
春の一般公開 平成27年4月25日~6月14日
この地には室町時代に「江の奥殿」と呼ばれた矢部氏の屋敷がありました。貞享3年(1686)に山田彦左衛門が購入し、拡張整備しました。杜若池を中心に築庭し、「推敲亭」、「御成書院」、藤茶屋などを建てました。
明治時代に諸戸清六の所有となり、西隣に新しく御殿を建て、庭園を拡張しました。
諸戸氏庭園・諸戸家住宅は平成22年より本格修理を行っており、
御殿の玄関は当時の外務省の玄関を模し、
広間は西本願寺の広間を模していると言われていますが、
現在、御殿及び車廻しは修理のため見学不可になっています。
本邸に付属して小さな洋室があり、
ルイ16世様式のフランスのサロン風な調度で統一されているそうですが、
内部は非公開。
概観だけ見られる状態になっています。

本邸(国の重要文化財)の右奥に見えるのが煉瓦蔵。
三重県指定有形文化財です。


大門(左の養生部分)は現在改修中です。


[本邸(主屋)]
明治22年(1889年)頃建築。
ここが見学の入り口になっています。
※館内撮影不可


本邸の屋根には蔦が蔓延り、鬼板には欠損へ防止用にかネットが張られています。
※検索していて知ったのですが、屋根瓦の一部は、
伊勢神宮の方向に瓦の正面が向くようにしてあるそうです


影盛り部分からして、豪勢な建物だと分かります。
それにしても劣化がすごいな。


本邸の玄関照明はシンプルな造りなっています。

開口部が大きな蔵。壁面はトタンで補強されています。
諸戸家は、石取祭車を所有しているそうです。


「なまこ壁」が見られる塀。
「たすき掛け」「四半張り」と呼ばれる目地です。
格子状に張られたタイプよりも比較的新しい形式です。


「なまこ壁」の目地は、盛り上がりが高くなるほど難しい技術になります。
何度も漆喰を塗り重ねるため、手間も掛かります。
劣化している部分を見ても、何層にもなっているのが分かります。


大幅に劣化している部分を見ると、煉瓦の基礎部分が見えますね。

ここが庭園への入り口になります。
草木に覆われた鋳鉄製門扉を見ると、
「秘密の花園」を思い出すワタクシ。
トキメキMAXです。


右手に主屋があります。
庭園に敷かれた敷石のデザインも見事で、
サイズの揃った石を用意して施工するのは大変だろうなぁと感心します。

主屋に付属している洋間。
屋根部分はトタンで補強されています。
外壁塗装は色褪せており、
補修したらかなり豪華になるのではないかと
猛烈に妄想していたワタクシ。


洋間のポーチ部分に敷かれたタイルも破損しまくっていました。
残っている部分を見ると、とてもモダンなデザインだと分かります。
塀の煉瓦も風雨や植物で劣化・破損していました。


主屋・洋間のポーチ。
奥に見えるのが主屋の仏間などだと思われます。


木造のポーチ部分は繊細なデザインで、何処を切り取っても絵になる概観です。
ちなみに内部はコンナカンジだそうです。


洋間のシンプルな外灯。

洋間の開口部ドアノブ。
鍵穴には蓋があります。

新緑に覆われている洋間の概観。

敷石は庭へと続きます。

本邸の庭側から見た概観。
二階部分の外壁は黒漆喰塗りです。


軒まで黒漆喰で塗られているという豪勢な造り。


昔はガラス製のシェードが付いていたんだろうなと思われる外灯。

本邸は木造、入母屋造。
屋根は本瓦・桟瓦・銅板葺ほか。

諸戸家の前の持ち主であった山田家が薩摩藩主から贈られた石。
虎に見えるのだとか。

庭の開けた部分に出ると、一面に菖蒲が咲いていました。
これはこれでテンションがあがる。


[菖蒲池を中心とした回遊式庭園]
山田家時代に整備。
当時は杜若が植えられていたそうです。
また、一部は鎌倉時代に創建された当時からの遺構が残っていると
考えられているそうです。


尾形光琳『八橋蒔絵螺鈿硯箱』を思い出させる橋ですね。









菖蒲池には鉢が並べられているだけ。


庭石も見事なものばかりです。


花菖蒲の根元には、ワタクシが知らない花が咲いていました。


正面には藤棚があります。


[藤茶屋]
山田家時代には、藩主が藤を愛でるために訪れたといわれる茶室。
1945年の戦災で焼失し、昭和43年(1968年)に再建されました。

今は使われていないっぽい「つくばい」。

藤茶屋から菖蒲池方面を望む。

右手が本邸。


茶室
カメラのズームでしか寄れないのが悲しい。
屋根の上は草でいっぱいです。

主屋の裏側。


[]


