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東京の山の手線内に古墳があるなんて知らなかったワタクシ。
知らなかった以前に、考えたこともありませんでした。
だって昔は海だったと聞いているし。

関西人なので古墳は身近な存在でしたが、有力者の墓であるという認識しかなく、「だから何?」と特に興味も持たずに約半世紀過ごして参りました。
しかし、よくよく考えると土木遺産なんですよね、古墳って。

今まで技術の凄さに全く目を向けていなかったのですが、改めて調べてみると、結構凄い存在でした。墓を通じて全国に土木技術を広める役割があったらしいですし。

東北から九州まで古墳は点在しており、朽ちてしまう木造建築物とは異なり、風雨にさらされてもある程度は残る建造物。

土の上に石を敷き詰めていたところもあるらしいし、これだけのものを造ることができるんだぞという威圧にもなる。

時代が下って技術力を誇示できるものが城に変わったとしても、古墳を造った技術は継承されていたんじゃないかと思えます。基礎とか、石垣とか、いろいろ。
まあ、論文を読んで勉強していないので想像の域を出ませんが。

で、東京都の古墳に話を戻せば、港区に前方後円墳があるんです。

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東京タワーの足元にある芝公園の中にあります。

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公園の奥に木々が茂った一角があります。
案内板があるので分り易いかも。

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木々で分かり難いのですが、後円部がこちらです。

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五世紀ごろの古墳!

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とりあえず上まで登ってみる。

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都内では最大級とされる前方後円墳です。
江戸時代に後円部が崩され、墳頂はまっ平らになってます。

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前方部方形の突き出し部が、正面の道っぽいところです。
後円部よりも少し下がって低くなっています。

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謎の石がありました。
なんだコレ?

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碑も置いてあります。
伊能忠敬?

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伊能忠敬の測量の起点となったのが芝公園近くの高輪の大木戸。
その関係で東京地学協会が遺功表を建てたそうです。
細川家の第16代当主 細川護立の名前が刻まれています。

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前方部に移動します。
前端幅は約40mあるそうです。

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振り返って後円部を見ると、くびれがよく分かりますね。

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前方後円墳を真横から眺める。
右側が後円部、左側が前方部です。

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こちらが後円部。

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古墳の脇に芝東照宮がございまして、
そちらに抜ける道の途中にまたまた謎の石が。
移動できなかったのか、遺構なのか、
これはいったい何なのか?

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芝東照宮の石段。
芝東照宮は、日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ
四大東照宮の一つ。
(最もコンパクトな東照宮です)

明治31年の発掘調査で埴輪や須恵器が出土したそうです。
既に後円部の墳頂が削られていたこともあり、主体部(埋葬施設)は発見できなかったとか。

先日、NHKで興味深いドキュメンタリーが放送されまして、奈良の箸墓古墳と芝丸山古墳が同型だとされていました。そもそも箸墓古墳って、卑弥呼の墓かもしれないという説があるそうですね。
俄然、箸墓古墳を見に行ってみたくなりました。(めちゃくちゃ交通の便は悪いのだが)

それはそうと、芝丸山古墳のあるこの場所はパワースポットだと言われているそうです。
標高16m。東照宮があるし、お稲荷さんがあるし、古墳だし、そんな説があってもおかしくないかもなぁ。

蚊が飛び交う前に、じっくり見に行くことができて満足です。



【論文】前方後円墳の墳丘長の規格性→PDF

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