
伊達政宗が寛永年間(1624年~1644年)に命じて開削を始め、
元禄年間(1688年~1704年)に完成したとされる四ツ谷用水。
仙台の城下町は河岸段丘上に築かれているため、
南を流れる広瀬川から約20mも高く、川からの取水は困難でした。
明治34年(1901年)に6644箇所の井戸があると確認されていますが、
井戸だけでは生活用水が足りず、(江戸時代の数は不明)
藩は広瀬川上流の郷六地区から用水を引くことを決めます。
木樋の水道橋で四つの谷を越えたことが、
「四ツ谷用水」という名前の由来だそうです。
明治以降になると上下水道の整備により生活用水としての利用は減少し、
1935年(昭和10年)までに四ツ谷用水の暗渠化や廃止が進みました。
現在も仙台市青葉区八幡町では、四ツ谷用水のなごりがみられるそうてす。
「杜の都」全体を覆う緑を支えたのは、
四ツ谷用水がもたらした豊かな水環境だったといわれています。
【四ツ谷用水(よつやようすい)】
宮城県仙台市に存在する用水の呼称
宮城県仙台市に存在する用水の呼称