[置き灯篭]
足元を照らす役割と、飾りとして使われています。


年月を感じる、飛び石の間に伸びる木の根。
きのこも生えています。



[推敲亭]
覚々斎原叟(かくかくさいげんそう)の作と伝わる草庵。(三重県指定有形文化財)


三畳分の畳が敷かれています。


月見や歌詠みなどに使われていたそうです。


杉板に竹の竿縁。


葺き替えられてそれ程年月が経過していないように見える茅葺屋根。

[織部灯籠]
茶人古田織部の考案した形といわれ、竿の部分に人形の彫があるのが特徴。

江戸時代から伝わる、京都五条大橋の欄干を用いたという
「橋杭灯籠 (擬宝珠灯籠)」が配置されています。

この庭にはいったい何基・何種類の灯篭があるんだろうか?

春の一般公開が本日までなので、この花菖蒲もまた来年まで見納めです。



[御殿]
明治24年(1891年)上棟。
手前の池庭は宮内省技師・小平義近の設計で、琵琶湖を模しているとか。
国の名勝に指定されています。


御殿の屋根には真新しい瓦も見えます。


輪違いの瓦を見るとテンションがあがるワタクシ。
美しい瓦アートですよねぇ。


カタカナで「モロト」と書かれた鬼板。


濠を挟んた向かい側から見た御殿の広間。


[御殿の広間]
既に保存修理工事が完了しているようです。


御殿が保存修理工事中で足場に覆われているため、
庭園も一部見られなくなっています。



青石で築かれた築山。

玄関および座敷は27年度も半解体工事中。


降ろされた御殿の屋根瓦。


足場でおおわれており、全く見えません。
しかし、ズームで寄ってみると・・・


玄関の辺りなのかな。
外された木組みが見えます。




斜めに木組みが施されていたっぽい。


壁の「竹小舞」が見えます。


真新しい木で補強がされているのも見えます。


礎石を外してあるようにも見える。


この足場を組むだけでも凄まじい金額が掛かっているんだろうなぁ。


灯篭についてはまだまだ不勉強ですが、このデザインは好きかも。
基礎部分の彫りが木の根っぽい。

御殿玄関と玉突場は現在補保存修理工事中で外観も見学できません。


この左手に小さな階段があったのだけれど、
この溝は何なんだろう?

[神祠]
明治時代に改築。
金毘羅神社・住吉神社・伏見稲荷・玉船稲荷・菅原神社が祭られています。

屋根には草が生い茂り、ここも補修が必要なことが見て取れます。


神祠の屋根はとても凝った造りになっています。

神社前の石灯篭。

庭園を囲む煉瓦の塀。


「イギリス積み」であることがハッキリ分かります。
(県指定有形文化財)

[煉瓦蔵]
明治20年頃に創建されたもので、
当初は5棟連続の木造蔵だったが、明治28年に放火により焼失。
直ちに煉瓦造で再建された。
しかし昭和20年の戦災で西側の2棟を失い、現在は3棟が残存する。
(県指定有形文化財)


外観は3棟とも同一。


西側の蔵の外壁は、この隣にも蔵が続いていた名残が見られます。


補修はしてあるっぽいけど、どこまでが劣化で、
何処までが補修なのか素人のワタクシは分かりません。


煉瓦壁が崩れている箇所で、構造が理解できます。


南北(道路側と庭側)両面の上部に窓が付いていますが、劣化も見られます。


庭側から煉瓦蔵を見たところ。


木に付いている苔を見ると、ここは湿度が多い箇所らしい。
※蚊が飛びまくっている日だったそうです

開口部には全て庇の付いた痕跡があるものの、
南面(道路側)では全て失われている。




南面中央に両開きの鉄扉が付く。
6月13日(土)が修理工事現場見学会だったと知ったのは、
東京に戻った後でした。
まさに、後の祭り・・・


手前が六華苑、向かいが諸戸家宗家の敷地。


[イギリス積み]
段ごとに長手(側面が長い)と小口(側面が短い)を繰り返し置く。


塀が崩れている部分で、積み方が分かります。


六華苑側から見た、諸戸氏庭園の石垣。


一部要補修状態のようです。

【諸戸氏庭園(もろとしていえん)】
三重県桑名市太一丸18
春の一般公開:平成27年4月25日~6月14日
月曜休園(月曜が祭日の場合は翌日休園)

重要文化財(主屋、玄関および座敷、表門、広間、洋館、玉突場)
県指定有形文化財(煉瓦蔵、煉瓦塀、溝渠)
国指定名勝(諸戸氏庭園)
http://www.moroto.jp/