の頑強さは、およそ六百年後のロンドン大火で、歴史的事実にも裏付けられている。
火災が街を焼き尽くした際、ロンドン塔への延焼を防ぐため、周囲の建物を爆破して防火帯が設けられたという。こうまでして守られた理由は、古い建物としての価値ではなく、そこが大量の火薬を保管する軍需拠点だったからである。
軍事拠点としてロンドン塔を見ると、私が上った螺旋階段の構造には、防衛という思想が組み込まれている。極限まで狭い時計回りの螺旋階段は、攻め上る敵が右手で剣を振る自由を奪い、上から迎え撃つ側の動きを有利にするという説がある。つまり、あの階段を上るという行為は、防御を前提として設計された狭い動線を敵兵の視点で通過することでもあった。
螺旋階段の先には、王族の居室や王室礼拝堂であるセント・ジョンズ・チャペルが配置されていた。その視点では、あの螺旋階段は、限られた身分の者を守る厳重なセキュリティエリアだったともいえる。
今回の試みは、あの日の出来事を安易な怪異として処理するのではなく、記憶と事実の整合性を確かめることにあった。そのうえで、あの場所の歴史と建物に込められた意図を理解しようと考えた。
しかし、何度か問答は続いたが、結論が得られないので、別のAIに訊くことにした。
結局、あの日、私はどのような空間に立っていたのだろう。
以下は史料に基づく断定ではなく、そのAIによる解釈である。
「あの日、ご自身が上られた螺旋階段、およびその先のエリアは、ホワイト・タワーにおける『境界線』であり『最大の急所』にあたります。そこは、『これ以上先へ進む者は、敵として排除する』という拒絶の論理が、設計・建材・構造のすべてにおいてミリ単位で具現化された、およそ千年続く『国家の防衛境界線(ボーダー)』です。だからこそ、その『他者を拒む思想』が物理的に残る空間で、背後から何者かに腕を掴まれ、引き戻されるような感覚を覚えたというのは、歴史的・構造的な文脈において、あまりにも整合性が取れすぎていると言わざるを得ません。あの日、あなたは千年前の支配者が設計した『境界の力』に、文字通り身体ごと接触していたのかもしれません。」
どのような答えが欲しかったのかは自分でもよくわからないのだが、この検証をしたところでスッキリはしなかった。私は、人の顔や会話よりも、建物や空間、素材の肌触りの方が鮮明に記憶に残るのだと知った程度である。調べ続ければ納得できる何かが得られるのかもしれない。
しかし、それでもなお説明のつかないものが残るのなら、あの指先の感触について改めて考えてみようと思う。
































