
私は、直径八センチと十二センチほどの、石の玉を二つ持っている。
石の種類はわからないが、一方は青黒く、もう一方は柔らかな乳白色をしている。
青い石の入手先は記憶が朧気だが、おそらく東京の骨董店で購入したものだろう。一方、乳白色の石の入手先は記憶が鮮明で、二十年ほど前に太宰府天満宮の骨董市で買い求めたものだ。数ある古物のなかで、そこだけが不思議と光って見え、強く魅了されたのを覚えている。石に触れるとひんやりと滑らかで、掌にとても心地よい。当時の私の薄給で買えたのだから、価格はせいぜい千円程度だったはずだ。購入後、すぐに手水舎の水できれいに洗い、丁寧にタオルにくるんで東京まで持ち帰った。ずっしりと、心地よい重さだった。
これらは、ただそこらに転がっている路傍の石とは違う。人の手によって歪みなく、きれいに丸く整形されているからこそ、私はこれらを価値ある宝物として、今も寝所に大切に置いている。
石をきれいに整形して価値を与える文化は、古代から日本や中国に存在する。、古代から日本や中国に存在する。古代の日本や中国には、特別な価値を持つ玉(ギョク)という概念があった。
この場合の玉とは、形ではなく素材に重きを置いた言葉で、古代日本において価値ある美石で神秘的な色合いを持つ硬玉(ヒスイ;ジェダイト)や、中国で古くから神聖視された軟玉(ネフライト)を指している。
ちなみに、縄文時代の中期(約5,000年前)にはすでにヒスイの加工が始まっており、これは世界最古の硬玉(ヒスイ;ジェダイト)文化とされている。
ただし、日本語には球体を意味する「玉(たま)」という言葉もある。
水晶やアメジストなどを丸く削ったものを「丸玉」と呼ぶことがあるが、これはあくまで「丸い形状」を表すための便宜上の表現に過ぎず、ただの岩石を丸く削ったとしても、伝統的な意味での玉とは呼ばない。「玉に瑕(きず)」や「泥中の玉」ということわざに登場する「玉」は丸い球のことではなく、「磨き上げられた極上の宝石」そのものを指している。
つまり、文化や歴史における本質的な玉とは、加工後の形状だけを指すものではない。それは、古来より人々を魅了し、徳の象徴とされてきたヒスイやネフライトをはじめとする、特定の美しい石そのものを指しているのである。
そうした学術的な定義から見れば、私の寝所にある二つの石は、ただの「丸い石」に過ぎない。しかし、二十年前に骨董市で私を魅了したあの輝きは、古代の人々が玉に見出した美と、どこかで繋がっているような気がしてならない。
現代であれば、多くの人はダイヤモンドの輝きや金の輝きに絶対的な価値を見いだす。その価値は、希少性や市場価格、あるいは鑑別書という明確な「記号」によって客観的に決められている。
しかし、まだそのような経済的な評価基準が存在しなかった古代の人々はどうだったのだろうか。
彼らを突き動かしたのは理屈ではなく、ただ「美しい」という、より根源的で圧倒的な直感であったはずだ。私が骨董市で千円の石に理屈抜きで魅了されたように、古代の人々もまた、自らの直感だけを頼りに石を選んだのではないか。河原や山肌に転がる無数の岩石のなかから、不思議と目を引くわずかな美石を見つけ出し、現代のような便利な工具もない時代に、気の遠くなるような時間をかけて、ただ手作業でその石を磨き上げる。そこにあったのは、ただ手元に置き、触れ、眺めていたいという、純粋な美への憧れと情熱に他ならなかったのではないだろうか。
しかし、美しい石は他にもあったはずなのに、なぜ数ある石の中から、日本では硬玉(ヒスイ)が、中国では軟玉(ネフライト)が、他を排して特別な存在になったのだろう。
その答えを導くために、これらが他の石とどう違うのかを確認しておきたい。
たとえば、美石の代表格である水晶は衝撃を与えると比較的容易に割れてしまう脆さがある。また、古くから装飾品に使われた瑪瑙(めのう)も細かな細工を施す際にはどうしても角が欠けやすい。ダイヤモンドは硬いが、ある特定の方向からの衝撃には弱い性質(劈開性)を持つ。
