台ヶ原宿




五街道の一つ甲州街道。



江戸幕府により、東海道、中山道、日光街道、奥州街道と共に制定されました。



お江戸日本橋から信州下諏訪まで、およそ56里(約219km)もの道のりがあります。



その甲州街道にある台ヶ原宿は、



「日本の道100選」にも選定されており、



今も古い民家や旅籠などが点在し、当時の面影をとどめています。



側を甲斐駒ケ岳から流れる尾白川の清流が走っており、



空気の澄んだ静かな宿場町です。



いまだに咳の発作が止まらぬワタクシですが、



ここにいる間は、マスク不要で、穏やかに過ごすことが出来ました。



もしかしたら、百日咳から咳喘息に進化ているのかな?



空気の宜しくない東京にいるとアカンのかもしれんね。



台ヶ原宿
歩いても大した距離ではございませんが、
地図の下の方に向かってなだらかな上り坂になっております。


台ヶ原宿
風情のある旅館。
右側に新館らしきものがあるので、今も営業中なのかも。


台ヶ原宿
外灯がシンプルなのにカワイイ。

台ヶ原宿
この看板が意味するところは何だろう?

台ヶ原宿
ひっそりと道祖神もありました。

松
ものすごく立派な赤松。
の、登りたい・・・。


台ヶ原宿
カフェなのか、ショップなのか、ただの民家なのか。
よく分からないけれど、人が居ました。


台ヶ原宿
江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中、 あるいは宇治茶壺道中といいました。
行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、農繁期であっても田植えは禁止されました。子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、葬式の列さえ禁止されました。
権威あるこの行列を恐れていた沿道の庶民は、茶壷の行列が来たら、戸をぴしゃんと閉めて閉じこもるか、もし道で出くわしたら土下座で行列を遣り過すしかありませんでした。
ずいずいずっころばしごま味噌ずい,
 茶壺に追われて戸ぴしゃん,
抜けたらどんどこしょ・・・のあの唄にもありますが、
いまだにこの唄の歌詞の意味がよく分かりません。
ってか、お茶壺道中が通ったのって、
東海道と中山道だけではなかったのですね。


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DLした鳥図鑑を見てみましたが、これはツグミかな?

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とても興味深い表示板を発見。
信号の字が旧字なので、かなり古いものなんでしょうね。


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その隣にある同類の案内板。丸の大小は音の差なんでしょうか?
一度聞いてみたい気がします。
それにしても、「乱打」ってのは怖いな。


台ヶ原宿
[YES!BAGEL くろおび屋]
山梨県北杜市白州町白須259-1
営業時間 11:30~
定休日:火曜


台ヶ原宿
この日は閉まっているようでした。
FBが個性的過ぎる。


信号
道の駅はくしゅうのそばにある「予告灯」。
そのすぐ先に信号があります。
予告しないとだめなのかな?


いぬ
スヌーピーのように犬小屋の屋根で寛ぐ犬。
つぶらな瞳が可愛いです。

甲斐駒ケ岳
手書きの案内板。
この辺りの人は、甲斐駒ケ岳周辺の山と標高が諳んじられるみたいです。




嗚呼、尾白川で川遊びがしたい。



そんな強い欲求が湧き上がる今回の旅でした。



今の季節に川遊びをしたら心臓発作を起こすと思うので、



暖かくなったら改めて検討したいと思います。




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