室堂 (13)

学生時代さぞかし勉強の仕方を工夫していたのだろうと思われる若者が、社会人になった途端に「学び方が分からない」と仰る。
一人だけかと思いきや、ワタクシの周囲には複数おります。

「興味があるものの一か所から掘り下げて行けばいい」と今まではアドバイスして来たのですが、どうやらそのアドバイスだと不十分らしい。その「一か所」をどこにすればいいのか分からないらしいのです。
ゆえに、現在最も楽しいと思える物事を訊き、その単語からワタクシが気になる物事を質問し、答えられなければ調べて貰い、知識と興味を広げて貰うようにしています。

近年、自分が何に興味があるのか分からなくなっている若者が増えている気がします。
流行は知っているし、追ってもいるけれど、それだけ。だから物事を深く知ろうとしていない若者も複数居ます。

本は読んでおいた方が良いよ。漫画でもいいから。と若い子にはアドバイスしたい。
そこから興味が芽生えることもあると思うから。

何も思い浮かばないという若者から、「savaさんはどうやって勉強しているんですか?」と訊かれることが多いのですが、ワタクシは記憶力が人よりかなり劣るため、なるべく体験するようにしております。
その土地について知りたければその場所に行き、地元の方と会話をする。そのように、シチュエーションで覚えるようにしています。

それと、「なぜなんだろう?」と気になったことは、なるべく追うようにしています。

最近気になって調べて驚いたのは、青森ヒバ。
ヒバはヒノキ属ですが、ヒノキの葉、「桧葉」って書くんですね。ずーっとカナ認識だったので、漢字を見たときは驚きました。属性、分かり易っっ!! 的な。
そういえば、昔は科目が独立していたスギ(旧・スギ科)ですが、現在はヒノキ科に入っている(ヒノキ科スギ亜科スギ属)そうです。
そのヒノキ科の中に、クリスマスツリーでお馴染みのイトスギってのがございます。
花言葉は死・哀悼・絶望。
イトスギは死や喪の象徴とされているのですが、反対に生命や豊穣のシンボルでもあるらしいです。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが好んで描いたイトスギは上の花言葉に由来するものですが、逆にレオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』に描かれているイトスギは、生命や豊穣のシンボルという意味で描かれているのだとか。
また『受胎告知』といえば様々な画家が描いていますが、聖母マリアの服の色に意味があるのはご存知の方も多いと思います。
赤色の服、青色のヴェール(マント)、雄蕊の無い白百合、が受胎告知における聖母マリアの三種の神器ですが、赤色の服は神の慈愛を、青色のヴェール(マント)は海の星を、雄蕊の無い白百合は純潔の象徴を示しています。

ここで「海の星」って言葉に引っ掛かりますよね。
聖母マリアの古い呼び方に「ステラ・マリスの聖母」(ラテン語:Stella Maris)というのがありまして、希望の印・導きの星としての役割を担い、海の旅人たちの保護者ともされているそうです。
その海の色を纏っている・・・と端的に言うには奥が深い話なのでここでは語らぬとして、宗教画は深い意味のあるものが多くて興味深いです。

まあそのように、青森ヒバに生じた疑問は宗教絵画まで到達できるという話です。

「savaさんはどうやって勉強しているんですか?」の質問には、そのように回答しております。
ワタクシが拾う知識の信憑性は定かではないものも多く、玉石混淆だとも認識しているため、深掘りしたいものは論文を探しています。その論文も玉石混淆なので、なるべく多くの文献を読むようにはしています。

学説も時代によって変わるので、最終的には、知ったものの中から信じたいものを信じていればいいんじゃないかな。

さて、ここまで書いておいてなんですが、ワタクシは一般人より格段劣る記憶力ゆえに、ワタクシにできることは他人様にもできると正直思っております。

その人が出来ないのは、端的に申せば「やってないから」。

三十代の頃のワタクシであれば、「ぐだくだ言ってんと、ええから、やれ」と、一蹴していたと思われます。
なんせ未だに言われるワタクシの当時のセリフが「できるか、できへんかやない。やるんや!」ですから。
じたばたと藻掻いてから質問に来い、と言いたい気分はあるのですが、最近の人はプライドが高くて打たれ弱いからなぁ。
失敗しないようにという気持ちが強すぎるのか、マニュアル世代と言われた我々よりも、マニュアルを欲しがっている気配があります。
若いからしゃーない。とは思いますが。

何にせよ、小さくとも動きださないと車輪は回らんのです。

歳を取れば取るほど、新しいことを吸収するのが億劫になるのだから、できるだけ若いうちに癖をつけておかんと。

ほんの少しの時間、甥達に接するだけでも「なぜなに」的な質問を浴びるのに、毎日一緒にいる親子はどのようにそれに対処しているんだろう?
と疑問に思った後で気づきました。

「自分で調べろ」という親の元で育った子は、調べ方が分からんから放置しますわな。
しかし、何かしら教わった子は、どんどん自分で調べるのかもしれん。
それを踏まえて考えるに、やっぱりヒントは与え続けんと人は育たないものなのかも。

検索したところ、「学び方を学ぶ」というテーマのセミナーは様々にあるようです。
社会人になってからの学習方法に悩む人は意外と多いらしい。


格言(ガンジー)

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