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竹節欄間をご存知だろうか。

AI(Gemini)に問うと以下の内容が出される。

「竹節欄間(たけふしらんま / たけのふしらんま)は、日本の伝統的な建築様式(特に数寄屋造りや茶室など)に見られる、意匠を凝らした欄間の一種です。天井と鴨居の間の開口部に設けられ、採光や通風を保ちつつ、部屋を格調高く、または風流に演出する役割を持っています。」

内容が浅いので、再度深堀りするよう依頼する。

「本物の竹は、乾燥すると割れたり、時間が経つと色あせて黄色や茶色に変色してしまいます。また、一本ずつ太さや曲がり具合が違うため、精密な建具の中にきれいに並べるのが実はとても難しいのです。そこで職人たちは、「割れにくく、経年変化が美しい高級な杉(秋田杉や吉野杉など)」を使い、カンナやノミを使って手作業で「竹の節」を削り出しました。
竹節欄間は、部屋を広く、天井を高く見せるための視覚マジックとしても計算されています。」

まだまだ内容が浅いので、その旨を伝えてみた。

三度目に出された内容を要約すると以下の通りとなる。

「竹節欄間とは、単なる意匠的建具ではなく、書院造の権威主義に対する数寄屋の思想的抵抗、木という異素材から自然の本質を削り出す高度な「見立て」の精神性、そして薄暗い和室において光と影のグラデーションを制御する結界としての機能を併せ持った、日本建築思想の到達点です。」

この、三度目に出された「結界」という単語が竹節欄間の肝である。

しかしAIの修正文は以下の内容だった。

「竹節欄間が用いられるのは、桂離宮や京都の歴史ある高級料亭、あるいは格式高い本物の茶室といった、俗世から切り離された「非日常の空間」です。」

そうではない。

高級料亭でも、茶室でも使われることは無いはずだ。

竹節欄間は、鎌倉時代に中国の宋から、禅宗の伝来とともに移入された建築様式禅宗様に源流を持つ。 当時の中国寺院で窓の竪子や建具の親柱に施されていた竹の節状の装飾技法が日本へ伝わり、江戸初期の大工技術書『匠明』によって、書院造における設計基準として体系化される。本物の竹は割れやすく耐久性に欠けるため、頑丈な杉や檜の銘木を使い、職人が手作業で「竹の節」を削り出す手法が定着。これが禅宗以外の寺社や城郭、そして屋敷の「御座所」や「客殿の間仕切り」といった最上級の空間へ組み込まれていった。

竹節欄間は、古代から邪気を払い神霊が宿る媒介(依代)とされる竹の象徴性を木に写し取り、小さな筋交い(×印)による堅牢な構造補強を兼ね備えることで、高貴な主人の領域や公的な空間の質を峻別し、人の身分や序列を明確に可視化する、政治的・社会的な「結界装置」としての本質を持つものである。

私は毎度、竹節欄間を見ると背筋が伸びる気がする。
自分が「こちら」と「あちら」の境目に立っているのだと感じるからだ。
粗雑なふるまいで敷居を跨いではいけないという気持ちにもなる。

文字情報としてルールが書かれているわけではないが、竹節欄間という造作にはルールが込められている。禅宗がその建築様式を持ち込んだならば、時の権力者はそこにどんな利点を見出したのか。

権力者に最も刺さったのは、禅宗建築が持っていた「空間を徹底的に区分けし、機能ごとに絶対的な格付けを行う」という空間構築思想である。江戸幕府の統治では根幹に身分制度(序列)の徹底があり、それを一目で分からせる装置が必要だったのだろう。
江戸初期の大工技術書『匠明』のように、建築の寸法や意匠に厳格な決まり事が登場し、そこに竹節欄間のような結界装置が組み込まれた結果、建物内における人間の行動や社会の流れは変わったことだろう。

それまでの曖昧だった部屋の境界に、明確な設計基準に基づいた竹節欄間がはめ込まれることで、屋敷内を移動する家臣や使用人の行動に変化が起こる。
竹節欄間が見えた時点で「御座所(あるいは御成間)という聖域があるから進んではならない」、あるいは「ここからは姿勢を正して近づかねばならない」と考えて足が止まる、あるいは平伏するようになる。
近くに警護の者を置かずとも、その空間の格付け自体が『通行規制』として人の動きを心理的に制御することになるのだ。

