山形城址
[山形城]

日本100名城に選定されている山形城址

城郭構造の基礎は最上義光の時代に造られたそうで、

その後、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられました。

現在残っているのは、二の丸跡ぐらい。

建造物で現存するのは大手南門で、市内の万松寺山門として移築されているようです。

霞城公園
[霞城公園(かじょうこうえん)]
山形城二の丸の堀と石垣などの遺構を公園としたもの。


山形城址
2033年頃に本丸全体の発掘調査が完了予定。

石垣
これが昭和時代に一部修復された石垣。

山形城址
石垣の古い部分の上に新しいものが乗っているんですね。

山形城址
[山形城
]
これが上の案内板が示す箇所。


山形城址
色の黒っぽい下の方が元の石垣ってことですかね。

城跡と城址。

違いを今まで認識していませんでしたが、

城の建物あった場所と、城全体があった場所で区別していたりもするようです。

しかし、明確な区分は無いというのが正直なところっぽい。

ちなみに写真のキャプションを「城跡」にしているちころがありますが、

googleマップに書かれている“箇所”を参照しています。

同マップの中にも、城址と城跡の双方が書かれているんですよ。

山形城址
刻印についての説明もありました。

山形城址
指摘されてよく見ないと分からない刻印。
傷だと思えなくも無い。


山形城址
象形文字のような刻印。
でも指摘されないと判別できません。

日本100名城のスタンプが、この山形城址にもあるようです。

石垣しか残っていないのに、何処にスタンプ台があるのだ? と思う前に、

数分前まで見学していた場所に設置してありました。

旧済生館本館
旧済生館本館(山形市郷土館)の中にスタンプがありました。

旧済生館本館
[旧済生館本館]
国指定重要文化財(移築)。

最近思うのですが、

古い建築物や建設物を大切にする時代って平和なんじゃないかしら。

古いものを壊さないと新しいことができなかった明治や、

戦争などで消失してしまった時代を思うと、そう感じられます。

何はともあれ、城ってロマンがありますもんねぇ。

って、全然詳しくないけど。



山形城址
【山形城址】

山形市霞城町1-1
別名:霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)、吉字城
開場時間 [4~11月]5:00~22:00,[12~3月]5:30~22:00
定休日:無休


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