慈眼寺


『慈眼寺』は、1868年(慶応4年)の旧暦5月2日、長岡藩家老の河井継之助(42歳)

新政府軍監の岩村精一郎(のちの岩村高俊・当時23歳)が会談したことで知られています。

河井継之助の訴える中立和平を、岩村精一郎(高俊)が一蹴したことにより会談は決裂。

北越戦争(戊辰戦争の局面の一つ)に突入したという歴史的な場所です。

どうしてもその場所が見たくて、本日は小千谷市まで行って参りました。

青春18きっぷ利用で片道約5時間。

早朝初、夜帰宅という、個人的にはなかなかハードな日帰り旅となりました。

今回の旅で一番初めに訪れたのが『慈眼寺』。

小千谷に来たなら、ぜひとも足を運ばねばならんと思う歴史の舞台となった地です。

2004年(平成16年)10月の新潟県中越地震で、

会見の間を含む本堂が被害を受けましたが、

現在は再建され、当時の雰囲気を感じることができます。


慈眼寺
山門前に立派な案内板が立っていました。

慈眼寺
司馬遼太郎の『峠』をまだ読んでいないワタクシ。
北越戦争について、一通り回れる場所を辿り、
自分の感想を持ったのちに、読んでみたいと思います。
(そうじゃないと継之助贔屓になりそう)


慈眼寺
山門の前には残雪が山とあり、
通行できなくなっておりました。


慈眼寺
[慈眼寺山門]
(中越地震後の平成18年改修)
最終的に、内側から回り込んで山門を眺めることができました。
ただし、いろいろ見えてない。

※明治25年建築なので「小千谷会談」の頃とは異なる山門です


慈眼寺
唐破風の付いた山門で、
たぶん白い覆いの向こうは彫刻で飾られていると推察されます。
観られなくて残念。


慈眼寺
残雪がすごく、正面突破は不可能。

慈眼寺
国登録有形文化財(建造物)
文化財プレートは山門正面右側にありました。
まだ真新しい感じですね。
登録年月日:2015年11月17日


慈眼寺
組物は三手先(みてさき)。
段々になっている造形が綺麗です。


慈眼寺
木鼻の獅子の彫刻も良いのですが、板支輪を飾る彫刻がスゴイ。

慈眼寺
山門には仁王・・・らしき木造が立っていました。
これは阿形。
左手には何かを持っていたのかな?


慈眼寺
こらは吽形。
吽形のポーズがものごっつい気になります。
「ハイ!」という声が聞こえてきそう。
って吽形だから口を開けていないんですけど。


慈眼寺
境内側から見た山門。
境内の雪はそれなりに溶けています。
隣接して幼稚園があるので境内に遊具が置いてあります。


慈眼寺
[船岡観音堂]
以前は小千谷市西中という場所にあったそうです。
弘法大師空海が自ら彫刻した聖観世音御菩薩像を安置したのが始まり。


慈眼寺
雪囲いに覆われているため、堂内は大変暗く、
観音様はぼんやりとしか見えませんでした。
でも、空海作とのことなので、
一見の価値はきっとあるのだと思います。


慈眼寺
木鼻の獅子・・・獅子?
阿形。


慈眼寺
木鼻の獅子・吽形。
獅子?でいいのかな?
体毛を感じられない獅子ではあります。


慈眼寺
木鼻の象? 獏?
阿形。


慈眼寺
吽形。
鼻の裏が赤く塗ってあるので口に見える。
ってことは、獏なのかも?


