2007年に防衛庁から防衛省になって、今年で10年。
今ほど立派ではなかったけれど、それでも立派だった防衛庁内部を
是非とも見たいと思い続けて早や20数年。
あれ?30年近いのか?
憧れだった市ヶ谷台に、本日とうとう入ることが叶いました。
実は現在の防衛省の建物群は、
京都の平等院鳳凰堂に似せた形状で横広がりに建っているようです。
また、建物屋上部は、迎賓館の建物をイメージした緑青色に統一されています。
長らく、なんでこの色なんだろう?と思っていた疑問が、本日解決致しました。
スッキリしました。
さて、ワタクシがここに入りたかった理由は、
ここが昔は尾張徳川藩上屋敷だったことと、
三島由紀夫が自決した建物が見られること。
後者は、移設復元なんですけどね。
蛇足ですが、ワタクシが現在住んでいる新宿区は
子供の頃に母から聞いた話も含めて、陸軍関連施設の多い土地というイメージです。
場所によっては、怖いところだというイメージもあります。
さて本日は、ワタクシのブロ友&呑み友であるEnnaさんと二人で参加して参りました。
昨年末の女子(おなご)忘年会で、このツアーへの参加に賛同してくれたのが
彼女だけだったのです。
殆どの人は興味がないらしいです。
まじかー。
「三島だよ?」
と言ったのに、三島由紀夫作品を読んだ人も居なかった。
まじかー。
ちなみに三島由紀夫が市ヶ谷台で割腹自殺をしたのは、
ワタクシが産まれる二か月前のことです。
そして昨日、ワタクシは同氏の没年齢を超えました。
[市ヶ谷記念館]
現在庁舎A棟のある場所にあった「1号館」の一部を
同駐屯地内薬王寺門付近に1998年に移設復元したもの。
三島由紀夫が檄文を撒き、
自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決したバルコニー。
移築されたのはごく一部のみ。
正面に付けられていた本物の時計と紋章。
蛇足ですが、建物内には靴を脱いで上がります。
見学中は建物の出入り口が封鎖されます。
[旧陸軍士官学校講堂]
「市ヶ谷台の歩み」という映像を8分?ほど見た後、
自由見学となります。
大講堂内は撮影可能な場所とそうではない場所があります。
撮影不可なものについては、是非ツアーに参加してご確認ください。
結構すごい資料が置いてあります。
移設前からの本物の30cm角の楢材の床。
4本の板を繋げているのが本物。
中央の一枚板のものは、
反りや歪みで使えなかった板の代わりに新しく貼られたもの。
大講堂正面の玉座の壁がスゴイ。
間近では見られませんが、ズームするとこんな感じ。
右奥の扉が、陛下が使用する扉になります。
床は箱根寄木細工。
黒い部分は黒檀だったかな?茶色いのはチーク材だったと思う。
旧陸軍大臣室に残る三島由紀夫が刀で扉に付けた傷。
移築された大講堂は緑の屋根の2階部分らしいです。
ちなみにこの大講堂は、第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判に使われた場所です。
昭和21年から23年の出来事でした。
二階から見た大講堂内部と玉座。
極東国際軍事裁判
堂内をGHQの指示通りに配置し直し、
既存のままでは暗いので、照明を増設し、影が出来ないようにしたのだとか。
現代とは違いLEDではないので、さぞかし暑かったことだろうと思われます。
その上、軍服・・・。
さて、この1号館があった場所は、現在、庁舎A棟が建っています。
[庁舎A棟]
どこぞのドラマで見たことのある場所だ・・・。
防衛省の建物群がある場所は、先に触れましたが、
尾張徳川藩上屋敷だった場所でもあります。
その建物の写真と模型があったのですが、ワタクシの想像を絶していました。
御三家って、本当に凄いんだなと。
列になって建ち並ぶ木造建築群は圧巻だったろうと思われます。
高台になっているので、下から見上げたら余計に圧倒されたんじゃないかな。
この時代だからこそ、この地を踏めるのであって、
今に生きていて良かったと実感した2時間10分でした。
歴史を見に行くという点でも、
なかなか見応えがあり、興味深かったです。
当時の地図。
世界は目まぐるしく変化しているんですね。
山本五十六
記念スタンプは種類ありました。
市ヶ谷でワタクシが自転車で通りながら見ていたと思われる看板
・・・と思ったら違った。
大久保通りからも見える塔って・・・
防衛省の通信鉄塔だったんですね。
【防衛省 市ヶ谷台ツアーについて】
電話かインターネットでの事前予約
予約受付開始は見学希望日の2ヵ月前
月~金曜(祝日及び年末年始休暇間を除く)
見学時間は午前と午後に各一回
●午前(受付9:10~9:20、見学9:30~11:45)
●午後(受付13:10~13:20、見学13:30~15:40)
いろいろ思い出しました。
私は、てつのくじら館と大和ミュージアムに行きたいと思いつつ…今年こそ!