竹節欄間で囲まれている内部とは、すなわち主君(あるいは主君が迎える皇族や藩主)の身体がある空間そのもの。封建社会において、主君の身体に近づくことができる人間は厳しく制限されており、身分の低い配下や一般の家臣がその空間の境界をまたぐことは、主君の暗殺や不敬を防ぐという保護の観点から許されないことであった。これにより、会談や拝謁の席での発言や態度は、主君に絶対服従する形へと整えられていく。

こうして人はその空間、すなわち竹節欄間という結界の前に立つだけで、自分の身分を自覚し、行動を制約されるようになったのではないだろうか。
私が知る限りでは、竹節欄間にはそんな話が隠されている。

ルールはその時代の「力ある者」たちが作る。
建築物にその思想が取り入れられることもある。
ここでは述べないが、わかり易いのは茶室での作法だろうか。

さて、現代では竹節欄間を見てもその先へ進んではいけないと思う人はほとんどいない。
理由を知らないからだ。

現代住宅では和室を造らない人が増えているという。
和室が減るということは、畳や襖の需要も減るということで、現在では国産畳の製造業者はかなり消えてしまった。(ほとんどが中国産の畳となっている)
昭和世代は畳の上を歩く作法を教わっていると思うが、現代の子供たちはどうだろう?
「敷居や畳の縁は絶対に踏まない」、「素足で歩かない」、「すり足で静かに歩く」などを昭和時代の子供たちは和室に接する際に教わっている。

作法には意味がある。
「敷居や畳の縁は絶対に踏まない」理由は、敷居を踏むと木が歪んで襖や障子の建て付けが悪くなるからという建物への配慮。
「素足で歩かない」理由は、畳表に足の裏の汗や皮脂汚れが付着するのを防ぐためである。
「すり足で静かに歩く」理由は、畳の目を傷つけないため、そして周囲にいる人に威圧感や不快感を与えないためである。
武士の時代であれば、ドタバタと音を立てて歩いたり、急に斜めに動いたりする者がいれば、それは切りかかる体制だとみなされ、即座に組み伏せられても文句は言えない行動と受け取られたという。

私は文化財建造物を見るのが好きだ。
複数の文化財建造物を見続けていると気付くことがある。
施主の美学と生きる環境、当時の流行、そして産業と流通が学べるということである。

ぼーっと見ていればそれはただの「家」なのだが、建物を取り巻く時代の情報のようなものを知ると、それは「時代を詰め込んだタイムカプセル」になる。
使用している木材の樹種、門で分かる職業、庭に置かれた遠方の石、舶来物のインテリアなど、財を成した人が建物のどこにお金を掛けたのかが見えるのだ。その最たる例が、今とは違う住宅思想で作られた「客間」である。そこは客に見せるための部屋として、自分たちが生活する間よりもはるかに贅沢に造られているのだ。

文字なきルールを空間に刻み、人間の身体や行動までをコントロールしようとした先人たち。
屋根瓦ひとつ、あるいはそこにひっそりと乗る苔の佇まいにさえ、固有のストーリーが眠っている。
大工仕事の技、畳の敷き方や、天井の竿縁の向きなどの規定、施主のこだわり。
見どころを挙げればきりがない。
しかし、それらは誰かが言葉にして残さなければ、やがて失われてしまう。

竹節欄間は残り、結界は消える。

理由を書き残す人がいなくなったとき、本当に失われるのは建物ではなく、結界なのだろう。

私は、文化財建築を訪れるたび、タイムカプセルの蓋を開けるような気持ちになる。
建物だけではなく、人の振る舞い、空気、流れ。
そして「あちら」と「こちら」を隔てていた目に見えない境界が、まだ静かに息づいているような気がするのだ。

どこかの古い建物を見学する機会があれば、ぜひ欄間の形状に目を向けて欲しい。もしそこに竹節欄間があるのなら、そこには文字情報としては書かれることのない「結界」が存在する。
そこは、身分の垣根が低くなった現代で、過去のルールが静かに息づいている場所なのである。




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