
奈良きたまちにある「菊屋」は大和郡山市で300年以上も前から続く老舗御菓子司。


季節柄、柏餅も売られていました。


母に買って貰った「御城之口餅」。
粒餡を餅で包んできな粉を塗してある小さな餅菓子です。
まだまだワタクシの知らない奈良市がありました。
学生時代は勉強がてら来ていた気がするのですが、詳細は意外と記憶にございません。
昔からこんなに賑わっていたっけなぁ?
駅前の三笠焼のお店は記憶にあるけれど、
それ以外は若草山ぐらいしか覚えていないワタクシです。
そんな奈良市の東大寺側の「奈良きたまち」を今回は散策致しました。
時間と体力が無くて、極々一部しか見て居ないんですけどね。
次回、改めて、鹿を含めてリベンジしたいと思います。

雑貨屋さんかと思いきや、カメラ女子御用達のショップでございました。


カメラを可愛く楽しむグッズが並んでいます。

もの凄く趣のある建物。
とても心惹かれたのですが、閉まっていました。
もしかして仕舞っていたのか?


外壁の漆喰は剥がれ落ちておりますが、修繕したらカッコイイだろうなぁと推察。

大盛況のパン屋さんもありました。

標識に車のマークって付いているものだっけ?
(左側の標識の下にも車の絵が描いてあるし)

古い標識に昭和時代を感じてみたりもして。

この道の先、左手側が奈良女子大学になります。

骨董店を発見。建物も古くてイイですね。


この辺りは屋根が面白いですねぇ。


なかなかに味のある骨董店でした。

[旧鍋屋交番(旧奈良警察署鍋屋連絡所)・奈良きたまち案内所]
明治41年建造


ここで地図を貰い、オススメ散策路も紹介して貰いました。

左手側が散華美術館です。


右側はギャラリー?

[聖武天皇・光明皇后陵]



光明皇后は藤原不比等の娘で皇族以外から立后する先例を開いた人。
東大寺、国分寺の設立を夫に進言したと伝えられ、
貧しい人に施しをするための施設「悲田院」や、
医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。
夫の死後四十九日に遺品などを東大寺に寄進、
その宝物を収めるために正倉院が創設された。
さらに、興福寺、法華寺、新薬師寺など多くの寺院の創建や整備に関わった。


陵墓を作る際に植える樹木って、
森の機能を果たすよう計算されているものなのかしら?

佐保川のほとりにある古い町並み。
多門町界隈だと思われます。

[法蓮造の街並み]
法蓮造(ほうれんづくり)とは、
奈良市法蓮町(元・法蓮村)によく見られる農家。
切妻造・藁葺・平入で、間口が狭く奥行きの深い敷地に
町家のように隣家と接して建ち並び、
正面に「法蓮格子」と呼ばれる丸太格子を備える。

今年は四国のお遍路さんといい、春日大社といい、「特別」が多い年なんですねぇ。

近鉄奈良駅に鹿の置物がありました。
これは頭突きをして来ないから安心安全。
ほな、また次回の奈良観光まで、さいなら~。
次回奈良へ行ったら是非「心樹庵」へ行ってみてください。
ここの中国茶は美味しいです。(いまのところハズレなし)
結構お休みがあるのがネックですけれども。
本日、動植物園行ってきました〜。
モルたちに癒されました〜(*´ ˘ `*)