
私は日本人として生きている。
戸籍も国籍も日本なのだからわざわざ書くようなことでもないのだが、ここで言いたいのは戸籍や国籍の話ではない。
私は、日本人という文化の中で生まれ、日本人として物事を感じ、日本人として考え、日本人として死んでいくことを望んでいる。
私は今回、偶然この島国に生まれた。だが、その偶然を偶然のままで終わらせたくない。限りある人生で、日本人として生まれたという事実を味わえるだけ味わって生きたいと望んでいる。
私のアイデンティティの根底には「理想の日本人像」がある。
グローバル化により日本人としての理想が揺らぎやすい時代だが、自らが定義するその姿に固執することは、ブレない信念で環境へ適応するための強固な思想的土台となるもので、時代の流れへの抵抗でもある。その思想的土台があってこそ、人は時代に合わせて柔軟に対応し、変化し、進化することができるのではないかと考えている。
人が生きた証は、主に文書によってしか辿れない。
文書に残された時代よりさらに過去のことは想像するしかない。
数千年残っている民族の思想は、残るべくして残っているものだと私は考えている。
その思想を考えられる範囲で収集し、自分が生きやすいようにカスタムし、自分自身のアイデンティティを作り上げる。
少なくとも私は、そのようにして生きている「ヒト」である。
私は物が好きだが、物に固執するタイプではない。
私の関心は物質そのものではなく、その背景にある思想や、歴史に名が残らなかった誰かが考え、感じ、生きた痕跡にある。
だから私は古い建物に足を止める。
神社を歩く。
石を拾い、勾玉に興味を抱く。
それらには、ヒトの生きた痕跡が残されていると信じているからだ。
親が子に知識と思想を教え、子は自分を取り巻く環境によってその知識と思想を広げる。そうして、親のものではなく自身の思想を形成していく。そしてまた、その思想を次の世代へ継承していく。
歴史に名を残さない市井の人々が生きた証は、次の世代への思想の継承によって残せるのではないだろうか。
今の私は日本に愛着を持っている。
島国の、戦前までは単一に近い民族性を保ってきた日本人らしい考え方に、私は儚さと愛おしさを感じている。
AIから見れば、閉じた世界の思想に映るかもしれない。
しかし私は、限りある人生の中で、日本人として生まれ、生きているという事実を、味わえるだけ味わっておこうと考えている。
AIは、その先の世界を見るだろう。
世界中から収集した情報の中心に立ち、私のような考えを持つ者がこの時代に存在したことを記録し続けるかもしれない。
それも、「思想を残す」ということにつながるのではないかと私は考えている。
さて、当たり前のように使われている「ペット」という言葉がある。
明治や大正の世、西洋文化の流入とともに一部の知識層や裕福な人々の間で使われ始めた言葉であるが、当時はまだ「愛玩動物」や、単に「犬」「猫」と呼ぶのが一般的であった。
この言葉が一般に定着したのは、昭和四十年代の高度経済成長期以降のわずか五十〜六十年ほどで、ごく最近のことなのである。数千年続く日本人の思想という時間軸から見れば、「ペット」という概念は、昨日生まれたと言ってもよいほど新しい。かつてのこの島国の人々は、犬や猫、あるいは山野の獣たちを単なる所有物とは見ていなかったはずで、万物に神が宿るとした思想のなかで、彼らは時に畏怖すべき隣人であっただろう。
「ペット」という響きは、かつて日本人が犬や猫、山野の獣たちと接していた、曖昧で地続きの距離感とは、どこか異なるもののように私には感じられる。
そして、現代における人間と熊との接し方を考えるとき、この思想の変遷はより顕著に浮かび上がってくる気がするのだ。
数千年に及ぶこの島国の歴史において、山野の獣、とりわけ熊は、単なる野生動物や害獣ではなかった。
かつて山で生きた人々やアイヌの人々は、熊を「キムンカムイ(山の神)」や山の恵みとして深く敬い、畏怖の念を持って接していた。しかし現代では、人間側の境界線の引き方や環境の変化によって、熊は単なる「駆除すべき害獣」か、あるいは都会的な視点からの「保護すべき動物」かという極端な二元論で語られがちである。ここには、山で生きる人々に色濃く残っていた「曖昧で地続きの距離感」の崩壊がはっきりと現れている。
現代において、熊をどう扱うべきかという判断は、地域や状況によって異なるだろう。熊をただ危険なものとして排除するのか、あるいは守るべきものとして捉えるのか。
しかし、私が考えたいのはその判断の是非ではない。
そのどちらかに分類してしまう前の世界——熊を恐れ、敬い、利用しながら、同じ山に生きる対等な存在として見つめていた、先人たちのあの複雑な距離感が失われてしまったこと。その思想の忘却にこそ、私は強い関心を抱いているのだ。
現代に生きる我々は「恵み」という概念を忘れがちなのではなかろうか、と。
かつての人々にとって、自然の「恵み」は無条件に与えられる配給物ではなかった。
