
更年期の不調の一番の悩みである「イライラ・不安感・倦怠感」などの精神症状から、ほてり・頭痛・肩こりといった不調まで、さまざまな更年期の諸症状に幅広く効果を発揮します。
・・・と謳っているのが「命の母」。
最近、イラッっとすることが多く、それを踏ん張って我慢し続けているのですが、
これは、もしや、「命の母」の出番ではないか?と思っているワタクシ。
でも、薬を飲む前に、その“イラッ”について判定して貰おうと思って、
友人に事例を三つほど話してみました。
彼の結論としては、“それは誰でもイラッとする”でした。
性別無関係にイラッとするなら、まだ「命の母」の出番ではないのかもしれん。
実は、最近のワタクシは昔とは違うのです。
昔ほど喋らなくなったし、愚痴らなくもなった。
そもそも考えていることを口に出さなくなりました。
自分の脳内にブラックホールが出来るんじゃないかってぐらい、
物事を煮詰めて考えるようになりました。
他人の言動を「如何なものか」と言い切れるほど自分は正しいのか?
と考え続けることを自分に課しています。
日々精進。
そして、ムカッとしても意見を口には出さず、飲む率もかなり増えた。
他人の考えをどうこうしようとするほど無駄な労力はない、
と感じることが多い年齢になったのがその理由。
他人は他人。自分は自分。
キッパリその線さえ引いておけば、ストレスは溜まり難い気がするし。
人間には周波数があって、それが合わない人どうしは、
注意しても無駄、諭しても無駄、変わることを期待しても無駄、
ってことが多い。
親や教師が言い続けても理解できないことが、
身近でない誰が話したり、本を読んだだけで理解できるってこともあるし。
相手が理解できないというその事実を丸ごと受け入れられる人が、
今までのワタクシを含めてこの世には少ない気がする。
なぜ理解できないのかと相手を責めるよりも、
自分には理解させることはできないのだと諦めた方がお互いのためかもしれん。
必要であれば、自分で痛い目にあって覚えるだろうし、
何度痛い目にあっても覚えない人は、そういう能力なんだから仕方がない。
とまあ、そういう風に考える40代になりました。
そういう個々の思考の積み重ねがカタストロフィーを引き起こしても、
それはそういう流れなのかもしれん。
まあ、この先ワタクシがいきなり政界入りを目指すとすれば、
真逆のことを言い出しそうな気はするけどな。
情緒不安定とか、そういうことではなく、
この一年間で到達したワタクシの心境が以上のことです。
こういう積み重ねが、「悟り」に繋がっていくのかもなぁ。
ワタクシはワタクシを形作り生かしている細胞に対して責任があるので、
細胞達が反乱を起こさない限りは、日々再生し続けていく存在です。
思考も然り。
ゆえに、一年後はまた別の心理に至り、別の言葉を語っているかもしれん。
死ぬ瞬間まで、考え続け、学び続けられる存在であれたら幸せだろうなぁ。

てのは置いておいて
多分その通りなんだろうけど
私は器がちっさいから
まだその境地には辿り着けてないっスw
savaさんより年上なのにナww