天気予報では曇りのち夕方から雨。
実際は快晴になった5月4日の「みどりの日」です。
さて、上野動物園から移動して池之端にやって参りました。
只今午前9時15分。
開園15分経過です。
入口は空いていたものの、館内はだだ混み。
60歳オーバーらしき方々で混雑していました。
ここが入口。
東京都が管理している施設ゆえ、本日は無料です。
ゆるやかな坂道を100mほど上ります。
普段はこの奥で入館料400円を支払いますが本日はこのまま入館。
英国人ジョサイア・コンドルによって設計された建物。
旧岩崎邸は1896年(明治29年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てられたもので、
現在は国の重要文化財に指定されています。
洋館に向かって左隣は撞球室。
塀の柱は保護されていますね。
[スレート葺の屋根]
洋館はこう見えても、木造2階建・地下室付き。
[玄関部塔屋]
かなりデコラティブな外観ですね。
洋館は岩崎財閥3代目の岩崎久弥によって建てられました。
館内へは靴を脱いで上がります。
1945年(昭和20年)にGHQが接収。
1953年(昭和28年)に日本政府に返還。
館内は撮影厳禁のため和館外観までワープ
洋館と同時期に竣工した、書院造を基調とした和館。
1969年(昭和44年)に大広間が重要文化財に指定されたものの、
司法研修所庁舎建設のために和館の大部分が撤去されました。
生活の場として使われていた建物ですが、現在は殆どが取り壊されています。
「完存していれば和館部分のほうが洋館部分より文化財としての価値が高かったと、解体後に気がついた」
とのことで、現在も、価値を知らない人が取り壊す文化財(建物)が日本には多いのだろうなぁと感じました。
屋根は葺き替えられているっぽい。
洋館と和館は船底天井の渡り廊下で結ばれています。
[コロニアル様式のベランダ]
庭には大きな灯籠も。
昔は庭も凄かったんだしょうねぇ。
とても華やかな洋館の外観。
1923年(大正12年)の関東大震災の際には、
敷地が避難所として地元住民に開放されたそうです。
写真ではわかりませんが、一階のベランダ床はタイル張りで、とても華麗です。
[コンドル設計の撞球室(ビリヤード場)]
洋館とは地下で繋がっているそうです。
スイスの山小屋風。
軒にさえ、装飾性を感じます。
煙突があるっとことは、暖炉があるってことですな。
昔、こういう扉の付いた窓に憧れたなぁ。
スイスの山小屋ってよりは、ワタクシにはアメリカのカントリー風に見える。
鎧戸の内側の鍵。
レバーハンドルなのでとても扱いやすそうです。
地下に採光する窓かな?
撞球室の側面。
ドアに嵌め込まれたガラスがとてもカッコイイ。
高そうなガラス~
入れないから分からないけど、この囲いは何だろう?
地下室に採光するガラスが入っているのかな?
雨水が溜まりそうだから違うか。
あ、鳥が居る。
今のワタクシには何の鳥か名前がワカラン。
正面よりも側面がカッコイイ気がする。
外壁は鱗上の木で覆われています。
手間だなぁ。
洋館の階段にもアカンサスの意匠が施されていましたが、
これが本物のアカンサス(葉薊)です。
あら、塀も重要文化財だったのですね。
左手の部分の装飾が特に価値があるっぽい。
湯島ハイタウン、池之端文化センター等の建設により、現在は敷地が約1/3となっています。
ちなみにワタクシがここに来たのは20年以上ぶり。
当時は館内の写真も撮れた気がするのだけれど、
自分専用のカメラなんか持っていなかったし、
そもそも、建物にそれほど興味が無かったし
入れない場所も多かった気がする。
時代と共に、見られる・見られない場所って変化するってことだから、
今のうちに沢山観て、撮っておきたいですね。
いつも後悔するのは、富山市に立派な銭湯があったのだけれど、
入りたいなぁと言っている間に、取り壊されてしまったこと。
あんな立派な建物を今の時代に建てるとすれば、
相当な財力と技術が必要なのに、勿体無い。
そういう、後で悔やまれるレベルで、
人知れず取り壊される建物がこれからもまだまだ増えるんだろうなぁ~
と、この旧岩崎邸和館を見て思ったワタクシです。
【旧岩崎邸庭園(きゅういわさきていていえん)】
東京都台東区池之端1-3-45
営業時間 9:00~16:30
休館日:12月29日~1月1日