ハナニラ




今年で福知山線脱線事故から12年になるそうです。



先日、ガラケーからスマホに機種変したワタクシ。



これを機に不要な飲み屋のアドレスや



没交流の知人などのアドレスを消去したのですが、



同事故で他界した友人のアドレスだけは何度か悩んだものの消せませんでした。



その名前を見る度に、彼に最後に会った日を思い出します。



あの頃のワタクシは今よりもずいぶん痩せておりました。



12年間でこんなに中年らしい中年になってしまったワタクシ。



それに対し、彼は今も若いままワタクシの記憶にあります。



まあ、そんなもんです。



この2005年という年は、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が亡くなった年でもあります。



訪日時には記念硬貨を買って貰った記憶があるのだけれど、



あれ、どこに行ったのかなぁ・・・その点は記憶にございません。



まあ、そんなもんです。



記念硬貨を買う人って、その後どういう硬貨の扱いをしているんですかね?



仕舞っているだけなのかしら?



まあ、使いようもないわな。



それはともかく、12年って結構長いなぁと思う今のワタクシ。



とても辛く苦しかった30代を経て重圧から解放された今のワタクシが居ます。



しんどくても、生きていれば楽になる日も来るもんなんですね。



実はワタクシ、親友と呼べる人は居ません。



皆、他界してしまいました。



とても親しい人は居ますが、親友と呼べる人が居ないので、



朝っぱらから訃報を聞いて愕然とするってことも無くなりました。



訃報を冷静に受け止められるようになったのは、



経験なのか、はたまたそういう年齢になったからなのか。



確実に馴れつつあるってことは、感覚がおかしくなってしまっているんでしょうね。



まあ、そんなもんです。



しんどさから楽になる方法は、麻痺してしまうってこともあるのかもしれません。



痩せるようにと健康診断の度に言われているワタクシですが、



それすらも馬耳東風になっていますもん。



ええやん、痩せんでも。



と、心の奥底では思っちゃっているんですよね。



麻痺っーか、投げているっつーか。



まあ、そんなもんです。



諦念という境地は、人を楽にさせるものなのかもしれません。




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