日光東照宮


その弐】のつづきは、坂下門からスタートです。

この門は、江戸時代には将軍の参拝の時にしか開かれなかったため

「不開門(あかずのもん)」とも呼ばれていたそうです。

かなり優美な門で、透かし彫りの扉がとても美しく、

間近で見られることに、この時代に生まれた幸福をかみ締められます。

将軍のみが進むことを許された道を辿れるなんて、

特別感が増しますよね。

日光東照宮
東回廊の蟇股(かえるまた)が小さいため見落とし易いのか、
頭上に視線を促す板が立っています。


日光東照宮
左甚五郎作「眠り猫」
国宝
※現在はレプリカがはめ込まれています。
修復期間:2016.6月~12月
ほかの神社・寺院にも猫の彫刻は見られますが、
ほとんどは獲物を狙って殺気をみなぎらせているそうです。
寝ているのは東照宮だけで、
「平和のシンボル」とも言われています。


日光東照宮
「眠り猫」の裏にある「竹林に遊ぶ2羽の雀」。
「眠り猫」とは対になっており、
捕食される側の雀が眠る猫の傍で遊んでいる姿も
「平和のシンボル」と言われているようです。


日光東照宮
[坂下門]
国指定重要文化財
ここから上の神域が通年参拝可能になったのは、
昭和40年(1965年)徳川家康没後350年(家康公350年祭)の公開から。


日光東照宮
菊と牡丹の彫が見事な坂下門の格天井。

日光東照宮
富貴の象徴である牡丹と思われる扉の透かし彫り。

日光東照宮
[奥社石柵(附 石狛犬2躯)]
重要文化財

日光東照宮
日光東照宮
日光東照宮
坂下門から207段の石段を上ることになります。


日光東照宮
かなり立派な石垣。
城の石垣のようです。

日光東照宮
階段を上ってヘロヘロになる辺りに設置してある立て看板。

日光東照宮
[唐銅鳥居]
重要文化財
天和3年(1683年)に石鳥居から唐銅鳥居に建替えています。


日光東照宮
喉が渇いていると、たとえ選択肢の全く無い150円の缶のお茶でも
買ってしまうものですね。


日光東照宮
生き返った。

日光東照宮
[狛犬]重要文化財「奥社石柵」の附(つけたり)指定
松平右門太夫正綱と秋元但馬守泰朝が寄進したもの。
松平正綱は、日光杉並木も寄進しているそうです。
家康の側室を下賜された人です。

関東最古の参道狛犬とも言われているそうです。


日光東照宮
[奥社拝殿]
重要文化財


日光東照宮

日光東照宮
外側は黒漆塗りですが、内部は朱だったり金だったり。
ってか、幕末、ここの維持費はどうしていたんだろう?


日光東照宮
今はここ限定の鈴やお守りなどを販売していますが。

日光東照宮

日光東照宮
拝殿から鋳抜門を見る。

日光東照宮
[蕪懸魚]

日光東照宮
[奥社唐門(鋳抜門)]
重要文化財
扉以外の部分を一つの鋳型で鋳造したため「鋳抜(いぬき)」と呼ばれる。


日光東照宮
椎名伊豫守(いよのかみ)吉寛は、
上野の寛永寺の梵鐘や平川橋にある儀宝珠なども手掛けた
江戸時代前期の神田の鋳物師です

日光東照宮
これほど守ってる感を滲み出している狛犬を
ワタクシは見たことがありません。


日光東照宮
ものすごくマッチョな狛犬で、強そう。

日光東照宮
耳は垂れているのに、やっぱり強そう。

日光東照宮
こちらは龍ですかな?

日光東照宮
宝塔側から見た鋳抜門。

日光東照宮
[奥社宝塔(徳川家康公奥宮御宝塔)]
重要文化財
家康公の神柩を納めた宝塔。


日光東照宮
当初は木製だったが、後に石製に改められ、
5代将軍綱吉の頃、唐銅製(金・銀・銅の合金)に改鋳されました。


日光東照宮
一つ一つの造作が計算されつくされている感じ。

日光東照宮
塔の笠の裏側。

日光東照宮
手前:[奥社石玉垣]
重要文化財
この石をここまで運ぶ作業を想像してみる。


日光東照宮

日光東照宮
[叶杉]
個人的な願いごとがなかったので、杉に長生きしてねと願ってみる。


日光東照宮
意外とお高いお守り。


下山してみると、最も印象に残っているのが奥社に続く階段。

しんどかった分、上り切った時の爽快感は、まるで登山でございました。

再訪するのは長らくしたくないけれど、

いつかは日光東照宮で見逃した箇所を観に行こうと思います。

何年後になるかは分からんけどな。



【日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)】
栃木県日光市山内2301
営業時間[4月~10月] 8:00~17:00[11月~3月] 8:00~16:00
(各期間とも受付は閉門30分前に終了)
拝観料:[大人・高校生]1300円 [小・中学生]450円


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