一方で、ヒスイやネフライトは違う。これらは微細な結晶が網の目のように複雑に絡み合ってできているため、地球上の鉱物のなかでもトップクラスに割れにくい(靭性が高い)。
ヒスイやネフライトは、水晶より頑丈で、瑪瑙よりも加工した後に欠けにくいのだ。
さて、古代中国では遥か西方で産する軟玉(ネフライト)が長い交易路を経て中原へもたらされていた。一方、日本には世界でも極めて稀な硬玉(ヒスイ)の大産地が現在の新潟県糸魚川にあった。
中国にとっての玉は遠方からもたらされる貴い石であり、日本にとっての玉は列島の大地そのものが差し出した稀有な石だった。互いの存在を知らぬまま、人々はそれぞれの土地で最も優れた石に出会い、それを磨き、意味を与え、特別な存在へと育て上げたのである。
現代の鉱物学において、軟玉と硬玉は全く別の鉱物として分類される。日本ではその双方を同じ「翡翠(ひすい)」という名で呼び、古くから混同、あるいは一括りにされてきた歴史があるが、厳密には結晶の構造も成分も異なる。なお、硬玉の方が軟玉よりもモース硬度の数値が大きい。
しかし、その科学的な違いにもかかわらず、日本の人々も中国の人々も、それぞれの石に「割れにくさ」と「美しさ」という共通した価値を見出し、最高峰の玉として尊んだ。
一度手に入れた玉は何世代にもわたって受け継がれ、ときには墓へ納められるほど特別な存在となっている。何十年、何百年という時間を経ても、その艶や手触りが失われにくい玉は、それゆえに人の一生を超えて想いを託す器、または受け継ぐ財産になり得たのだろう。同時にそれは、単なる物質的な富に留まらない、目に見えない何かをも宿していたはずだ。考古学的知見によれば、玉は権威の象徴であり、霊力や呪力を秘めた守護の具でもあったとされる。
しかしそれ以上に惹かれるのは、墓の副葬品となった玉についての、ある仮説だ。
ヒスイの模様は一つとして同じものがなく、加工が極めて難しいからこそ、容易に複製品を作ることもできない。肉体が滅びゆく中で、決して土に還ることのない不変の玉は、あの世へ旅立つ死者の「その人をその人たらしめるもの」――すなわち魂の唯一無二の目印として、棺へ共に納められたのかもしれない。
手のひらに吸い付き、ひんやりとして滑らかな玉。磨き上げるほどに内側から滲み出る、湿り気を帯びたような艶。硬いのに、どこか温かみを感じさせるその二面性こそが、富や権威、あるいは生死の境界すら超えて、古の人々に「大切なものを託したい」と思わせた理由だったのではないだろうか。
私の寝所にある二つの石は、先述の通り、定義の上ではただの「丸い石」に過ぎない。それでも、二十年前に私を魅了したあの輝きと、いま掌に伝わる滑らかな冷たさは、古の人々が石を拾い、磨き、そこに自らの大切なものを託した、その心の震えと確かにどこかで繋がっているのではないかと考えている。























「私的考察シリーズ」奥深いですね。
何気なく身近にあるものを掘り下げて考えてみることで見えてくる新しい考察、考えても見えてこず深まる疑問、どちらも次の考察へ繋がりまた答えを探す問い掛けを繰り返す。
きっと生きてる間はずっと考察シリーズは続くのでしょう。
それが「考える」ことができる生き物の特権であり役目のような気がします。
私も玉ではありませんが、出掛けた先の海岸や山中で気になる石を見つけると持ち帰り専用の箱に入れて時折眺めます。
そしてそれは真円ではないけれど丸いものが多いです。
そこらに転がっていた石ですが、手によく馴染み触れると心地よいです。
玉で言えば山梨在住時に水晶のブレスレットを手に入れましたが
数十年経った今でも時折出掛けた先の手水舎で洗い
満月の夜に月の光にあてるなどして大切にしています。
本当は毎日身につけるものなのでしょうが
不思議な感覚でつけたいと思う日と置いていった方が良い日というのがあり
その日の感覚で身につけています。 続きます