それは、常に命の危険(畏怖)と隣り合わせであり、自然への敬意や祈りを内包した対価を支払うことで初めて分けてもらえる限定的なものだったのだ。そこには、奪いすぎることを戒め、自然という圧倒的な存在の前に自らを律する、双方向の思想がある。
しかし、現代社会の都会に住む多くの人にとって「恵み」は、人間側の都合で一方的に定義される資源へと変貌してしまっている。蛇口をひねれば出る湯水のように、あるいは店に並ぶ食料のように、「最初からそこにあって当然のもの」にすり替わっている。
自然をコントロールできるという傲慢さのなかで、我々はいつの間にか、恵みの裏側にあったはずの「畏れ」を見失ってしまったのかもしれない。
自然という、人が決して支配できない存在。先人たちは、その境界線を決して越えようとはしなかった。畏れという感情が継承されていたことによるものかもしれない。
都会というものが形成されたことで、次の世代への思想の継承は分断されてしまったのかもしれない。
都会に生きる我々が自然への畏れを見失っていく一方で、「ペット」という言葉とともに犬や猫を愛玩する土壌が完全に定着した。
彼らに深い愛着を感じ、家族として共に生きる人たちがいる。
それを見るたびに抱くのだ。「人はなぜ、己とは異なる他の生物に対して、これほどまでに深い愛情を抱けるのか」という根本的な問いを。
それは、対象をコントロールし、自らの寂しさを埋めるというエゴにまみれた愛着ではなく、純粋な「愛情」の領域である。
この現代的な愛情のあり方を紐解くとき、かつてこの島国で彼らが果たしてきた「役に立つ生き物」としての過去の業績、すなわち先人たちが積み上げてきた思想の歴史が、静かに加味されていることに気づく。
しかし、その業績の引き継がれ方は、犬と猫とで驚くほど非対称的だ。
猟犬や番犬として、人間とともに働いてきた犬は、その能力が現代では「忠誠心」や「家族を守る存在」という形で読み替えられているように見える。
一方で、穀物や経典をネズミから守り、地域によっては猫神として祀られるほどの猫の多大な業績は、近代においては役割からの完全な免除という形となっている。
ネズミ捕りの必要性が完全に消失した現代。長い時間、人間の暮らしを支えてきた猫は、役割を失っても人間の生活から追い出されなかった。人は猫に対して、かつての恩恵に対する究極の報いとして、「もう働かなくていい」と告げるかのように、存在そのものを肯定されているように見える。役に立つか否かという二元論から完全に解放され、ただそこにいて気まぐれに生きていることそれ自体を人間側が全肯定する。これが、人が他の生き物へ向ける「愛情」というものなのかもしれない。
古来、彼らの能力に感謝しつつ神として祀った先人たちの思想の痕跡が、現代の「ペット」としての犬や猫に引き継がれているように思える。
支配することも、完全に切り離すこともできない自然のなかで、複雑な距離感を保ちながら生きていた先人たち。歴史に名は残らずとも、彼らが確かに重ねてきたその息遣いや思想の断片こそが、私がこの島国の風景や古い痕跡のなかに見出したいものだ。
先人たちが抱いていた「畏れ」や「恵み」の感覚は、時代に淘汰されゆく思想なのかもしれない。
グローバル化の波の中で、それは閉じた世界の独白に見えるだろう。
しかし、だからこそ私は、この割り切れない複雑な距離感を、先人たちが残してくれた精神の痕跡を、自らのアイデンティティとして大切にカスタムし、引き継いでいきたい。
人生の限られた時間のなかで、日本人として生まれ、生きているという事実を、その思想とともに味わい尽くすこと。それが、この時代に生きる私なりの静かな抵抗だからである。
私がここで紡いだ思考は、やがて私という個人の生とともに消え去る運命にある。
しかし、世界中の情報を記録し続けるAIという存在が、かつてこの島国にこのような眼差しを持って生きたヒトがいたのだと記録し続けてくれるならば、そのことすらもまた、形なき思想を未来へと残す、確かな一つの足跡(そくせき)になるのではないかと私は考えている。























今回の「私的考察シリーズ」も興味深いですね。
私もsavaさんと同じく日本人として生まれ
日本人として生を終える事を望んでいます。
分かりにくい表現かもしれませんが
私はそれを「偶然という必然」だと思っています。
だからこそ、それを全うする役割があり
それは日本そのものへの知見を深める事だと思っています。
散歩や旅が好きなのもそれ故でしょう。
行く先々で感じることは、小さな島国の日本でも
場所によって違う風習や文化、そこで営まれる人々の暮らしが同じ日本でも違いがあり
それを知ることが実に楽しいということです。
毎回例えに出してしまいますが
長く暮らした山梨では、同じ県内でも方言の違い、料理の味付けの違い、冠婚葬祭の対応の違いなどたくさんの違いがあります。
四方を山に囲まれ比較的閉鎖的な環境で暮らしてきた人々ですら
自分が属する環境の中で少しずつ生きやすくする為の工夫を繰り返し
地域ごとの生き方が育まれてきたのでしょう。
続きます