慈眼寺
蟇股の虎らしき彫刻。
雪囲いで遠方から見られないため推察の域を出ません。


慈眼寺
お堂を覆う雪囲い。

慈眼寺
その外側に今も残る雪。

慈眼寺
提灯があるってことは、夕方になると電気で灯るってことでしょうね。
雪囲いされてると暗いですもんね。


慈眼寺
組物の突き出た尾棰(おだるき・尾垂木)は、
少々湾曲になっているように見えます。
だから柔らかい印象になるのかしら。


慈眼寺
観音堂から見る本堂。
本日の目的地です。


慈眼寺
境内には案内板が・・・雪の重みか、わざとそうしているのか、
ずり下がっていました。
ゆえに、しゃがまないと文字が読めない。


慈眼寺
本堂に向かいましたが、どなたもお見えらならず。
見学には事前予約が必要らしいのですが、しておらず。
隣の社務所に声掛けさせていただき、
見学をさせていただくことができました。


慈眼寺
[慈眼寺本堂]
向かい側に幼稚園があるため、プールらしきものが本堂前にあります。


慈眼寺
中越地震の影響で茅葺きをステンレスで覆っている状態らしく、
これを取り除いて銅板葺きにするための寄進を募っています。


慈眼寺
覆われていてよく見えませんが、木鼻も手挟みも立派ですね。

慈眼寺
本堂の唐破風下の彫刻。

慈眼寺
慈眼寺
木鼻の獅子は耳が結構大きく見えますね。
ダンボを思い出しました。
(もしくはグレムリン)


慈眼寺
慈眼寺
龍と鳳凰の彫刻が見事です。繊細ですごくカッコイイ。

慈眼寺
本堂の玄関に掛かる扁額には
山号である「船岡山(ふなおかさん)」の文字があります。
「岡」の部分がワタクシには読めないけど。天井は格天井。
白くはめ込まれているのは照明器具でしょうか。


慈眼寺
[岩村・河井会談の処(岩村軍監、河井総督会見談判所)]
今回の目的地です。
この上段の間で「小千谷談判」が行われました。
奥の間に岩村精一郎が座し、
家老ではあるものの礼を尽くすために手前の間に河井継之助が控えて
中立和平の嘆願を行ったそうです。
同場所は、小千谷市指定文化財とされています。


慈眼寺
当時と今では設え(しつらえ)が違うと思いますが、
談判の様子をいろいろ妄想しつつ、見学させて頂きました。
見学料は特に決まっておらず、心付け程度。
この日は法事が入っているようで、
その時間までごゆっくりと言われたものの、
ご迷惑にならないように早々に退室致しました。


慈眼寺
書院の欄間を見ると、この上の部分は銘木なんじゃないの?
と思えました。まさかの黒柿か?


慈眼寺
沢山の書が飾られていました。
(書の造詣が浅いので、ほとんど読めなかったけど)


慈眼寺
欄間が漆塗りに金彩の龍です。
この間に使っている木材がお高そう~



慈眼寺
パンフレットを頂きましたが、
一部100円で配布しているものだっだようです。


岩村精一郎(高俊)のイメージはこの小千谷談判で固定されちゃっているワタクシ。

のちにドナルド・キーンが「無能で横柄」と評し、

長州人からは「軽率で無思慮」と評される人物ですが、

後に男爵になってるんですねー。

後年、

河井継之助の人となりを知っていれば慈眼寺での談判のやり方は違った

と悔やんだそうですけど、

自分でも究極の失敗だという認識があったのかもしれませんね。

あれだけ横柄な若造だと言われつつもいろいろな局面で使われたということは、

汚れ役として便利だと、大久保利通ら明治政府上層部から思われていたのかも。

大久保利通って腹黒そうだし(個人の感想です)。

慈眼寺
[肖像画]
左がで河井継之助、右が岩村精一郎(高俊)。


新政府軍にとって初めての敗戦を齎し、英雄とされる河井継之助

長岡市にはその記念館があります。

次回はそちらを見に行こうと思います。

長岡市には山本五十六記念館もありますしな。



慈眼寺
【慈眼寺(じげんじ)】

新潟県小千谷市平成2-3-35
拝観時間 9:00~17:00
宗派:真言宗智山派
本尊:聖観世音菩薩
http://ojiya-jigenji.net/


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