大阪を出て、祖父母たちが住んでいた母の実家に居ります。
子供の頃に何度か訪れたことはありましたが、
それほど記憶に鮮明ではありませんでした。
本日、コンビニからの帰りに、家路を辿っていたら、
突然、昔の光景が甦りました。
しかも、至極鮮明に、自分がそこに立っているが如く。
アスファルトの道ではなく、土の道だったことや、
道ギリギリまでに家屋が迫っていたため、狭く感じたことや、
なにより、空がとても近かったことを思い出しました。
公園にあった回転式遊具や、
ちょっとしたクライミングが出来るコンクリートの山や、
鬱蒼と茂った木々を思い出しました。
そして感じました。
時間は流れ行くのではなく、
その場所で重なるのだと。
重なった時間は薄衣で出来たミルフィーユみたいな層で、
少しの風などの衝撃で空を舞い、
記憶を呼び覚ますのです。
地に縛られた記憶は、磁力の塊りみたいなもので、
時々、何かの衝撃で悪さをすることもあるけれど、
誰かを守ることもあるのだなぁと感じました。
私は今、その光景の遥か未来に立っているのだけれど、
これはこの地の過去にもなるのですよね。
そういう意味では、
時間は瞬間の連続であり、
記憶にある瞬間瞬間と現在瞬間が比較される時、
時間概念が誕生する
という、ガストン・バシュラールの考えを支持したいかも。
ってか、もう一人の自分が居たなら、
余剰次元について研究してみたい。
何はともあれ、今がある。
Carpe diem(カルペ・ディエム)。
そんなこんなで、
また明日。